第二日:ここは北朝鮮 2002年12月30日(月)

  明洞(徒歩)〜市庁〜景福宮〜
  ロッテホテル「板門店ツアー」臨津閣→キャンプボニファス→板門店
  ロッテホテル(徒歩)〜鍾閣(永豊文庫 地下鉄1号線)→東大門(地下鉄4号線)→明洞

★まずは景福宮
 今日は板門店ツアーに参加するが、集合時間は11:30である。
午前中はソウル市内に幾つもが点在する旧宮の中から、景福宮(キョンボックン)へ行く。

まず、新世界百貨店、韓国銀行の前を通りソウル市庁へ。この前にもクリスマス飾りがある。
ちなみに、いずれも日本統治下の建築物である(京城三越百貨店、朝鮮銀行、京城府庁)。
新世界 市庁
●新世界百貨店(左)とソウル市庁(右) いつまでクリスマスをやっているのか・・

ここから景福宮の前に立つ光化門(クヮンファムン)まで1直線に伸びるのが世宗路(セジョンノ)である。
世宗とは10000W札に描かれて入る李朝の世宗大王のこと。
上下計16車線という日本では考えられない道幅で、韓国でも最も広い。
NHKニュースのソウルからの報告の際、背後に光化門とこの道が映っているが、これが片側8車線分だと知って愕然とした。

朝食はこの道端にあった、これまた日本からは撤退してしまったDUNKINドーナツで摂った。
お茶がメチャメチャ甘ったるかった。というか、あれはお茶だったのだろうか?
世宗路
●世宗路 画面の部分は片側分の車線・・・広すぎ

そして、その光化門についたが、この前の道も上下計12車線という幅である。
ということで、やはり横断する場所がない。一旦300m程西に行って、この12車線道路を渡らなければならなかった。やはり歩きづらい町である。

やっとのことで中に入る。だだっ広い敷地があるが、ここにはかつて朝鮮総督府が立てられていた。
日本で言ったら二重橋前にホワイトハウスの子分が立てられたようなものだろう。
光化門 光化門
●光化門 (左)向こう岸は遠し (右)ここに総督府があった

入館料は900Wと安かったが、メインの勤政楼は修理中なのが残念であった。入場者は中国人観光客が多い。
また、宮の中の池が丸ごと凍っている。朝の気温は氷点下5度であり、日本では東北地方の気候である。

さて、鉄道マニア的に気になる物件が一つ。
かつてソウル市内を走っていた路面電車の復元車体というが、博物館の前に置いてあった。
しかし、ベニヤ板か何かで作ったようなハリボテで、目が点になってしまった。
光化門
●なんだこりゃ?


気がついたら10:30である。
ロッテホテルへと歩き出した。裏道をとおっていたが、少々派手目の看板が並ぶ裏道に韓国を感じた。


★板門店ツアー (1)臨津閣まで
ロッテホテル2Fの片隅にある板門店ツアーセンターで受け付けを済ませ(注:ツアー参加には事前予約が必要)、11時30分、いよいよ板門店へ出発する。
このツアーは外国人専門で、国別にわかれている。従ってバスの中の客は全て日本人である。
ツアーガイドは鄭さんという女性の方で、解説は全て日本語だった。
バス
●ツアーの貸切バス ホワイトツアーってどんな意味?

バスはソウル西部の繁華街、新村(シンチョン)を抜けると、漢江沿いの道「自由路」を走る。
日本で言うところの高規格道路にあたるが、将来、韓半島が統一されたときは板門店から開城(ケソン)、そして平壌へつながる主要道路になることを想定している。
なお、韓国では、朝鮮と言う言葉は歴史上の李氏朝鮮などに基づいた固有名詞を除き使わない。
従って、朝鮮半島は「韓半島」であり、北朝鮮は「北韓」という。また朝鮮戦争は「韓国戦争」といい、今回のガイドの説明でも印象に残った。

