第三日:朝から晩までチョンチョル・チハチョル(その1) 2002年12月31日(火)

  明洞(4号線)→舎堂(4号線・果川線)→衿井(京釜電鉄線)→富谷 鉄道博物館見学(京釜電鉄線)→
  九老(京釜電鉄線)→ソウル駅(徒歩)→市庁(2号線)→東大門運動場(4号線)→恵化(徒歩)〜
  ソウル国立科学館(徒歩)〜安国(3号線)→独立門 西大門刑務所資料館見学(バス)→延世大学 同大学訪問(徒歩)〜
  新村(2号線)→弘大入口 弘益大学訪問 (2号線)→支庁 宿探し(2号線)→乙支路3街(3号線)→
  高速バスターミナル(7号線)→建大入口(2号線)→往十里(京元線)→清涼里(1号線)→市庁

※チョンチョル(電鉄)=鉄道の電化路線のこと、チハチョル=地下鉄

★一風変わった地下鉄
 朝、カーテンを明けると、まだ暗闇の中にうっすらと雪が積もった町が見えた。
日本と韓国の間に時差はないが、東経135度より西(東経127度付近、日本では沖縄本島の西側に相当)にあるので、東京より夜明は相当遅い。

7時50分頃にホテルを出て、地下鉄4号線の明洞駅に向かう。
本日はソウル近郊で見たいところを回る。その第一目的地は水原(スウォン)市にほど近い儀旺(ウィワン)市の富谷(プゴク)にある鉄道博物館。マニアなら絶対に押さえておきたいスポットである。

 駅はヨーロッパ型の自動券売機もあるが、1000W札が使えないため、窓口で買う方が主流である。
私も1000Wしかなかったので窓口で購入することにして、係員氏に「ブコク」と告げた。
ところが、出てきたのは違う区間の切符。改めて、地図の駅名を見せて正しい切符に変えてもらった。
やはり韓国語の発音は難しい。

ホームの売店で、新聞「朝鮮日報(チョスンイルポ)」を買った。
なにかと日本のマスメディアに取り上げられることが多いが、
内容はハングルだらけでちんぷんかんぷん。唯一、ノ ムヒョン氏の顔がわかる程度である。

 さて、地下鉄4号線はソウル市の北東のタンコゲを基点に倉洞(チャンドン)、東大門、ソウル駅と旧市街を斜めにつっきり、銅雀(トンジャク)大橋で漢江をわたり南秦嶺(ナムテリョン)を終点とする路線である。
南秦嶺からは鉄道庁果川(クヮチョン)線に乗り入れ、果川、衿井(クムジョン)と進み、さらにそこから鉄道庁安山(アンサン)線に乗り入れ、安山を経て烏耳島(オイド)まで直通運転を行う。
あわせてひとつの路線として機能している。

この路線、ひとつ変わった点を持っている。ソウルの地下鉄は1号線を除き右側通行・DC1500V電化である。
一方、鉄道庁の首都圏電鉄(=通勤電車走行路線)は一山(イルサン)線を除き左側通行・AC25000Vである。従って、地下鉄と国鉄の境界である南泰嶺とソンバウィの間にデッドセクションがあると同時に、立体交差で上下線の位置が変わるのである。
また、果川線は世界でも大変珍しい、交流高電圧の地下鉄である。

電車がやってきた。会社員の姿も多い。
韓国は旧正月を盛大に祝うので、新暦の年末年始は、1月1日は祝日であるが、ほかは通常と同じようである。
地下鉄なので車窓はなく退屈であるが、駅名の発音等を聞くのは楽しい。
また、漢江をわたるときは地下鉄といえども5号線を除き地上にでるが、ここではいい景色が眺められる。
ちなみに、4号線の銅雀(トンジャク)大橋は大阪の新御堂筋の如く、道路の中央分離帯が鉄道用になっている。
車が電車の倍近いスピードでビュンビュン抜いて行くのには唖然とした。

