●宇部鉄道          →国鉄宇部線
●宇部電気鉄道→宇部鉄道→国鉄小野田線(一部)

1943年5月1日買収

<路線概要>
 山口県瀬戸内側の主要都市である宇部周辺を走るこの2路線は、会社の合併や買収後の複雑な路線変更の末、現在の路線網になった。
 この2路線を構成した私鉄は、宇部軽便鉄道(後の宇部鉄道)、宇部電気鉄道(後に宇部鉄道に合併)、小野田軽便鉄道(小野田鉄道)の3社である。
前2社が買収国電に関連する路線であるが、ここでは3社平行で説明したい。

 宇部軽便鉄道は1914年1月9日に宇部〜宇部新川を開業したのに始まる。1921年12月17日に宇部鉄道に社名変更する。
路線は1923年に床波、1924年に本阿知須へ延長、1925年3月26日には小郡まで全線が開通した。
1929年には電化(DC1500V)されている。

 一方、小野田軽便鉄道は1915年11月25日に小野田〜セメント町(現・小野田港)を開業した。
セメントの運搬を目的に敷設されたものである。1923年に小野田鉄道に改称している。

 そして、宇部電気鉄道は、沖ノ山炭鉱(後に宇部興産の一部になる)の系列で、新沖ノ山炭鉱で産出された石炭を宇部港に運ぶために作られた路線である。
1929年11月29日に新沖ノ山(小野田港付近)〜沖ノ山旧鉱(宇部港)を開業(電化600V)したことに始まり、翌1930年には沖ノ山旧鉱〜沖ノ山新鉱を延長している(公式・もともとは炭鉱の専用鉄道が敷設されていた)。
1937年に雀田〜本山(現・長門本山)を開業している。

 その後、1941年に同じ資本系統になっていた宇部電気鉄道と宇部鉄道が合併し、新たに宇部鉄道が発足した。

  長門本山を発車するクモハ42
  ここにはかつて炭鉱があった。1995年8月10日

 さて、セメントと石炭の拠点を走る当地の鉄道は、貨物輸送強化の観点から国有化されることになり、小野田鉄道は1943年4月1日、宇部鉄道は1943年5月1日に実施された。これにより、旧小野田鉄道区間は小野田線、旧宇部電気鉄道区間は宇部西線、それ以外は宇部東線になった。合せて、宇部新川→宇部、宇部→西宇部、沖ノ山旧鉱→宇部港に改称されている。

 買収後、輸送円滑化のために路線変更を計画・実施したが、私鉄時代からの建設計画があった宇部東線の岩鼻と宇部西線の居能の間に貨物用短絡線が1945年6月20日に完成した以外は、戦争の激化・空襲等により戦後に持ち越された。
 先ず1947年10月1日に、宇部西線の新沖ノ山駅を廃止しその雀田よりから小野田港までの新線を敷設して両線を一体化した。この結果、小野田線は宇部西線に編入された。なお、翌1948年2月1日には小野田線は再び小野田線になり、同時に宇部東線は宇部線に改称されている。
 1949年2月28日には宇部港駅の貨物取扱い強化のため、居能〜沖ノ山新鉱間のうち、宇部港駅を挟む西沖ノ山〜港町の旅客営業が廃止になった。残区間の旅客営業自体も1950年3月1日に休止されている。
 1951年3月1日には小野田線電化区間が昇圧(600→1500V)され、また同年4月に居能〜岩鼻、8月10日に小野田〜小野田港が電化され、宇部・小野田線全線が1500V電化された。

 そして、1952年4月20日には宇部新川〜居能間が完成し、併走する藤曲〜岩鼻間が廃止された。なお旧藤曲駅は宇部電車区となり、宇部〜藤曲間の線路は入出庫線として残った。また同時に、居能〜沖ノ山新鉱の旅客営業が正式に廃止して、ほぼ現在の路線網になったわけである。
 その後、1961年に沖ノ山新鉱〜宇部港間は廃止(実際には専用線化)された。また、1964年には、宇部を宇部新川に、西宇部を宇部と買収以前の名称に戻している。


※ 宇部港〜宇部(新川)間の貨物線の廃止期日は1952年であるが、実際の休止期日は不明

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