●三信鉄道→国鉄飯田線(三河川合〜天竜峡)
1943年8月1日買収

<車輛解説>
 三信で使用された電車は、全車木造省線およびその鋼体化車両である。このうち鋼体化された車輛は、制御車化されたものの最後まで飯田線に残ったオリジナル旅客車である。なお、電気機関車は富士身延鉄道から購入したデキ501が存在した。この車輛については同鉄道の項を参照して欲しい。
 なお、形式は「デ」であったが表記はデハ、合造車はデニであった。


●旅客車    変遷表はこちらです。
・デ200(デニ201〜202)→デハ200
・デ300(デハ301〜305)→デハ300→クハ5800(〜5804)
・デ300(デハ306〜307)→デハ300

 全車木造省線を購入した車両である。まず木造のまま入線したのがデ1〜4である。
1936年にはこのうちデ2デニ201に、デ3デ103(デハ303)に、また新たに購入した国鉄の荷電を種車にデ101(デハ301)、デ102(デハ302)が日本車輛支店で鋼体化され、また同時期にデ4は荷電(デハユニ1→デユ1)に改造されている。
 その後、1934年に木造のままのデ5デハ305に、デユ1デハ304に鋼体化されたが、施工場が変わり木南車両になった。また、同時に木南の手持ち部品を利用してデニ202<が製造されている。
なお、車内はいずれもクロスシートであった。
 これらのうち、デニ201は1943年の買収直前に焼失してしいる。また、デニ202は買収後の1951年に三河川合〜池場間のずい道内で火災を起こし、焼失してしまった(名義上はモハ70に改造)。
 一方、デハ301〜305は一時期一部が身延線に転属したが、基本的には飯田線所属を貫き1951年にTc化改造、1953年改番でクハ5800〜5804になった。その後1959年に全車除籍になり、私鉄に譲渡された。
 このうち木南製のクハ5803・5804は大井川鉄道に入り、クハ503・506になった。番号が離れたのは編成を組んでいたモハ503(もと豊川)、モハ306(もと身延)に合わせたためである。クハ503は1974年に除籍解体、クハ506は編成相手に合わせHゴム化などの更新工事を受けていたが、1978年に除籍。その後もブリエーツ・ロートホルン鉄道との姉妹鉄道記念車として1986年頃まで千頭駅構内に留置されていた。
 日本車両製のうちクハ5802は伊豆箱根鉄道に譲渡され、3扉化・再電装の上大雄山線で使用されていた。が、同線の昇圧に伴い除籍された。
 残りのクハ5800・5801は小湊鉄道に譲渡され、正面貫通路の設置、旅客ドアへのステップ取り付けの上で気動車に改造され、キハ5800・5801になった。トルコン付きであったが、キハ200型の増備に伴いキハ5801が1975年に除籍される。キハ5800は予備車となり残存していたが、1986年頃にイベントで走行したのを最後に、五井機関区の倉庫となり、1997年3月31日に正式に除籍された。


小湊鉄道キハ5800(三信鉄道デハ301 撮影時車籍有 現除籍)
1997年3月19日 五井

 一方、デハ307〜308はもと国鉄1系で、木造のまま再買収された。デハ306は1945年2月に、三河川合〜三河槙原で落石事故により三輪川に転落・粉砕し除籍あれている。残りのデハ307、308は電装を解かれて使用されていたが、1952年に除籍になり、大井川鉄道に払い下げられた。入線時に両運転台化、再電装・簡易鋼体化されてモハ301,302になったが、更に301は1963年片運・2扉化、302は1966年に片運化された。両車とも1970年に形式消滅したが、モハ301は鉄道記念物に指定され千頭駅に保存されていた。一時期状態が悪化し行く末が心配されたが、1995年にJR東海が引き取り、モハ1035に復元。1997年に完成した。


大井川鉄道モハ301(三信鉄道モハ301 撮影時保存)
現在はJR東海の手によりモハ1035に復元)
1994年3月18日 千頭

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