この電車、南秦嶺のひとつ手前の舎堂(サドン)とまりであった (4号線には直流区間専用車もいる為)。
次の電車に乗り換えて、いよいよ上下線の変更である。 といっても地下の立体交差なんで、あまり感動するものはないが、次の駅につくと線路の位置が変わっているのはやはり面白かった。
同時に交直デッドセクションを通過するが、かつての銀座線ほどには暗くならない。ちなみに交流電化になっても鋼体架線を使っていた。


★ダイヤは閑散、電車は混雑
やっと地上に出た・・と思ったら衿井である。
京釜(キョンプ)電鉄線との乗り換え駅で、方向別で乗り換えられる便利な構造になっている。
中央の列車線にはホームがない。さながら韓国の高槻+尼崎/2といったところか。
私たちもここで京釜線に乗り換えるが、電車がなかなかやってこない。12〜15分間隔である。
ソウル近郊の通勤電車の欠点は、電車の発車時間が不明であることだ。国電区間には時刻表があるのだが、それがどこにあるのかわからないというのも困ったものである。
結局、京釜線が来るまで何本か電車を撮影してすごした。
衿井駅
●衿井駅は方向別ホーム。
  手前が京釜線で、地下鉄1号線直通東大門行き 地下鉄公社1000系
  奥が果川線で、地下鉄4号線直通タンコゲ行き 地下鉄公社4050系


やっとのことで水原行きがやってきた。
電車の中は混雑しているが、町の景色は割と閑散としており、スプロール化の進行する郊外そのものである。
埼玉県内の東武線に乗った感じである。2つ目の駅、富谷で下りた。
富谷駅 富谷駅前
●富谷駅とその駅前・・仙台鉄道復活(笑)

★富谷の鉄道博物館
富谷駅は近代的な橋上駅である。が、駅を降りたところで、思わず目を見張るものがあった。
高台の上に紫と黄の帯を巻いた軽量ステンレスカーが留置されていた。
後に調べたところ、ここは車両メーカー(ROTEM社)の工場だったので、恐らく製造中の車両であろう。
どこで使用する電車かわからないが、活躍する日を楽しみにしたい。※1)

ここから南に歩いて10分ほどのところに鉄道博物館はあるという。
途中、あまりに閑散としていたので少々心配したが、やがて車両郡が見えた。
年末年始なので、開館しているかどうかも心配だったが、営業していたので一安心。
(月曜、祝日の翌日、旧正月が休館とのこと)
展示館
●立派な鉄道博物館の本館。

敷地は割合広く、やたら立派な本館が中央にそびえ、周りに数々の車両が置かれていた。
かつてソウル近郊で活躍した日本国鉄キハ20をモデルとした日本製DC、
ナローとして知られた水仁線の客車、米国GE標準型電気式DL
戦前の「あかつき号」用の密閉式と、開放式の展望車が1両づつ、
そして301系顔の通勤電車として知られる1000型初期車の先頭車・中間車各1両づつも、ここに搬入されていた。

中に入ることができる車両も多い。
このうちピドゥルキ号用の客車は、6人がけBOXシートが採用されていてびっくりした。
一人あたりの座席幅は410mm程度ではなかろうか?

また、日本国鉄485系をモデルとして韓国(大宇重工)で製造されたムグンファ用電車9900系も、ここにいた。
山岳路線である中央(チュンアン)線・太白(テーベク)線経由でソウルの清涼里(チョンニャンニ)と、半島東海岸の東海(トンへ)を結び活躍していた車両である。
98年に刊行されたJTB「韓国の鉄道」ではリニューアルが予定されているとあったが、
それは実現せず廃車になりここに保存されたようだ。
しかし錆錆のぼろぼろなのが悲しい。※2)
ほかの車両が大変美しいので、余計にそのみすぼらしさが目立っていた。
動車 9900
●博物館の保存車たち。左は9601形ピドゥルキ(普通)用気動車(日本製) 右は9900形ムグンファ(特急)用電動車

