●豊川鉄道 →国鉄飯田線(豊橋〜大海/豊川〜西豊川)
●鳳来寺鉄道→国鉄飯田線(大海〜三河川合)

1943年8月1日買収

および
田口鉄道→豊橋鉄道田口線

<路線概要>
 飯田線と言えば、1970年代から1982年の置き換えまで旧型国電の宝庫として知られた路線であるが、もともとは4っつの私鉄を1943年8月1に買収した路線である。
 その中で最南部にあたる豊川鉄道の歴史は最も長く、1897年7月15日に豊橋〜豊川を開業させたのに始まる。その7日後に一の宮(のちの三河一宮)まで延長した。翌年には新城へ、1900年には長篠(買収後、大海に改称)まで開通した。その先は同社傍系の鳳来寺鉄道の手により建設され、1923年2月1日に大海〜三河川合を開通した。なお、両社あわせて1925年7月に電化(1500V)されている。
 この路線の支線にあたるのが本長篠〜三河田口間の田口鉄道である。主として御用林の切り出しを目的として、1929年5月22日に開業(電化1500V)している。同社は豊川と同じ車両を用意し、経営も同社に委託していた。

 3社は直通運転を行い、事実上1つの路線であった。豊川・鳳来寺が買収された後も、田口鉄道の豊川鉄道に対する経営委託は国鉄に引き継がれた。その後、1952年に運行を独立したが、1956年には豊橋鉄道に吸収合併され同社の田口線になる。それからも直通運転は続けられたが、1963年には中止になった。そして、水害等により1968年8月31日限りで廃止された。

 もう一方の支線、豊川〜西豊川は豊川海軍工廠への輸送のために1942年5月12日に開業した。戦後、同工廠の敷地は国鉄豊川分工場として再生し、当線もその専用線となった(旅客営業は1956年9月14日限りで廃止)。1963年に同工場は閉鎖されるが、翌年には日本車両豊川(蕨)工場として復活、現在はその専用線となっている。

 なお、豊橋〜豊川の複線区間のうち豊橋〜平井(信)は愛知電気鉄道(現 名古屋鉄道)と豊川鉄道の単線並列区間を複線にしたもので、以来共用区間となっていることは知られているが、かつては伊奈〜小坂井にも線路があり、愛電開業時は神宮前〜豊川の直通運転を行っていた。また豊橋側開通以降もこれを通じて名鉄、さらには改軌前の近鉄名古屋線の電車が飯田線や田口鉄道に乗り入れていた。この区間は1954年に名鉄豊川線が全通したことにより、廃止されている。また、鉄道を失った豊川、鳳来寺の両社は1944年3月に名鉄に合併されている。


1931年築の豊川駅(現解体) 1994-8 田口鉄道の廃線跡(本長篠〜三河大草間) 1995-8-21 

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