38度線の休止協定に至るまでと現在の板門店に関する話、そして韓国の徴兵制度(26ヶ月で病弱者と極一部の特例を除き青年男子の義務)を聞きながらバスは走って行く。今回はじめて知ったのだが、38度線は、日本統治下時代の管轄軍の分解線であり、それが米ソの分割ラインにそのまま流用され現在に至るということだ。

ソウルの市街を抜けると、やがて漢江沿いには鉄条網が張り巡らされ、緊張感は高まる。しかし、反対側には遠く高層アパートも見える。かつてソウルより北側は北朝鮮を警戒して宅地開発が進まないかったそうだが、状況は変わったようだ。

車窓の川は、漢江からやがて臨津江(イムジンガン)に変わる。日本人には「イムジンガン水清く〜」ではじまる歌で知られるが、この歌はもともと北の歌であるので、韓国では安易に口ずさまない様に・・。
そしてバスは昼食を取る、臨津閣(イムジンガク)についた。

臨津閣は、北に故郷を持つ南の人(失郷民)が望郷の念を託す場所で、公園のように整備されている。
最近では南北鉄道連結工事に伴い、約50年ぶりに鉄道の京義(キョンウィ)線がムン山(ムンサン:ムンはさんずいに山)からここを通って休戦ライン寸前の都羅山(トラサン)まで復活したことで知られる。

鉄道マニア的には、鮮鉄時代に製造されたミカサとハ9が保存されていることが注目される点だろう。
今回、確認したところ、更に店舗としてピドゥルキ号用客車が2両、追加されていた。
臨津閣の保存車
●臨津閣の保存車 くわしくはこちら

機関車は北側に連結されており、それは半島の統一を願う気持ちを表したものかもしれない。

一方京義線は、この臨津閣の脇を通って、臨津江を渡る。
そもそも、この臨津閣自体が京義線の旧上下線の間に立っているのである。
臨津閣
●臨津閣の展望台から見た臨津江 左の橋梁と右の橋脚のコントラストが痛々しい

その、臨津江にかかる鉄橋は旧下り線側には真新しいバラストに続く2本のレールが伸びているが、旧上り線側は破壊されたまま橋脚だけが並んでいて、対照的な光景を見せている。
鉄道復活までは、この旧下り線側の橋が板門店へ通じる道路橋として使用されていた。

ここで鉄条網を間近に見る機会があった。
ここに使われているのは、日本の有針鉄線のような生易しいものではなく、
カミソリの刃が取りつけられているという強烈なものである。
臨津閣
●自由の橋 上の画像で中央にかかっている木橋 一般開放されたのは2000年

なお、京義線はこの臨津閣までは一般人でも乗車可能であるが、ここから都羅山までは、ここで立ち入りを登録しないと乗ることができない。
臨津閣が自由に立ち入ることができる最果てである。


★板門店ツアー (2)分断の地に立つ
昼食と見学を終え、再びバスに乗り自由路に入る。
道路には戦車止めのコンクリートが覆い被さり、除々に緊張感が高まる

そして、臨津江を渡る自由大橋の前でパスポートの確認を受ける。
いよいよ立ち入り制限地域である。橋の上にはバリーケードが置かれているため蛇行運転になる。
橋の先の道路も非常に立派なのは、いつ来るかわからない統一後のこと考えてなのだが、
この気持ちは、結局は私たちには理解できないものだろう。

さてバスは、国連軍のキャンプボニファスに着いた。
このボニファスという名称は、板門店で発生した斧蛮行事件で犠牲になった少尉の名前を取ったものである。斧蛮行事件はあまり知られていないが、それまで南北の共同管轄だった板門店の中にも休戦ラインが敷かれ、互いがこれを越えられなくなった、きっかけを作った事件である。

私達板門店ツアーの参加者は国連軍のゲストとして板門店に入る。
ここで、板門店に関するスライドを見るのと同時に、「命の保証は致しません」という内容の誓約書にサインをする。
そして国連軍ゲストのバッジを取りつけた。

