●富士身延鉄道→国鉄身延線
1941年5月1日買収

<車輛解説>
 当線は電化にあたり鋼製の電動車と制御車を新造したが、これに加え非電化時代からの客車も付随車に改装して使用していた。買収後も陣容は基本的に変わらず、買収車の転入も1948年以降、三信・青梅の車輛が多少転入した程度である。しかし、1950年以降、当線に標準設計車を転入させて、富士身延オリジナル車は順次、飯田線(旧伊那電区間)に転属していった。
 その、身延線用標準設計車のほうが買収車よりも有名かもしれない。モハ50系鋼体化車の2扉版である、モハ62−クハ77(後のクモハ14000−クハ18000)は知る人ぞ知る車両である。また、身延線独特の低断面トンネルにあわせて、モハは屋根を低屋根化(パンタが折り畳まれないようにするため)し、独特の風貌になった車両も多い。その他、73系の台枠以下に113系の車体を載せた62系電車の存在も忘れられない。
 買収車は大きく分けて鋼製車と木造サハに別れるのでそれに合わせて説明する。


●旅客車(1)鋼製車   変遷表はこちらです。
・モハ100(100〜105)・110(110〜115)→93(モハ93000〜008)→モハ 1200(〜1208)
・クハユニ300(300〜303)      →95(クハユニ95000〜003)→クハニ7200(〜7203)
・クロハニ310→クロニ310(310〜311)→96(クハニ96000〜001)→クハニ7210(〜7211)

 1927年日本車両製のモハ100〜105と1928年新潟鉄工所製のモハ110〜115は16m級鋼製車で、ブリル台車(110はTR-14系)に2丁パンタ、ステップ付きドアを持ち、ドア間には16個の窓が並ぶクロス車であった。国有化後は一形式にまとめ、モハ93000→モハ1200と変遷した。
 制御車はいずれも合造車で、クハユニ300〜303クロハニ310〜311の2形式が存在した。モハと違いこちらは全て日車製である。このうちクロハニ310は便所付、そして珍しい2等室付きで、その部分はロングシートという今とは正反対も車内であった。が、ただでさえ運賃が高かったため2等の利用者は少なかったらしく、クハニに改造されている。また、電動車は裾がドア部で垂れ下がっているが、制御車は一直線である。

 戦後は全車飯田線に転出し、モハは台車の振替(ブリル→DT-10、TR-11)、片運転台化、乗務員室の設置および乗務員室扉取り付けなどが行われた。1950年代後半に廃車となったが大半が地方私鉄に入線している。

 このうち、モハ1207は東横車輛で両運転台に改造・整備の上、長岡鉄道(→越後交通)モハ5001になった。1975年の廃線まで使用された。
 高松琴平電鉄にはモハ1202クハニ7202が1201-1202として入線した。クハニは荷物室を撤去、売店も設置し、琴平線の急行編成「りつりん」として特別塗装で使用された。しかし、売店は殆ど使われず、急行の利用客も伸びず結局1960年に一般車に格下げ、ロングシート化されている。それでもドアが両端によっていることが災いし、1981年に除籍された。
 弘南鉄道には、モハ4両・クハユニ1両、クハニ2両と大量入線し、モハはステップ撤去(裾の切れ下がりはそのまま)、3扉化(モハ2250を除く)された。1970年代になると同社は弘前電気鉄道を買収し大鰐線としたが、当系列は木造車中心で車輛体質改善が急務だった同線に順次転出、一部の車輛は1988年頃まで使用された。ただ、制御車のほうは1970年代後半に一足早く除籍されている。
 大井川鉄道ではモハ2両、クハ1輌を購入している。このうちモハ306(モハ1206)は西武所沢工場で現車は裾を一直線に改造、そして正面窓をHゴム化改造している。この車は昭53に廃車になった後新金谷の構外側線に、放置されていた。またクハ505(クハニ7203)は晩年、蒸機列車の客車になっていた。
 
弘南鉄道クハ2251(左 身延モハ101)、モハ2252(右 身延モハ104) いずれも現在は除籍・解体
2251は晩年は電装解除され、制御車になっていた。(いずれも画像提供:コトキチ様)


大井川鉄道モハ306の廃車体(富士身延モハ110)
1998-8-1 新金谷(構外側線)


●旅客車(2)木造車 ・サハ50(50〜53)/サハ60(60〜62)/サハ70(70〜72)→26(サハ26000〜010)
 先述の通り蒸機時代の客車の改造で、もとはホハ50、ホロハ60、ホハフ70の3形式だったが国有化後はサハ26に統一された。3両が解体された以外は、職用客車に改造されたが、いずれも1950年代に廃車になっている。


●電気機関車
・200(200〜204)→ED20 1〜4         →三信鉄道デキ501
 1926〜1927年川崎造船製の箱型電気機関車である。200は買収前に三信鉄道に転籍しそこで買収されている。ただ、富士身延から買収された車輛がED20 1〜4と国鉄番号になったのに対し、三信から買収されたほうは、身延線に戻されたもののED20に編入されることもなく、戦後早くに廃車になり吹田工場で倉庫として使用されていた。
 ED201〜4は阪和線に転属し客車列車等の牽引に使用された後、浜松機関区に転属(2両は仙石線経由)し、1959年に除籍になっている。

・210(210〜212)→ED21 1〜3
 1928年日立製作所製の箱型電気機関車。典型的な日立型で、同系機として南武鉄道1000(のちのED34)や長野電鉄ED5000型が存在する。
 国鉄型でも使い易かったのか、飯田線または大糸線に転属したもの、ED21 23は1973年まで使用された。
・類似車輛例参照


▲富士身延鉄道 概要へ

▲買収国電のプロフィール 表紙へ
inserted by FC2 system