第三日:朝から晩までチョンチョル・チハチョル(その2) 2002年12月31日(火)

  明洞(4号線)→舎堂(4号線・果川線)→衿井(京釜電鉄線)→富谷 鉄道博物館見学(京釜電鉄線)→
  九老(京釜電鉄線)→ソウル駅(徒歩)→市庁(2号線)→東大門運動場(4号線)→恵化(徒歩)〜
  ソウル科学館(徒歩)〜安国(地下鉄3号線)→独立門 西大門刑務所資料館見学(バス)→延世大学(徒歩)〜
  新村(2号線)→弘大入口 弘益大学訪問 (2号線)→支庁 宿探し(2号線)→乙支路3街(3号線)→
  高速バスターミナル(7号線)→建大入口(2号線)→往十里(京元線)→清涼里(1号線)→市庁

★昌徳宮から独立門
科学館の次は独立門(トンニムン)へ向かう。
ただし恵化に戻っても面白くないので、3号線の安国(アングク)から乗ることにした。安国へはソウルには数多い宮殿の中でも、昌慶宮(チャンギョングン)、昌徳宮(チャンドックン)、宗廟が密集する栗谷路を抜けてゆく。
どこへ行っても派手な看板が並ぶソウルの中でも、ここは緑に囲まれている(自動車の交通量は多いが)。北の丸公園の中みたいなものか?

昌徳宮の敦化門の前に差し掛かったとき、そこでは何かイベントが開かれていた。
どうやら李王朝時代の特使交換を再現しているようである。
解説つきで演じられているのであるが、それが韓英日中の4カ国語で行われていたのには感心した。ちなみに次の公演は3月とのことで、偶然に良いものを見ることができた。科学館の特別展に間違って入ったお陰である(オイ!)。
昌徳宮 昌徳宮
●偶然出くわした、昌徳宮のイベント 太鼓は派手

安国から乗る地下鉄は3号線、はじめて乗る地下鉄路線である。
朝に乗った4号線がソウルの北東から南西に走るのに対し、こちらは逆に南東の水西(スソ)から北西のチチュクへ向かう路線で、
チチュクからは鉄道庁一山(イルサン)線に乗り入れ大化(テーファ)まで走っている。
なお一山線は鉄道庁路線であるが規格は地下鉄と同一のため、4号線のような立体交差やデッドセクションはない。
大阪市交中央線と近鉄東大阪線の関係と同じようなものだ。

ソウルの地下鉄は日本と同じタイプの車両が使われているが、この路線の車両は英国の技術で作られたため、前面の感じは英国国鉄の近郊電車にどことなく似ている気がした。
そして反対方向にやってきた電車の内装を見てびっくり、クリスマス装飾になっているのである。
W杯の時にはサッカーグランドの内装の特別電車を登場させたりしたが、こういう特別内装が大好きなようである。
しかし、本当にこの国はいつまでクリスマスを祝うのだろうか・・・・・。ちなみ、私たちが乗った電車はフツーの電車である。

2駅で独立門である。
独立門は清から独立したことを記念して、パリの凱旋門を模して建設されたものである。しかし、ここにやってきた目的は、それではない。
「西大門(ソデムン)刑務所資料館」・・・日本統治下の独立運動が弾圧されたことを実際の牢獄や蝋人形で記しておこう、という資料館である。
日本でも、とやかく論争のネタになったりするので、以前から名前は知っていた。
何はともあれ自分の目で確認したかった。

駅の構内の壁には石に彫られた3・1運動の宣言文が延々と並んでいる。このあたりから、何か次元の異なる空気が漂っている。その出口の先に、資料館はあった。
 中に入るときつい口調で「日本人ですか」と聞かれた。同時に日本語のパンフレットをもらった。
ここは刑務所の跡地であるが、その監獄等の施設をそのまま保存してある部分と、資料館がある。

ここに関してさらに記述しようと思ったが、あまり筆が進まない。
特に、当時のままに残された死刑執行場に身が震えた。
その背景を考えれば、とにかくいろんな意味で気分が重くなる施設であることは確かだ。
西大門刑務所 独立門
●西大門刑務所資料館(左)と独立門


★ソウルの学生街
時刻は16:00過ぎ。まだまだ、ソウル市内探訪は続く。
次は、ソウルの慶応大学こと延世(ヨンセ)大学である。連れのリクエストだ。
独立門から延世大学のある新村(シンチョン)の北側までは幹線道路の一本道であるが、地下鉄はない。
そこでバスに乗ろう・・ということになるが、ソウルのバスはハングル表記だけであるので、瞬時に行き先の判別ができない。その上、バス停に何が書いてあるのかもわからない。

