第一日:いざ異国の地へ 2002年12月29日(日)

  日暮里(京成電鉄)→成田空港(日本エアシステム)→仁川空港(バス)→
  金浦空港(地下鉄6号線)→カチ山(地下鉄2号線)→新道林(京釜電鉄線=地下鉄1号線)→
  ソウル駅(徒歩)→南大門〜市庁〜乙支路1街〜明洞

★ついに海外へ・・・
12月29日 11:30頃。
遠くどこまでも続く関東平野を空の上から見ていた。

恥ずかしながら?、今回がはじめての海外旅行である。
したがって、国際線旅客機なぞに乗るのもはじめてだ。
実は、飛行機が大嫌い(離陸時の前上下にかかるGがどうしてもなじめない)なのであるが、さすがに海外に船で行くほど暇ではない。

渡航手続きに機内食と、初めてのことも多く不安になる。
しかし、今回は一人旅主体の私には珍しく、連れ(大学時代の後輩)が一名いる。これが、海外旅行経験者なので大変心強い。
まあ、もとはといえば、この連れの「1都1道2府43県の次はぜひ海外へ!」という口車に乗ったのが、今回の韓国旅行の発端なのであるが。
しかも、「言葉は全部任せます!」と言い残したため、私は通勤途中の電車で必死・・でもないが、ハングルを覚えていった。もっとも、ハングルの成り立ちはローマ字と同じで、理屈は非常に簡単なのであるが。

広く青い日本海の片隅に、台地が見えてきた。
これが、韓国本土である。
はじめて見る異国の土地に感動すると共に、これからはじまる5日間への期待と不安が実感として涌いてきた。

私が乗った、日本エアシステムJD253便(エアバスA300)は慶尚北道の盈徳郡付近から韓国本土上空を飛び、朝鮮半島を横断してゆく。
地上のハングルが読めるほど近くなれば、いよいよ着陸である。

関東平野
●飛行機から見た関東平野 手前から手賀沼、利根川、筑波山

★仁川にてハングル講座
仁川(インチョン)国際空港には予定より5分ほど早くついた。
手続きと換金を済ませ、いざロビーにでようとした時、
ものすごい剣幕で空港職員に怒る韓国人のおばちゃんを見てしまった。
いやはや、韓国人は感情をあらわにするというが、早速凄いものを見せられた

さて、ロビーに出た私達が先ず探したのは、鉄道庁のカウンターである。
1月1日に行く慶州への往復の切符を確保するため(※ 韓国鉄道庁の優等列車は全席指定)である。
空港カウンターの指示に従ったところへ行ったのだが、それらしきものはどこにもない・・。
よーく見てみると、飾り気もなんにもないカウンターに「韓国鉄道庁」と書いてあるのを発見した。
おそらく普通の人は気付かないはずである。

正直、切符が売られているのか心配になったが、カウンターの女性係員(若い)に所望の列車をハングルで書いたメモを手渡したら、コンピューターを操作しだしたので一安心。
しかし、行きの列車は第一希望を確保できたものの、帰りかなわず、第二希望の列車になった。

この方、さすがに空港の窓口ということで、日本語も多少できる方だった。
「学生なら割り引きがありますが」と聞かれた。まだまだ、私も若い・・・と思ったら、連れ曰く、世界的には20代後半の学生なんて珍しくもなんともないのだとか。
しかし、学生証なしでも学割にしてしまうという大胆さは・・・・。

ちなみにセマウル(特急相当)、ムグンファ(急行相当)に乗るにもかかわらず、往復で約60000W。 10W=1円であるから、約6000円。日本では信じられない安さである。

切符を受けとりいざ出発・・と、そのとき、係員から思わぬ質問を受けた。
Have a nice day は 日本語では何というのか?というものである。
うーん、そんなことは考えたことがない。連れと顔を見合わせながら、「よい一日を」だけどそういう言いかたはしない、と答えてみた。でも、うまく通じて・・はいないようだ。

逆に、韓国語ではどうなるのか聞いたら、書いてもらえた。旅行前に覚えた知識でローマ字変換して発音してみるのだが、クスクスと笑われる。全く発音できていないらしい。
韓国語の発音のムズカシさには、このあと何度もパンチを食らうのであるが。

きっぷ
●韓国鉄道庁の長距離切符。JTBなどで出されるタイプに似ている。

★早速、電車マニアしてしまう罠。
さて、普通の人ならリムジンバスでソウルへ一直線・・なのであろうが、鉄に興味がある人間としては是非とも鉄道でソウル駅へ行くルートをとりたい・・と、ひねったコースを取ることに成る。
先ず、座席バスで金浦空港(キムポコンハン)へ、そして地下鉄を乗り継ぐルートである。

