◆関東バス 東京都中野区

 東京都内の新宿から小金井にかけてのJR中央線沿線に路線網を展開する事業者。1931年に関東乗合自動車として発足、1938年に東横電鉄(のちの東京急行電鉄)傘下に入り、戦時中の1945年に京王電軌の合併で同じ東急系列になった中野乗合自動車など3社を合併している。戦後は、京王帝都電鉄と東京急行の自動車部長であった柏村毅が主要株主となるが、京王・東急どちらの系列にも属してはいない。1964年に現社名に改称した。

 1983〜1988年頃の一般路線車両は日デに加え若干の日野を導入していた。富士5E・6Eについては日デの大型・中型、日野の大型を導入した。大型車は3扉車を導入していたことが特筆される。

(1999.6.6 更新 2020.5.5 画面修正)
 

 日デ P-RP80G

2001.3 杉並区内

特に狭隘な路線を抱える五日市街道営業所に、1986年に投入された。

 

 

2000.4 荻窪駅

左に同じ。
 
2001.3 杉並区内

1990年の増備車は前照灯が角目になった。
 
2000.4 荻窪駅

左に同じ。1986年導入の車両とはエンジン開口部のパネル割りなどが若干異なる。
 

 日デ K-U31K

1995.9 石神井公園駅

 

 

1996.10 中野駅

 

 日デ K-U31L

1994.6 中野区内

 

 

1995.3 中野駅

 

 日デ P-U32K

2000.4 中野駅

前期型。軸距4.7m級と5.1m級を平行して導入していたが、昭和58年排ガス規制(P-)では軸距4.7m級に統一された。

 

 

2000.4 中野駅

 
1999.7 新宿西口

後期型。屋上のベンチレータが廃止される。
 
1996.10 中野駅

左に同じ。
 
2001.3 吉祥寺駅

 
2002.5 武蔵野市内

左に同じ。一部車両はリアのフラッシャーが特に大型であった。
 

 日野 P-HT233BA

1996.10 中野駅

丸山営業所にのみ配置されていたHT+5E。機械式ATのEEドライブを採用していた。

 

 

1996.10 中野駅

左に同じ。後輪前にオイルスプレークラッチ用の開口部が空けられている点がEEドライブを搭載していることを示す。
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