◆越後交通 新潟県長岡市
(分離子会社・越後交通観光バス(→越後北観光バス→越後柏崎観光バス→北越後観光バス)、南越後観光バス、越後交通県央観光)


 長岡市を中心に新潟県中越地方一帯に路線網を展開する事業者。中越地方は戦時統合で統合主体となった中越自動車のほかに、鉄道事業者の長岡鉄道と栃尾電鉄が独自の路線バスを運行を運行していた。この3社が1960年に合併して発足した。長岡鉄道社長でもあった田中角栄元首相のファミリー企業として知られるが、中越自動車が東急系で発足後暫くは東急が経営に参加していた。この名残は車体の塗装に現れている。1985年以降、越後交通観光バス(→越後北観光バス→越後柏崎観光バス→北越後観光バス)、南越後観光バス、越後交通県央観光に一部を分離している(のちに北越後観光バスと越後交通県央観光は再吸収)。

一般路線車はいすゞ、日野、ふそうを導入していたが1985年以降は日デも導入した。また1990年代末から移籍車を導入している。富士5E・6Eについては、自社発注車でいすゞの大型・9m大型、日デの9m大型・中型、ふそうの大型を、移籍車でいすゞの大型・中型を導入した。

(2005.8.20 更新 2020.5.30 画面修正)
 

 いすゞ P-LR312J

2008.7 六日町駅附近

南越後観光バス所属。
もと箱根登山鉄道。同社が移籍車を受け入れる側から放出する側に変わったときの車両。1両が移籍した。

 

 


2007.1 津南町内

左に同じ。
 

 いすゞ U-LR332J

2005.8 越後湯沢駅

南越後観光バス所属。
もと箱根登山鉄道。P-LRに続いて1両が移籍した。

 

 


2005.8 越後湯沢駅

左に同じ。
 

2007.8 南魚沼市内

南越後観光バス所属。
もと小田急バス。1両が移籍した。窓回りは移籍前の状態を生かしたのか黒塗りだった。
 

 日デ P-RM81G

2003.1 湯沢町内

南越後観光バス所属。
自社発注車。貸切バスの旧塗装と同じ白地に青灰色と赤帯の通称「ハイライトカラー」の車両は富士5E・6E架装車では主に21条バスで使われた。
 

 いすゞ P-LT312J

2007.7 長岡駅

1980年代後半〜1990年代にかけて9m大型を断続的に導入した。
 

 日デゞ P-RP80G

2006.8 小出

南越後観光バス所属。

 

 


2007.1 越後湯沢駅

左に同じ。
 
2003.1 十日町

越後柏崎観光バス所属。
岡野町に在籍していたハイライトカラーの車両。
 
2001.11 岡野町

越後北観光バス所属。
左に同じ。
 

 いすゞ P-LV314L

2007.1 越後湯沢駅

南越後観光バス所属。
屋上にエバポレータが無いタイプ(ヂーゼル機器の分散冷房車?)。

 

 

2007.7 南魚沼市内

左に同じ。
 
2007.7 長岡駅

屋上にエバポレータがあるタイプ(富士重工の冷房搭載?)
 


新潟県内某所に置かれていた廃車体。一部の車両は前後折戸であった。
 
2000.7 三条市内

越後交通県央観光所属。
もと神奈川中央交通。移籍車の投入が本格化する前に、分離子会社に移籍した車両。
 

 いすゞ P-LV314Q

2000.7 三条市内

越後交通県央観光所属。
LVの軸距6.0m車はこの1両のみ。越後交通には軸距5.5m以上の車両がそれなりに在籍したが、これはラッシュ時に大型車2両を1両に集約する発想による。

 

 

   2000.7 三条市内

左に同じ。
 

 三菱ふそう P-MP118N

2003.1 越後湯沢駅

南越後観光バス所属。
ふそうの5E架装車は、この型式3両のみ。いすゞは昭和54年排ガス規制(K-)車まで北村を架装していたので、5Eはこの型式が初となる。

 

 

2002.1 越後湯沢駅

左に同じ。
 
2001.11 小出

この車両は前面に社章の代わりにふそうのエンブレムが取り付けれていた。
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