ほどなくしてやってきたバスに乗る。ラジオがガンガンかかっているのは、日本でも地方のバスで遭遇するが、目の前の道路が右側通行というのは新鮮である。また、それが広いのも印象的であった。
途中、建設中の空港連絡鉄道の用地を探したり(仁川空港への連絡橋は下段を通行する模様)、
開業して間もない仁川の地下鉄の車庫に目を奪われた自分に、やはりマニアなんだと感じてしまうのは悲しい性か。

金浦空港は、今はほぼ国内線用の空港であるが、仁川よりも栄えているようだった。
ここに地下鉄6号線の駅があるのだが、そこまでが遠いこと遠いこと・・・。上越線土合じゃないかと思うほどだが、これは国内線と旧国際線のターミナルの丁度真中に駅をおいたためらしい。

やっとのことで駅についた。ソウルまでの運賃は・・600W!?! 安い、安すぎる、十万石饅頭である。韓国の交通運賃は、この国の物価水準から考えてもべらぼうに安い
ちなみにソウルの地下鉄は2つの公社が運営し計8路線があり、そこに鉄道庁の通勤電車が6路線乗り入れているが、運賃は更に仁川市の地下鉄を含めて共通で、一つの会社のように扱われている。

 駅のホームに下りる。何か外国に来た気分がしないが、これはソウルの地下鉄は日本の技術協力で開業したことに関係しているのかもしれない
(ちなみに韓国語で地下鉄は「チハチョル」。これは、地下鉄を韓国語で発音したものだ)。
しかしコトなる点もある。
 電車がやってきた。あれ? 逆方向??。日本とコトなる第一点は1号線を除き、右側通行であることだ。そして・・・・電車に乗り込んだ私達が思わず呟いたのは「広い!」。
そう、韓国と日本のいちばんの差はこの電車の大きさなのである。日本よりも幅が30cm広いので、視覚的にも随分間延びしたように感じた。

駅を一つ二つと過ぎてゆく。すると、座席に何かを置いている人が・・・。それは、宗教の本らしい。
こういう車内での勧誘や物販は、よくあることだそうだ。我々のひざの上にも有無を言わさずに置いていった。

やがて、電車は途中のッカチサン駅についた。
すると、通路の向うに別の色の電車がいるではないか。思わず「衝動降り」してしまった。
ここでは地下鉄2号線の支線と接続しており、平面乗換えができる便利な構造になっている。
 なお、2号線は延長48Kmの環状線が本線であるが、車庫の関係で2つの支線を持っている。
その電車(2000系)は日本国鉄の201系にどこか似た車両として知られているが、車内のドアコックの表示が日本の国電のソレと同じデザインなのにはビックリした。

2号支線と2号本線との接続駅は新道林(シンドリム)である。
ここではソウル駅を通るメインライン、地下鉄1号線と直通する鉄道庁京釜電鉄線と接続するので、そちらに乗りかえることにした。
ちなみに2号線の新道林駅は本線が中央島式で、それを挟むかたちで支線が別別にホームを持つという、ちょっとややこしい構造になっていた。

地上のホームにあがると京釜線の電車はすぐにやってきた。
このあたりは通勤電車と長距離列車で路線別3複線になっている。
車窓の風景は日本のそれとあまり変わらない。ハングルと教会の十字架、そして高層アパートを除けば・・・。
夕暮れの漢江(ハンガン)を渡るとき、両岸のアパート群には圧倒されたが、これがこの街のエネルギーの一つに思えた。

★ソウル駅の博物館
さて、地下鉄直通電車はソウルの地下駅につく。
従って地上に出ないことには、レンガ作りの荘厳な駅はお目にかかることはできない。地上への階段の脇では、おばあさんがみかんやキムパブ(海苔巻)を売っている。
それにしても寒い。

振りかえるとレンガつくりのソウル駅舎がそこにはあった。
早速駅の中に入ると、駅舎の奥に橋上の新しい駅舎がつながっている。
ここから長距離列車および一部の近距離列車が発着するが、広いロビーは人で埋め尽くされており、大変な賑わいである。
その片隅には、本家「ロッテリア」と日本からは撤退した「バーガーキング」が。今日は無理だが5日間のどこかで入ろう。
ソウルヨク
●ソウル駅(3日目 12月31日撮影) レンガ積みの部分はエントランス。