本館の中の展示は、ソウル駅のものと同じような感じであったが、
やはりこちらのほうが量は多い感じである。残念なのはハングルがわからないため、せっかくの解説が読めないことである。
で、これらを眺めていたら、突然に若い女の方に英語で話かけられた。典型的な韓国美人である。
差し出された名刺を見たら、この鉄道博物館を運営委託されている韓国鉄道新聞の記者だった。
社会人で観光で来た事や、昨日板門店に行ったことなどを話したが、こちらは韓国語も英語もだめなので、
あまり会話がつながらないのが残念だったが、記念に一緒に写真のコマに収まってもらった。

また、おじいさんの集団に話かけられたが、私たちが日本人であることがわかると、
日本語で「この前大久保にいました。ゆっくり見ていきなさいね」といわれた。
もう、ここを立ち去ろうというときだったが、異国の地で異国の人に自分の母国語で話かけられるのは
大変うれしかった。それは、さらに、ここが韓国であるということも加味されているのだろう。

ともかく、かなり充実した施設であった。
6人がけ
●6人がけのBOX座席。流石に無理があるが、実際に座ったとのこと。

★「ソウル」が通じない・・・。
富谷駅に戻り、今度は1号線の電車でソウルを目指す。
今回も、窓口での切符の購入となり「ソウルヨク(ソウル駅)」と告げた。
ところが、またしても違う区間の切符が出されてしまった。ソウルが通じなかったのには正直ショックである。

気を取り直してホームへ降りる。
ここは貨物ターミナルが近くにあるので、多数の貨車が留置されている。
日本では壊滅状態の鉄道貨物だが、韓国では海上コンテナをそのまま鉄道輸送できることもあり、
まだまだ主役である。

そうこうしているうちに電車がやってきた。地下鉄公社1000系鋼製車である。
JNR301系顔の先頭車で知られたが、現在は10両化に際して増備された中間車のみで構成された編成だけが残っている。
運転台は西武6000似の顔が新設された。走り出せば、JNR103系と同じ音がする。
それもそのはずで、モーターは日本国鉄の120Kw用を元に設計されたものである。

車窓に広がる町並みは、一戸建てよりマンションが目立つのだが、それがどれもこれも皆25階はあろうかという高層アパートである。
日本で1970年代にたてらた公団団地によく見られる低層アパートをそのまま高層にしたような雰囲気で、何かひ弱で折れそうな感じである。
また、日本のマンションは割合渋めの色の外壁材を使っているが、こちらはクリーム色にパステルグリーン、水色、ピンクなどを組み合わせた塗装が多く、私は毒々しく感じた。
高層アパート ●ソウル近郊の住宅は高層アパートばかり  九老にて

京釜線は内側が列車線、外側が電鉄線の方向別複々線である。
しかし、電鉄線の電車区があり、京仁(キョンイン)線と合流する九老(クロ)の手前で大変複雑な立体交差があって、
ここから龍山(ヨンサン)までは列車線の複線と電鉄の路線別複々線の3複線になっている。

その九老で降りて電車の撮影をした。
とりあえず「韓国の鉄道」に書いてあった例文を言ってみたが全く通じず、
仕方なく本の文章を見せて許可をとった。
ただしその方は運転士さんだったので、次の電車に乗っていってしまったのだが。

九老駅は巨大な駅で5面9線を持つ。
しかしソウル方面の電車は京仁線仁川方面発と京釜線水原方面発では別のホームにつき、おまけに直通(チクトン=日本の快速電車に相当 ※3)は別のホームにつくという、中野駅並の複雑さである。
某川島令三が見たら卒倒するかもしれない(笑)。

連れを待たせている以上、あまり長いはできなかったが、
それでも最旧型から最新型までいろいろやってきたので、満足して後にした。
5000型FMC車
●ソウルの通勤電車 ほかの画像はこちら


