●伊那電気鉄道→国鉄飯田線(天竜峡〜辰野)
1943年8月1日買収

<車輛解説>
●電気機関車 変遷表はこちらです。

・デキ1(1〜6)→デキ1→ED31 1〜6
 伊那電では貨物が多く電機を9輌も所有していた。このデキ1〜6は(1926年まではデキなし)1923年芝浦製作所+石川島造船所製で、伊那電初の電機機関車であり、黎明期の国産電機に属する。キャブが大きく窓が小さい独特の形態をしている。1952年改番ではED311〜6になった。
 1955〜1956年に除籍され、ED311〜312は西武鉄道、ED313〜315は近江鉄道、ED316は上信電気鉄道に譲渡された。このうち、西武の車両は1960年に近江に再譲渡され、同社はED311〜315の5両を確保した。当時の近江鉄道は住友セメントやキリンビールなど非常に貨物輸送量が多かったが、徐々に縮小され1986年に廃止された。その後、1991年にED315が正式に除籍(但し、彦根工場裏に放置)されたが、残る4両は一部が工事列車用に使われ、普段は彦根工場に留置されている。
 一方、上信では当初から箱型電機の種車として確保したようで、1960年に現在の箱型車体に改造された。しかし、車体中央の小窓の位置からわかるように、箱形車体は新製ではなく凸型時代のキャブの改造である。主に高崎〜南高崎の貨物輸送で使用されたが、現在は失業状態で今後の予断は許されない状況にある。
左 近江鉄道ED314 (伊那デキ4) 1995年8月16日 彦根
右 上信電鉄ED316 (伊那デキ6) 1995年8月22日 高崎

・デキ11(11)→デキ11→ED32 1
 1927年三菱電機+三菱造船製の凸型電機で、同型機が三河鉄道(→名古屋鉄道)に在籍している。1952年改番では、ED321なった。
 1960年に岳南鉄道に譲渡され、番号変更せず活躍していた。しかし貨物量の減少に伴い、晩年は休車状態で岳南江尾駅構内に放置されていた。1988年に除籍・解体されている。


・デキ21(21〜22)→デキ21→ED33 1〜2→ED26 11〜12
 1929年、芝浦製作所製の箱型(デッキ有)機で、国鉄ED11・ED14(ゼネラル・エレクトリック製)を模して製造された。1952年改番では、ED33 1〜33 2に、1961年改番でED26 11〜26 12になった。
 国鉄機に近かったためか、1973年まで国鉄で使用され廃車になった。最後まで飯田線を離れることはなかった。
・類似車輛参照


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