●青梅鉄道→青梅電気鉄道 →国鉄青梅線(立川〜御嶽ほか)
1944年4月1日買収
●奥多摩電気鉄道(未開業線)→国鉄青梅線(御嶽〜氷川)
1944年7月1日買収

<車輛解説 後篇>
●旅客車(2) 鋼製車
B.木南車輛製造車
   変遷表はこちらです。
・クハ501→モハ501(505〜508)→モハ501→クハ6120
 モハ501型の追番であるが、形態は全く異なり、1940〜1941年木南車両製の18m級車である。窓が大きく明朗な車輛で、また両端の客ドア間の裾が一段下がっているのが特徴である。
 当初、資材不足で制御車として入線したが、1942年にクハ505・506が予定通り、新品で電装しモハになった。しかし、507・508は暫定的にモハ1001型の電動機を流用し、結局そのままで買収されてしまった。買収後、モハ506が衝突事故を起こして休車、1949年に正式に除籍され相模鉄道に譲渡された。同社では、やはり電気機関車代用の荷電モワ4として使用された後、1953年にモハ2013として旅客車に復帰した。1971年に除籍されたが、同じ2000型モハ2015・2016(井の頭線モハ1400型戦災車の代枠流用車)と共に西武所沢工場で整備の上、伊予鉄道に譲渡されクハ431になった。この時、裾が一直線になり、またノーシル・ノーヘッダー化されている。その後附随車化(サハ531)さtれた後、1991年に除籍された。
 一方、残り3両はTc化されたものの他線区に転出して活躍した。このうちモハ507・508は飯田線で簡易荷物車として利用された。1953年改番時には福塩線および宇部線に在籍し、508、505、507の順にクハ6110〜6112になった。1955〜1959年に除籍された。

伊予鉄道サハ531(青梅モハ506 現除籍・解体)
1990-8-2 松山市

・サハ701→クハ701(701〜703)→クハ701→クハ6120
 上記のモハ505〜508と同時期に製造された車両で、1941年、木南車両製。名義上は国鉄の雑型ボギー車の改造扱いである。当初附随車であったが、運用上不便なことから、買収直前に制御車に改造されている。このため、乗務員扉がなかったが、これは国有化後に取り付けられている。なお、車体はモハ505〜508とほぼ同一だが、裾が一直線であった点が異なる。
 国有化後、クハ703が衝突事故を起こし休車になり49年に除籍、富士山麓鉄道(のちの富士急行)に譲渡された。両運転台の電動車に改造されモハ603になったが、この時客用ドアにステップがつけられている。その後、近代化改造でモハ3603になったが、1970年代後半に除籍されている。
 残り2両は身延線に転籍したが、1950年にクハ701が島内随道列車火災事故で焼失した。この車輛の台枠などは日本鉄道自動車に引き取られ、相模鉄道クハ2507として再生した(1970年除籍)。
 結局1両になってしまったクハ702は福塩線に転属し、1953年改番でクハ6120になったが、1956年に除籍されている。


●電気機関車
・青梅1〜4→1011〜1014→ED361〜2
 典型的なイングリッシュ・エレクトリック+ノース・ブリティッシュ製の箱型電機(デッキ有)で、1926〜1929年製。同型機が東武鉄道・秩父鉄道・総武鉄道(現在の東武野田線)などに在籍した。
 製造年の差などで微妙な差があり、また、パンタグラフの個数が時代により増減したことで、全車微妙に異なっていた。
 買収後、車番を1011〜1014に改番している。もと南武鉄道の1001〜1004と共通運用で使用されたためだが、こういった例は他になく珍しい。その後、1011・1012が1948年に除籍され、翌年に西武鉄道に譲渡され、41・42となった。
 残る2両は1957年改番でED361〜362に改番された後、1960年にやはり西武鉄道に譲渡され43、44となり、再び全車両が顔をそろえた。1961年にはE41〜44に改番されている。
 1976年に一足早くE41が除籍・解体された。残りは主として工事用として利用されたが、E31型の製造で1986〜1987年に除籍された。このうちE42は解体されてしまったが、E43は横瀬車輛管理所で、他の国鉄譲渡の輸入電機と共に保管・管理され、イベント時にお目にかかれる。またE44も歴史的車輛ということで、JR貨物が購入し新鶴見機関区に保管されている。


西武鉄道E43(青梅3 保存車)
1996-10-12 横瀬

・1021→ED371→ED2911
 こちらは奥多摩電気鉄道の発注車で、1944年芝浦車輛製である。俗に「海南島」と呼ばれる東芝戦時型凸電(40t機)で、東武、名鉄、京成などに同型が在籍した。なお、奥多摩は数輌を発注していたが、この1輌以外は買収前に他社に譲渡されたとも言われる。
 青梅1〜4の改番と同じ理由で1021と附番された。1952年改番ではED371になった。その後、仙山線→宇部線と転籍し、1961年改番でED2911に改番、最後は浜松機関区在籍していたが、1968年に除籍・解体されている。
・類似車輛参照


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