このソウル駅に来た目的のひとつが、鉄道博物館の分館である。
レンガ駅舎の一部を利用した展示室は、あまり大きくないが、施設や歴史について展示され、車輛や駅の大型模型もある。なかなか充実している。
また、ここでは特に日本統治下のことについても分け隔てなく展示されていた。

現在建設が進められているKTX(韓国版TGV)には多くのスペースが裂かれていたが、そこで放映されるPVが、フランスロケばかり。
日本でもいわれて久しいが、このプロジェクトの行く末に一抹の不安を抱くのであった ※1)。

窓口で、絵葉書セットを買ってあとにした。


★ゆかいな明洞 たのしい明洞
さて、ソウルに来たという実感が今一つである。
そりゃ、周りの看板はハングルだから韓国にいるというのはわかるけど・・・・。
ということで、まず駅から近い南大門(ナムデムン)へ。さすがにこれを見れば、いやおうなくソウル到着の実感が沸く。

このあと、かのサッカー応援で有名になったソウル市庁の前を通り乙支路入口(ウルチロイブク)駅方面へ。
片側5車線と道は広いのだが、その分歩行者は地下道を迂回しなくてはならず、歩くものにはやさしくない町である。
地下道には小さなスペースの商店が多く並んでいる・・なんとなく名古屋の栄にでもいる感じがした。
そして、なぜか青森県など東北地方各県の電照広告が並んでいるのであった。
南大門
●夕闇の南大門。


今日が日曜であるためか、先ほどの地下街も含めて開店している店もまばらだった。
が、乙支路からソウル一の繁華街、明洞(ミョンドン)へ差しかかると、町は一気に賑やなった。
道の両側の店、そして路上には多くの露店が並び、多くの人が行きかい、実に活気にあふれている。また町を歩く人の年齢がバラバラで、また中が良さそうなのも印象に残る。
この明洞、日本ではよく「ソウルの銀座」と言われるが、実態はアメ横や新宿駅東口をもっと賑やかにしたようなものに感じた。

 さて時刻は18:30、韓国で初めての食事である。
異国での食事は期待と不安がつき物だが、ハングルを読めても意味がわからないのでなおさらだ。
それでも、あまり日本人擦れしてない店を選んで入った。
 注文のあと食卓には次から次へと漬物が並べられる。
これはどこの食堂に行っても出てくるサービスということであるが、採算は大丈夫なのか余計な心配をしてしまう。
最も、漬物が食べられない私には関係ない話ではあるのだが。
 キムパブ(海苔巻)、トッポッギ(細長い餅を唐辛子スープで似たもの)、石焼ビビンバ、プルコギ(肉、葱、白滝、餅)を頼んだ。このうち、トッポッギの辛さは強烈だったが、ビビンバとプルコギはとにかく美味しかった。
今思えば、これが残り全日通して最良のディナーだったのである。

 食後に足を伸ばして、南大門市場(ナムデムンシジャン)に行った。すでに多くの店が閉まっていたが、
道を埋め尽くされた屋台に、日本からは沖縄の牧志等の一部を除き消えてしまった市場の熱気を なんとなく、感じることはできた。
ここに「京城」を名乗る店があったのはビックリ。これって禁句じゃないのか?!?
そして、眼鏡屋の殆どが日本人相手に商売しているのは、何か恥ずかしいような気がした。

そして、新世界(シンセゲー)百貨店はクリスマス飾りで綺麗だった・・・って今日は12月29日。
ここでは何時までクリスマスなんだろう・・・・・・。

★本場のBoA
日本の旅行会社で予約していった、明洞駅近くのホテルにチェックインした。
早速TVをつけると・・・どこかで聞いたことがあるようなメロディーが、
・・・BoAじゃないか、それも「奇跡」(韓国語では「キジョク」)である。
韓国語を歌うBoAというのは何か新鮮・・・って本末転倒なことを思ってみたりする。

そして、延々と続くのは音楽番組、韓国のレコ大みたいなものらしい。
でも、女の人の顔がどれも同じに見えるのはどうしたものだろう。みなおでこが広い瓜実顔で、髪は長い。
丸顔やショートカットは流行らないらしい。
ということで、BoAは韓国でも受けるんだろうけど、ジニー・リーやソニンは受けない顔なんだろう。
なお、私自身はBoAよりジニーの方がタイプである。

明日は今回の旅のメインイベント、板門店ツアーである。


その後の変化
※1)KTX(京釜高速電鉄線)は2004年4月1日、南ソウル信号所(始興駅付近)〜東大邱の高速新線が開通し、営業運転を開始した。
新線以外は在来線を走行する。

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