●伊那電気鉄道→国鉄飯田線(天竜峡〜辰野)
1943年8月1日買収

<路線概要>
 飯田線4私鉄のうち、最も北に位置するのが伊那電気鉄道で、最も距離が長かった。当社は中央線が木曾谷(中仙道)を選択したことにより、同線が通らなくなった伊那谷の三州(=三河の意味)街道に沿って鉄道を敷設することを目的に、1895年に辰野〜飯田間の路線敷設の特許が出願されたことに始まる。1897年には特許がおりるが、日清戦争などの余波で会社設立が遅れが、1907年にようやく伊那電車軌道が設立、そして1909年に西町(辰野駅南側)〜松島(現 伊那松島)が開業した。この区間は現在線とは異なる場所を走る路面電車であった。1912年には伊那町(伊那市)まで現在線のルートで到達している。また、人力車夫の反対で開業で難航していた国鉄辰野駅乗り入れを1916年に実現させた。
 伊那町以南は軽便鉄道法に従って建設され、かなり小刻みに路線を延長した。その間の1919年には社名を伊那電気鉄道に変更、1923年3月には辰野〜松島を新線の鉄道線に切り替え、軌道法適用区間を鉄道法適用に改めている。そして、12回目の延長開業となった1923年8月3日に、漸く飯田まで開業した。
 一方、飯田以南は飯田電気鉄道の免許線を譲渡したものである。4回に分けて開業し1927年12月1日に天竜峡まで開通した。
 なお架線電圧は当初600Vであったが、1925年に1200Vに昇圧された。1500Vになるのは買収後のことである。
また、松島に存在した工場は立派な施設を持ち、自社車輛の製造のみならず他社の注文に応じて車輛製造を行うこともあった。

伊那松島に残る変電所 1996年3月14日

▼伊那電気鉄道 車輛解説 前篇へ
▼伊那電気鉄道 車輛解説 後篇へ

▲買収国電のプロフィール 表紙へ
inserted by FC2 system