★ソウルの市電を見に行く
ソウル駅でいったん降りて、ソウル駅の撮影と昼食をとった。一昨日の約束のとおり、ロッテリアに行くことにした。韓国ならではのメニュー「プルコギバーガー」を試すためだ。セットを頼んだが、飲み物がコーラしか選択ができないのには閉口した。
味の方は、特別にプルコギ味を感じるわけではない。フツーのハンバーガーの味である。

次に南大門に移動し、これを撮影。お立ち台があって、日本語で「ゆっくりと撮影してください」とあるのには苦笑。世界中でカメラをぶら下げている民族=日本人の図式はここでも変わりないようだ。

さて、次の本当の目的地は、ソウル国立科学館である。
出発の10日前に1968年に全線廃止になったソウル市内路面電車が保存されている情報を得た。
慌てて調べた結果、どうやらここにあることがわかったためである。

市庁まで歩いて、2号線に乗り東大門運動場で4号線に乗り換えて恵化(へファ)に行く。
恵化はかつてソウル大学があった場所で、大学路(テハンノ)と呼ばれる。
東大門の北側にあたるが、若い人があふれるにぎやかな町だった。
ここから西に5分ほどあるいたところにソウル国立科学館はあった。さて問題は、路面電車は何処に?
入館料を見ると10000Wとある・・・・「うーん。ここまで来たんだ、入ってしまえ!」と突入したものの、
なんとそこは全世界を巡っている「人体の神秘」特別展の会場だった(笑)

連れは、せっかくだからと興味深く見ているもの、私は基本的にこういうタイプが苦手でして、
なんとなく目をそむけながら、すごすごと通りすぎていった。
しかし、ソウルで大晦日にアインシュタインの脳みそを見ることになるとは思わなかった。

出口の向こうには常設館と駐車場があるが、その片隅に路面電車が保存されていた。
京城電気(キョンソンチョンキ)363号車。戦前製で、函館市電の500型を思わせる車両である。(説明板によれば幅長高=2×13×4m、重さ13t)
車内は座席が板張りになっているが、マスコンが残っていた。また屋根つきで、状態はなかなかよい。
説明板はハングルなので殆ど読めなかったが、全盛期の(ものと思われる)路線図が掲げられていた。
従来、ソウルの路面電車の走行区間は西大門(ソデムン)〜清涼里駅前とかかれることが多いが、実は漢江を渡った永登浦(ヨンドンポ)や北東部の敦岩洞(トンアムドン)にも伸ばすなど、規模は大きかったことが解った。
市電 市電
●ソウルの路面電車(京城電気363) 子供たちはいつまで記憶してくれるだろうか?
ソウルの路面電車の路線図

なお、ここにはもう1両、ナローゲージで活躍したヒョウキ8型タンク式蒸機(28)も保存されている。
しかしキャブが「グニャ」と前のめりになってラックレール式の機関車みたいになっているのは
ちょっと痛々しかった。

ソウル国立科学館は、もともと子供たちの科学分野への理解を進めるものとして作られたため、
入館者も子供たちが多い。この市電もオリニ達のいい遊び道具になっているようである。
日本で言ったら名古屋の電気館みたいなものか。
そういえばあそこにも名古屋市電と蒸機(ジャーマンB6)が保存されていたなあ・・。
ソウル=(名古屋+大阪)/2というのは案外的を得ているのかもしれない。
市電
●もう1両の保存車 韓国鉄道庁ヒョウキ8型28 

しかし、駐車場に行けば10000Wもかけずに済んだのに・・・といっても仕方ない。
何もかもがうまくいくことはない。この入館料が、市電の末永い保存になってくれれば・・と、願うことにしておく。


★その後の変化・補足
※1)これは韓国国内ではなく、マニラに建設された郊外電車用の車両であることがわかった。
5000系FMC車(トングリ)に似た車両だが、側面は5扉。

※2)このあと、9900は1000と共に整備され、いずれも旧塗装で保存されている。

※3)2003年に京釜線首都圏電鉄区間が水原(スウォン)〜餅店(ピョンジョム)に延長された。
その際に「直通」から「急行(クッペン)」に改称されている。

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