●南武鉄道→国鉄南武線(旧 五日市鉄道区間を除く)
1944年4月1日買収

<車輛解説 後篇>
●旅客車(3) 木造車と鋼体化車輛    変遷表はこちらです。
形式はモハ500、クハ210、サハ200であるが形態的に分けて説明することにする。

・モハ500(501〜502)
・モハ500(505〜506)→モハ500→モハ2020(〜2021)
 モハ501・502は国鉄モハ1系の払い下げ車輛で1937年に入線した。同じモハ1系払い下げで両運転台のモハ401・402があったが、こちらは鶴見臨港鉄道に譲渡されている。
 1942年にはこのモハ501・502の電気部品を利用して、モハ505・506が日鉄自で製造され、モハ501・502は休車(44年除籍)になった。モハ505・506自体は当時の日鉄自標準型で、武蔵野クハ5560と同型である。買収後は福塩線に転属し、1953年改番ではモハ2020〜2021になった。この車輛も1955年に富山港線に転属し、1965〜1966年に除籍されている。
類似車輛例参照


・モハ500(503〜504)→モハ500→クハ6020(〜6021)
・クハ250(251〜254)→モハ500
  同じモハ500でも、モハ503・504は1940年に木南車輛で国鉄の木造荷電を種車に鋼体化した誕生した車両で、上記車輛とは窓配置も大分異なっている。戦後すぐに西武農業鉄道に貸し出されたこともある。その後1949年に身延線に転出しTc化、その後福塩線に転出し、1953年改番では腸捻転改番になり、モハ504・503の順にクハ6020、6021に改番された。1959〜1960年に廃車されたが、クハ6021は伊豆箱根鉄道に譲渡され、クハ25として大雄山線に配置された。1974年に除籍されている。
 一方クハ211〜214は同じ車体を持つ片運転台の制御車で、1939〜1940年に木南車輛で製造された。台車は南海中古のブリル27GE‐1という短軸距の台車を使用していた。買収後これが仇となり、1948〜1949年に除籍されている。このうちクハ213・214は常総筑波鉄道に譲渡され、当初は客車として使用されたが、後に台車はそのままでディーゼルエンジンを取り付けて気動車化し、キハ40084・40085となった。なお中ドアを埋めて、2ドアとなっていた。機械式変速のため1972年に除籍されている。


・サハ200(201〜203)サハ200
 いずれも1939年、木南車輛製の付随車っということになっているが、実際は関西私鉄が鋼体化に伴い破棄した木造車体に、やはり中古のブリル台車をとりつけたものである。車体はそれぞれ、サハ201、202はもと阪神電鉄、サハ203がもと南海鉄道(残された写真からもと電1型1〜24と推測される)である。多客時でどうしても車輛が必要なとき以外は殆ど稼動しなかったらしく、買収後サハ201は矢向電車区の食堂になっていたらしい。全車1947〜1949年に除籍されている。


●電機機関車
・1000(1001〜1004)→1000→ED34 1〜4→ED27 11〜14
 1928〜1929年に製造された、日立製作所製の箱型(デッキなし)機関車で、富士身延鉄道211型と同系である。1952年改番ではED341〜344、1961年改番ではED2711〜14となった。一貫して南武線・青梅線の貨物列車牽引に使用され、1968〜1972年に除籍された。このうちED2712は岳南鉄道に譲渡されたが、目立った活躍もなく、1973年に除籍された。
・類似車輛例参照


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