●宮城電気鉄道→国鉄仙石線(旧 松島電車を除く)
1944年5月1日買収

<路線概要>
 買収国電のラストを飾るのは仙石線の前身、東北随一の電鉄であった宮城電気鉄道、通称「宮電」である。1922年に設立された当社は、1925年に仙台〜西塩釜に開業したことに始まる。その後徐々に延長して1928年に石巻までの全線が開通した。女川や西仙台方面への延長構想もあったようだが日の目を見ていない。
 当線は、仙台市の土地柄か当時最先端を行く関西の諸電鉄に負けずとも劣らない、立派で先進的な施設を持っていた。つまり、省型にあわせた建築限界や、シンプルカテナリー式架線、鉄柱の架線柱、色灯式信号の全線に渡る採用などがその例である。そして、単線で僅か280mだが、日本最初の地下鉄駅となった仙台駅がその代表といえる。国鉄駅の真下に作られ同駅は、アーチ式の美しい壁面と支柱のないホーム、そして動線を考慮した通路など、かなり先進的な思想に裏付けられた施設であったようだ。その他、変わった投資例では仙台〜西塩釜、石巻〜赤井間で複線化分の土地を取得し、単線分の土地を掘って隣接する開業線の築にあてた。
 しかし、開業後暫らくは恐慌の影響で経営難が続いたため、数々の施策を行い経営常態化前への努力を行なった。特に松島の観光開発には力を入れ、行楽電車の運行、そしてガイドガールの乗車を行なった。そうした中で1934年から経営が好転したが、時代は徐々に暗さを増し、当線は1944年5月1日に買収されてしまう。理由は矢本の工廠への輸送強化であるが、実際には東北線の貨物輸送強化用であったと言われる。
 仙台の、いや東北の華であった宮電も、国鉄にとっては単なるローカル線に過ぎず、また東北地方という立地条件も加わってか、やはり私鉄時代の投資資産を食い潰すだけの消極的経営であった。当然ながらガイドガールの復活などなかったし、最大の特徴だった地下線も、1952年に輸送力増強のために仙台駅を現在地に移転したことに伴って、その連絡地下道になってしまった。その後、40年経って陸前原町〜仙台間を地下化することになったのは皮肉な巡り合わせである。

 なお、1939年5月10日付けで松島電車より、松島駅前〜松島海岸の軌道線を譲り受けている。だが、買収当日より運転を休止し、宮電が買収された1944年の12月30日に正式に廃線、宮電も程なくして解散している。

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