なんとか、覚えていったハングルを頭の中でローマ字変換しながら発音してみるのだが、字が多すぎてよくわからない。
が、目の前に止まったバスの行き先の中にチハチョルシンチョン・・・
これだ!、思わず飛び乗った。料金は350W(=35円)、安い!
日本でも知らない町でバスに乗るのには勇気がいるが、海外では更にそれが必要なようだ。

車内で路線図を見たら循環系統のようである。
なお、車両は系統固定で使用(行き先表示や系統案内が1種類だけ、それもステッカーで表示)しているようだ。
バス
●独立門〜延世で乗ったバス


ソウルのバスはいつでも混んでいる。このバスも座席はすべて埋まり、立客も出ている。 独立門の先ですぐにトンネルに入った。これを抜けると、韓国一のお嬢様学校である、梨花(イファ)女子大のチャペルが見える。正直、こっちの中に入ってみたかった(冗談)。
韓国は基督教信者が多いため、あちこちに十字架を掲げた教会があるのが印象深い。
そしてその後ろにはいつものように高層アパートがデーンとそびえたっている。
日本の摩天楼はオフィスビルであるが、韓国のそれは人の住みかで構成されているのである。
ソウルの光景
●十字架と高層アパート群 ソウルらしい光景 延世大学前にて


勘で降りたが、若干手前だったようで歩いて行く。
その延世大学についたが・・でかい!でかすぎる!十万石饅頭である。そして美しいキャンパス。
中に入ると奥に立派な洋風の校舎があるが、そこまでの遠いこと遠いこと。
そして校舎まで到達してわかったことのだが、驚くべきことに、これが山沿いに3段重ねで建ってるのである。
非常に絵になるキャンパスだった。
学食も除いてみたが、キムチなどがあるのはやはり国柄であろう。
ここで夕食か?と思ったものの、金払いがわからず断念。

大学の前からは地下鉄2号線の新村駅までの間が繁華街になっているが、これがまあ賑やかなこと。
原宿に全盛期のアメ横を足してもまだ勝てないほどの活気にあふれている。この道に限らず新村周辺は大変な繁華街である。
正直、慶応大学と比べては延世大学に失礼なほどである。
無論、慶応などよりぐっとレベルの低いわが母校は、著しくみすぼらしく思えたのはいうまでもない。
延世大学
●延世大学  広い敷地に重厚な校舎 これは3段重ねの中段

日はもう暮れているが、さらにもう1校行こう!ということになった。
新村の隣駅は弘大入口(ホンデイプク)。駅名から推測されるように、弘益大学という美術学部を擁する大学である。
一駅だけ地下鉄に乗る。弘大入口駅前も新村から繁華街が続いているようで大変賑やかである
。 ソウルの繁華街のイメージは、どこもアメ横に似た印象を持つのはなぜだろう?

弘大そのものは夜ということで印象があまりないのだが、十数階建ての校舎から見た夜景が美しかった。


★今夜のお宿は・・・。
さて、本日は宿を取っていないので、ぶっつけ本番飛び込み営業で宿泊場所を探さねばならない。
せっかく韓国なんだから、ここは是非「韓式旅館」、つまりオンドルにとまりたい。
また、明朝ソウルを離れるので駅に近いところを選ぶことにした。

市庁駅で降りて、ガイドブックに載っていたビル2階の旅館を探してたずねたものの、あいにく満室だった。
ここの経営者のオモニは、W杯の影響か日本語が通じたので、近隣の旅館を教えてくれないか・・とたずねた。「小さい部屋で、ちょっと声がうるさいけどいい?」。私たちは、OKを出した。

 そちらの旅館の方がやってきてついて行くと、表通りの方である。「ラッキー」と思ったのもつかの間、階段を登ると、内装の電気の色に?????。
そして部屋に入ってTVをつけたら、あられもない女が!。そう、ここは・・そういうところだったのである。
 なんでも、W杯の時に外国人が安宿を探した結果、こういう施設にかなり泊まったようで、相手も慣れたものである。
まあ、「こういう」施設で狭くはあるが、キレイだし、何よりTVでNHK-BSが入るのである。
おお、ソウルで紅白が見られるではないか!結局、ここに泊まることにした。

夕食を摂りに外に出た。振り返ると旅館の名前は「」であった。
ハングルを読める方、笑ってやってください・・・・・・・。


★ソウル高速バスターミナル
旅館がそういう施設であることを知ったと同時に強烈な疲労が遅い、あまり遠出もしたくなくなるのだが、
ここは自らの行動で運を開かねば(??)ということで、遠出を決意。
ただし、紅白の中島みゆきだけは絶対みたいので、それまでに帰ることに。

さて、ソウルの地下鉄路線図を見るとバスマニアの私には気になる駅名があった。
その名も「高速バスターミナル(コソクボストーミノル)」、漢江の南 つまり江南(カンナム)にある。
ソウルの副都心である江南には今回まだ足を踏み入れてないので、ちょうどいい。
市庁から2号線で乙支路3街(ウルチロサムガ)へ、そこから3号線に乗り換えた。この路線も漢江では地上に出て渡るが、超高層ビルの大韓生命ビルがきれいだった。

