◆移籍車 1989〜1995年度導入 その1
電鉄では北関東の多くの事業者と同様、旧い貸切車を路線車に転用していた。電鉄では中扉を増設してたが、元となる車両がハイデッカーになると、この部分が3段ステップになるなど無理な構造となり中止。代わりに移籍車両を導入することになった。1989年度のことである。
第一陣となったのは神奈川中央交通の車両、続いて1991年度には西武バス、1992年度?には京阪宇治交通から車両を導入している。
まず、ここでは上記各社からの移籍車を取り上げる
・もと神奈川中央交通
1989〜1990年度にかけて日野といすゞの大型車が移籍している。いずれも軸距5.5〜5.7mの長尺車が選ばれている。
移籍時に側面の方向幕を前中扉間から中扉後ろに移設しており、こうした改造は以降に導入される車両にも続く。
神奈中からの移籍はこの2年度のみで終了し、総数は10両程度のようである。
水戸22あ1250
いすゞK-CJM550 +川重
1998年8月 日立駅
水戸22あ1263
日野K-RC321 +日野車体
1998年8月 神峰
水戸22あ1347
いすゞK-CJM550 +川重 1983年9月製
1999年8月 多賀駅
水戸22あ1371
いすゞK-CJM550 +川重 1983年2月製
1999年3月 日立南
・もと西武バス
まず、1991年度に大型車10台?が移籍。当時、西武バスは日デのみを導入していたため、これらも当然日デである。
1984年式のP-U32Lで、騒音規制前のいわゆる「前期型」と呼ばれるタイプである。軸距は5.1m。廃車時の車齢は約7年であった。
なお、西武のP-U32は茨城交通、関東鉄道にも移籍し、茨城県内ではあちこちで見ることができた。
その後、1985年式の同型2台が移籍している。西武からの移籍はなおも続くが、大型車はこれで終了し、以降は中型となる。
水戸22あ1467
日デP-U32L +富士5E
1998年8月 神峰
自社発注車の方向幕が大型化、系統と行先で分割されたのに伴い、移籍車も同じ仕様となった。
なお当時の西武バスはフォグランプが無かったが、1984年式は移籍後も増設されることはなかった。
1999年8月 神峰
水戸22あ1480
日デP-U32L +富士5E 1984年7月製
2002年1月 高萩
電鉄には回送と廻送の2種類の表示があったが、なぜ並行して存在していたのか理由は判らない。
水戸22あ1487
日デP-U32L +富士5E 1984年7月製
2002年1月 神峰
側面に子供が描いた絵を掲げた「アートバス」と呼ばれる車両が何台か存在していた。
水戸22あ1490
日デP-U32L +富士5E 1984年6月製
2002年1月 高萩
水戸22あ1500
日デP-U32L +富士5E 1984年7月製
2002年1月 高萩
水戸22あ1506
日デP-U32L +富士5E 1984年7月製
1997年9月 日立駅
2002年1月 神峰
水戸22あ1513
日デP-U32L +富士5E 1984年7月製
2000年10月 神峰
水戸22あ1532
日デP-U32L +富士5E 1984年7月製
1998年8月 日立駅
水戸22あ1681
日デP-U32L +富士5E 1985年8月製
1999年3月 神峰
他の車両と移籍年が異なる1985年式の2台は、方向幕が細いタイプに先祖返りしている。フォグランプは増設された。
水戸22あ1682
日デP-U32L +富士5E 1985年8月製
2000年10月 神峰
・もと京阪宇治交通
1992年度?に日デの大型車3台を導入している。いずれも軸距5.1m
前中扉が標準の電鉄が、前後扉の車両を導入したのかは不明。前面に「うしろのり」と表示していた。もっとも、1990年代後半になると扉配置は関係なく移籍するようになるが。
側面の方向幕は大型化されており、これ以降の移籍車の多くで実施されるようになる。
水戸22あ1581
日デK-U31L +富士5E
1997年9月 日立駅
自社発注車の方向幕が大型化、系統と行先で分割されたのに伴い、移籍車も同じ仕様となった。
1998年8月 日立駅
宇治交の5Eはリアの窓ガラスの方向幕回りが板金処理の少数派。非常口扉の窓が開閉式になっている点も特徴である。
水戸22あ1586
日デK-U31L +富士5E
1998年8月 神峰
水戸22あ1651
日デK-U31L +富士5E
1999年8月 日立駅
他の2両と異なり側面の方向幕下に窓が無いのは、移籍時の改造を異なる事業者で行ったためだと思われる。