●信濃鉄道→国鉄大糸線(松本〜信濃大町)
1937年6月1日買収

<路線概要>
 「塩の道」として知られる松本〜糸魚川を走る大糸線は、信濃鉄道の手により1915年1月6日に松本市〜豊科を開業したのに始まる。
同年3月29日には松本市を北松本に改名したうえで南松本(=国鉄松本駅)まで延長。豊科以北も小刻みに延長し翌年7月5日には信濃大町まで全通している。
その後1926年1月8日には電化(架線電圧1500V)を行ない、電車・電機が走り始めた。

 一方、信濃大町〜糸魚川間は大糸線として国により大町、糸魚川双方から建設された。その大糸北線が糸魚川〜小滝,大糸南線が大町〜中土が開業していた1937年6月1日に信濃鉄道は国に買収され大糸南線に組み込まれた。しかし、戦時体勢により小滝〜中土間の建設は中止された。同区間が開業し大糸線が全通したのは戦後1957年8月5日のことである。電化区間も、1959年に信濃四ツ谷(現白馬)、1960年に信濃森上、1967年に南小谷まで延長されている。なお、現在は南小谷を境に北が西日本、南が東日本の管轄となっている。

 さて、信濃鉄道について語るとき触れなくてはならないのが池田鉄道である。同線は、信濃鉄道が本来通過するはずだったものの、高瀬川の架橋費用の関係で結局が通らなかった池田町に鉄道を引くことが目的で設立された。そして1926年9月に、アルプス追分(現信濃追分)〜池田を電化開業した。しかし、経営は苦しく合理化のために車輌をガソリンカー化に変更した(電車は信濃鉄道に売却)が、信濃鉄道が買収された後はいよいよ経営が苦しくなり、結局1938年に廃止された。この鉄道に関しては写真があまり残っておらず、高瀬川にかかっていた鉄橋の橋脚の一部が道路橋として、またプラットホームの一部が現存しているのが、この鉄道の唯一の形見である。

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