UNブルーのバスに乗り換えて、いよいよ板門店へ向かう。
ここからは、国連軍兵士も同行する。いざというときの安全確保のためだ。
ところで、この板門店の少し手前に南側の農村があるのには驚いた。
大成洞(テソンドン)という人口230名程度の小さな集落であるが、場所が場所だけに、税金と兵役を免除されている。
但し、ここから出ることはできても、ここに移住することはできないそうだ。
また、ここで収穫された米は「DMZ米」として売られている。
皮肉なことに休戦ラインの近くで開発がないために水・空気が綺麗なため、美味しいそうである。

板門店のゲートで待たされる。
警備上の都合で、同時に立ち入れるゲストの数は90人までという制限があるためだ。
また、板門店内での注意も受ける。
 非常時の安全確保のため、2列に並んで歩く
 かばんを持っては行けない。
 北の兵士を兆発する行為をしては行けない、目を合わせても行けない・・・。
只事では済まないところに来たのである。

いよいよゲートの中に入ると「自由の家」の前でバスを降りた。この中に入り階段を登ると・・・
目の前には、TVニュースで見る光景が広がっていた。
青い小屋、警備をする国連軍兵士。
そしてその向うには北朝鮮の建物と北朝鮮側の兵士が見えた。
この瞬間、何故か背筋が凍るようなものを感じた。
板門店
●ついに来てしまった 手前は休戦ライン上の軍事停戦委員会本会議場、向は北朝鮮側の板門閣

その青い小屋(軍事停戦委員会本会議場)の中に入った。南北の停戦会談が行われる場所である。
私達は、中央のテーブルの向う側へと進んだ。
この上のマイクがある場所が、休戦ラインである。
ということは・・・・ということなのである。ついに、あの北朝鮮に足を踏み入れてしまったのだ。
窓の外にはコンクリートの境界線が敷かれている。
板門店
●中央のコンクリートが休戦ライン。そう、ここは北朝鮮

最もこの部屋の中は国連軍兵士のみで警備されている。
その国連軍兵士はサングラスをかけ、また微動だにすらしない。
これら国連軍は米軍と韓国軍で構成されるが、うち韓国軍の兵士で板門店に配置されるのはエリート中のエリート。
英語を喋れることが前提だそうである。
板門店
●微動だにしない国連軍兵士。彼とマイクのある場所が休戦ライン。

次にこの板門店が一望できる楼の上に上る。
遠く(といっても1.8Km)に北朝鮮側の町が見えるが、これはかの「宣伝村」(←北は裕福である、と見せかけるために作られたもの)であり、
一般居住人口はゼロとのこと。
180mという世界最高の高さを持つ国旗掲揚台が目に付いた。
板門店
●遠く蜃気楼のように浮かぶ北の宣伝村「キジュドン」。中央の鉄塔が国旗台

最後に、帰らざる橋と斧蛮行事件の現場になったポプラの木を一望する高台に登り、その前を通ってボニファスへと帰った。
斧蛮行事件は、この場所にある監視所から帰らざる橋を警備するにあたって邪魔なポプラの木の枝打ちをしようとしたところ、北朝鮮側が斧で作業をしていた兵士に襲いかかったものである。その原因となったポプラの木は既に無く、かわりに事件を記すプレートが埋め込まれていた。
また、かつてはこの橋を通って北朝鮮側に行ったそうだが、今は北側の橋の袂にコンクリの壁が築かれ用を成していない。
板門店
●北会談用建物(左)と自由の家。バスは国連の車両。

ここに来て感じたのは、朝鮮戦争がまぎれもなく続いているということである。
韓国は準戦時体制国家であるという現実と、同じ民族が対立するという悲劇がここには生々しく存在していた。
しかし、本来ひとつであるべき国が、ある場所境界で引き裂かれ、殺しあうということを私達が本当に理解することはできない。。とも感じた。

