◆琉球バス交通 (2006年9月 琉球バスから事業引継) 沖縄県那覇市
沖縄本島全域に路線網を展開する事業者。1964年に昭和産業と青バスの合併で発足した。1991年に倒産、その後再建中に米軍スクールバスの運行業務を失注し2005年に民事再生法の適用を申請し、再度事実上の倒産となった。先に倒産した
那覇交通同様、第一交通産業が受け皿となり、2006年に同社が100%出身する琉球バス交通が業務を引き継いだ。
琉球バスの一般路線車両は730以降、日デと日野で構成されていた。また1990年代後半になると730車置き換えの為に大量の移籍車導入に踏み切る。富士5Eについては、自社発注で日デと日野の大型、移籍車で日デの大型を導入した。
(1999.9.4 更新 2020.4.25 画面修正)
注:特記したものを除き、琉球バスのときに撮影。
日デ P-U32K
2003.5 那覇(県庁北口交差点)
もと
東京都交通局。移籍車で一大勢力となった。
なおこの車両に限った話ではないが、琉球の移籍車は中扉・後扉を閉鎖し、車内には座席を新設していた。
2003.5 那覇(県庁北口交差点)
もと東京都交通局。
2003.5 那覇バスターミナル
もと
横浜市交通局。こちら大量に移籍し、一大勢力となった。画像は車掌台のないタイプ。
2008.3 那覇バスターミナル
撮影時、琉球バス交通。
もと横浜市交通局。
2003.5 那覇(県庁北口交差点)
もと
横浜市交通局。もと滝頭営業所の車掌台付きタイプ。
2008.11 那覇バスターミナル
撮影時、琉球バス交通。
もと横浜市交通局。
2003.5 那覇(県庁北口交差点)
もと自家用。1両のみ移籍した。
中扉閉鎖・座席取付の実例。
2000.2 沖縄22き559車内(P-U32K もと東京都交通局)
日デ P-U32L
2008.11 名護バスターミナル
撮影時、琉球バス交通
サブエンジン式冷房でスモークガラス。
2008.11 那覇バスターミナル
撮影時、琉球バス交通
こちらは窓柱が白い。
2003.5 那覇バスターミナル)
1986年式から側面の窓がヒドンピラーとなり、車内の座席部分の床面が一段高い。こちらの仕様の方が多数を占めた。
2000.2 那覇空港
左に同じ
2008.11 名護バスターミナル
撮影時、琉球バス交通
自社発注車。
2008.11 名護バスターミナル
撮影時、琉球バス交通。
琉球バス交通の標準塗装に塗り替えられた車両。あまり数は無かった。
2000.2 那覇バスターミナル
前期型。
自社発注車であるが、もとは米軍スクールバス用。前面のナンバープレートの位置に名残がある。
2000.2 那覇バスターミナル
左に同じ
2003.5 那覇バスターミナル
もと横浜市交通局。
同局からは大量のU32が移籍したが、もと磯子営業所の軸距5.1m車は2両に留まった。
2003.5 那覇バスターミナル
もと
西武バス。
2両が移籍した。
日野 P-HT235BA
2000.2 那覇バスターミナル
仕様は日デP-U32Lの自社発注車でヒドンピラーの車両に準じるが、窓ガラスはブルーペンになった。
2003.5 那覇バスターミナル
2012.4 那覇(県庁北口交差点)
撮影時、琉球バス交通
琉球バス交通の標準塗装に塗り替えられた車両。日デ同様、あまり数は無かった。
2008.3 那覇(県庁北口交差点)
左に同じ。