●阪和電気鉄道→南海鉄道山手線→国鉄阪和線
1944年5月1日買収

<車輛解説 後篇>
●荷物車 
・モカ2000(2001〜2002)→モカ2001〜2002→モニ3200(〜3201)
 関西の電鉄らしく荷物電車も保有していた。モカ2001・2002の2両で、いずれも区間開業時の1929年に日本車両で製造された。窓の少ない側面に外吊りドアを持つ点は、大阪電気軌道等の荷電と共通の雰囲気であるが、こちらは車体長が13m級と短い
 軽量の貨物列車の牽引にも使用されたため、買収当時は電機機関車扱いであったが、1947年9月に電車扱いに変更になった。53年3月には宇部線に転属、また6月の改番では3000番台が付与されモニ3200・3201になった。その後54年1月にはモニ3200が豊川分工場の入替用に転用された。そして、1958〜1959年に廃車になっている。

●電気機関車 
・ロコ1000(1001〜1003)→ロコ1001〜1004→ED381〜4
 貨物牽引用の50t箱型電気機関車で、日本車両+東洋電機で製造された。張り上げ屋根やR付きの窓を持つスマートな車体で、デッキの有無はあるが、同時期に同じ日本車両で製造された愛知電気鉄道デキ400(現 名鉄デキ400)と一脈通じるデザインである。
 全線開通時の1930年に1001・1002の2両が先ず製造され、翌年1003が増備されている。1001・1002に比べ1003は窓が大きくなり、側面の鎧戸の数が変更になるなど、細部がいろいろ変更されている。
 これに対し1004は南海時代に製造が開始されたもので、1942年に車体は完成していたが、機器の新製が間に合わず、竣工は買収後の1944年6月で私鉄籍を持たない買収車になった。細部も変更になり、車体の帯の数が減少、またパンタが1つに減らされている
 当機の特徴として回生制動・発電制動を装備していたことがあげられるが、買収後に撤去されてしまった。また1004のパンタグラフは2基に増設されている。
 昭和27年の改称でED381〜4に改番された。ずっと阪和線を離れることはなかったが、1959年に先ずED384が廃車になった。残る車両も1960年に廃車になったが、ED381・ED383が秩父鉄道へ、ED382が大井川鉄道に譲渡され、秩父では車番を変えずに、大井川ではED105に変更して使用された。このうち大井川の車両は、1967年に秩父鉄道に譲渡され、ED382に番号を復活して使用、ここに3両が再び集結した。
 秩父鉄道では最も大きな電機であったが、牽引力は小さく戦後製電機が充実すると共に余剰になった。 先ずED382が他車への部品提供用として1974年に休車(1980年廃車)、ED383が1981年に廃車になった。残るED381も休車状態になり、1988年に廃車になったがそのまま広瀬河原工場に残り、三峰口車両公園の開園に伴い、同所で保存・展示されている。
ED38
秩父鉄道 ED38 1 (阪和ロコ1001) 1993-10 三峰口

・ロコ1100(1101)→ロコ1101
 ロコ1000と同じ、日車+東洋電機で1930年に製造された電機であるが、こちらは入替用の凸型機である。
最大の特徴は、1500V架線電圧でありながら直接制御を採用していることである。
また、車体はキャブの出入口を妻面に設けた関係で、ボンネットが車体中心線に対しオフセットされている。
 製造当初から廃車になるまで天王寺駅の入替で使用された。1949年、近江鉄道に貸出しされ、翌年正式に廃車・譲渡された。近江でも主に入替用として使用され、現在も車番を変更することなく、彦根工場の入替用として使用されている。
ED38
近江鉄道 ロコ1101 (阪和ロコ1101) 1995-8-16 彦根

・ロコ1150(1151)(買収対象外)
 いわゆる東芝戦時凸型電機(40t車)である。当初、南海では山手線むけにロコ1000型2両の増備を目論んでいたが、当時車両製造には統制会の許可が必要で、その代替として割り当てられたものである。この車両も東武に在籍する同型機と同様、本来は海南島向けに製作されていたものである。
 2両の割り当てがあったものの、入線したのは1輌のみであった。買収対象から外されて南海線に転属、ED5151型になった。戦後、同型機のED5152〜5154(但し5154は南海に入線せず三井石炭鉱業 三池に譲渡されている)を増備した。当車は1978年除籍・解体されている。

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