ここにきて良かった。しかし重かった。生半可な気持ちで訪れてはいけないところである。


★韓国の大型書店
ソウルのロッテホテルに戻り、そのまま解散となった。
今回の旅で是非とも行きたかったのが本屋とCD屋である。
ここロッテホテルからほど近い鍾閣(チョンガク)の交差点に、ソウルで2番目に大きな書店、永豊(ヨンドン)文庫があるというので、たずねた。

地下に2層に渡って広がるその書店は、スペース的にもゆとりがあって見やすかった。
儒教関係の本が充実しているのは、お国柄を表している。
また、コンピューター関係の書籍も充実しており、韓国が力を注ぐIT産業との関連を思わせるものであった。

しかし、ハングルが読めないゆえ、眺めているだけになってしまう。
そんな中、マンガ本のコーナーに差しかかると、どこかで見たような表紙がいっぱい。
そう、ドラえもんからあずまんが大王に至るまで、日本のそれで埋め尽くされていた。
一度はじまった日本文化解放の流れは、止められないのかもしれない。
自宅に幼い頃買ったドラえもん19巻があることを思いだし、このハングル版を購入した。

そして、地図を見ていれば飽きない人間ゆえ、外すことができないのが地図コーナー。
ハングルでかかれた東京のガイドブックにも惹かれるものがあったが、ここはやはり韓国の地図を・・。
しかし、地図内の文字もハングルばかりでは正直シンドイ。
その中にひとつだけ、漢文(漢字)版の道路地図があったので早速購入した。
値段は13000W、この地図は東京の三省堂あたりでも購入できるが価格は2.5倍はする ※1) と思うので、いい買物だと思う。
一点残念なのは、鉄道が都羅山まで伸びていないことだ。

次にCDコーナーへ。
様々なジャンルが並べられているが、どれが売れ筋なのか今一つわからないのは悲しいところ。
そんな中で、BoAのアルバムを発見。しかも奇跡が入っているではないか。
悩んだものの、日本のマキシシングルとほぼ同額ということで購入した。
帰国後、秋葉原で同じものを見たが、倍の値段になっていた。

この書店では海外の書籍も扱っている。その中に、日本の書籍もあった。
ファッション系雑誌が中心であるが、ジャンルには関係なくいろいろと集められていた。
柳美里の小説は当然かな・・という気がしたが、中には某右派歴史作家の名前も。いいのか?。


★何か寂れた東大門市場
そろそろ腹も減ってきたので、今晩の夕食を取ることに。
今日は、ソウルの繁華街の一つである東大門市場(トンデムンシジャン)に行くことにした。
鍾閣から地下鉄1号線で2駅目である。

東大門の駅前には文字通り東大門がデデーンとそびえていた。
ここまではいいのだが、あれ?なんか活気がない。
東大門総合市場に行ってみたが、店は既に閉店しているところが多かった。
それ以上に何か寂れた感じがするところで、日本での下馬評?に疑問符を付けざるを得なかった。
最も、昼間に服とかを狙ってくれば話は別なのかもしれないが。

夕食は、是非とも焼肉を!というリクエストで店に入ったのだが、焼肉屋ではなかった。
一応、ここで夕食をとったものの、どうにも納得がいかないため、2次会を決行し東大門市場の路地にあった焼肉屋に行った。
しかし、そこのオモニはいきなり日本のガイドブックを見せた・・・擦れている。
サンチュと肉味噌、あるいは塩と野菜をあわせて食べるのは日本にはあまりない。
食べかたで、それなりに美味しかった。ちなみにお値段は、それほど安くはない。

東大門からは、地下鉄3号線で明洞に戻った。
空からは雪が舞っていた。
明日は積もるかもしれない。


★その後の変化・補足
※1)これと同じ道路地図は、都内では三省堂神田本店にある地図専門店と、
紀ノ国屋新宿店で見ることができた。価格は2500円程度だったように記憶する

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