恐らく若い日本人女性であれば訪れるであろう押鴨亭(アプクジョン)は綺麗に無視し、高速バスターミナルへ。
地下鉄2路線の駅と高速バスターミナルのビルは一体になっており、地下・地上部ともに商店が並んでいる。
人通りも多い。都心から離れているが、すでにひとつの町を形勢しているようだ。

そしてバス乗り場へ向かうと・・・。そこは私たちの想像を絶する広さだった。
ノコギリ型のターミナルは端が霞んで見えない。真中には巨大な駐車スペース。
熊本交通センターも顔負けと言ったところである。時刻表を見れば、どの路線も5〜10分間隔で運行。
西鉄でさえこんな路線はないだろう。以前から韓国のバスはすごいと聞いていたが、まさかこれほどとは。
なお、これまた帰ってきてから気がついたのだが、どうも私たちはバスターミナルの片側しか見ていないようで、本当は反対側にも巨大なバスターミナルがあるようだ。

このバスターミナルの中にある簡単な食堂で夕食を取ることに。もち入りのネギスープのような代物を頼んだ。
こんな店でも漬物の小皿が3皿も並べられたのにはびっくり。


★急がないので回れ
市庁へ戻ろう。でも、同じではつまらないから遠回りをすることに。
ということで地下鉄7号線に乗ることにした。この路線は漢江の南側とソウルの東端を縦貫していて、旧都心部には入らない。
さしずめ、ソウルの営団13号線といったところである。運営は都市鉄道公社。

やってきた電車はノンビートステンレスの車体で、どこかの国で「走るんです」と蔑まされる電車とそっくりの側面をしていた。走り出せば音までそっくり(231タイプ)である。
この路線も漢江を鉄橋で乗り越す。
両側の高層アパートと、道路の街頭でオレンジに染まる夜景はやはり美しい。

建大入口(コンデイプク)で2号線に乗り換える。
このあたりでは2号線は高架線になっており、地上の町並みがよくみえて楽しい。教会の赤い十字架が目についた。
また途中の聖水(ソンス)からは支線が分岐。島式ホームになっており、なんだか南船橋とか妙典とか、そんな東京近郊にありそうな感じの駅である。

さらに往十里(ワンシムニ)で京元線に乗り換える。京元線は清涼里(チョンニャンニ)から地下鉄に直通するが、本来は漢江沿いに進んで龍山を基点としている。
その「取り残された」漢江沿いの路線は電化され、走る電車も地下鉄直通と同じだが、15分程度の運行間隔で都心のローカル線と化している。まさにソウルの汐見橋線である。
京元線は、島式ホーム一本でなんとなく新子安とか板橋とかそういった面持ちである。

ここから一駅乗れば清涼里、ソウルの上野駅と称されるが、両国か亀戸とでも言ったほうがいいような感じである。駅の雰囲気にも日本のそれにそっくりである。
また、ここは中央線方面の長距離列車の始発駅で、橋上化された駅では若者たちが夜行列車に乗るために列をなしていた。

ソウルにしては閑散とした感じのだだっ広い駅前に地下鉄乗り場がある。
どうも韓国では改札外乗り換えというルールがないらしく、同じ清涼里でも地上と地下では別個の駅として扱われている。東京よりも乗り換えは便利なソウルの電車だが、こんなところもある。
また、この地下駅の構造が変わっていて、表参道や溜池山王の如く、一旦地下2階のコンコースに行き、地下1階のホームに再び登る構造である。
ここで、自動改札を強行突破する、いわゆる「キセル」を見た。激安の運賃なのに、やはり、そういう人間はどこにでもいるのだなあ・と半ば関心してしまった。


市庁に戻ってきた。
TVをつければ、まもなく中島みゆきが登場。まさか「地上の星」をソウルで見ることになるとは思わなかった。
そのまま紅白を最後まで見た後、何も「行く年来る年」まで見なくてもよかろう、とチャンネルを回す。
すると、鐘の前で野外ライブの中継・・・ソウル市内の鐘閣である。
歩行者天国になった道を埋め尽くす人、人、人・・。かのサッカー応援中継を見ているようである。
そして、こんな若者向けのイベントであっても、ソウル市長をはじめおえらいさんが出てくるのがお国柄か?
そうこうしているうちに、「ク、パム、チル・・・」とカウントダウンが開始。「サム、イー、イル」、年明けと同時におえらいさんと、サッカー代表選手がゴーン!と鐘をついた。新正月は祝わずとも新年は祝うようだ。


2003年、あけましておめでとうございます。
そしておやすみなさい。

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