神奈川電鉄をたずねて 〜イメージのガラクタ箱〜
◆相武電鉄ルートを書き込むと
愛甲線の通る愛川町田代。
かつてこの地を目指したものの未成に終わった鉄道がありました。
その名を、相武電気鉄道といいます。
高津〜宮前〜鶴川〜図師〜淵野辺〜上溝〜田名〜箕輪〜田代の免許を取得し、
ゆくゆくは高津から渋谷へ伸ばすつもりでした。
しかし、第一期線の淵野辺〜上田名の路盤が完成した時点で昭和の恐慌が襲って
資金的に行き詰まり、ついに陽の目を見ることはありませんでした。
さて、前回、相模線を巻き込んだ案をつくってみたのですが、
今回は、相武電鉄のルートを、神奈電に組み込んだものを考えてみました。
さて、相武電鉄については。路盤の完成していた上田名までは、敷設予定地が解っています。
しかし、未着工だった、上田名以西は、道路・鉄道併用橋になることが決定していた高田橋を除き、
具体的なルートは解っていません。
従って、ここでも淵野辺〜上田名は、上田名附近を除き、いちおう実際に建設されたルートをなぞっていますが、
それより西は、完全な想像です。
しかし、その上田名以西に、この鉄道が開業していたらというIfを考える際の難点があるのです。
相武電鉄のルート上で問題になるのは、その地形です。
相模原台地は大きな河岸段丘を形成しており、淵野辺近辺が標高110〜120m(上段)、
上溝・上田名が標高96〜100m(中段)、そして相模川が流れる水郷田名が標高50〜60mで
それぞれの間には段丘崖があるわけです。
また、中津川沿いの田代の標高は80mですが、その間の箕輪(愛川町役場)付近は台地状になっており、
標高は132m。こちらも急な崖が切り立っています。
・国土地理院の地形図閲覧サービスより 1:25000地形図 上溝
上田名附近
水郷田名〜箕輪附近
上段と中段の崖は、現在の相模線上溝駅の北側の坂の部分にあたり、標高差は20m程度ですから、
それほどは問題ありません。(まあ、それでも勾配は急ですが)
厄介なのは、上田名〜水郷田名〜箕輪〜田代です。
直線距離にして4Kmほどの間で40m下り、70m登り、50m下るという、ジェットコースターのような地形なのです。
箱根登山か京津線の電車を走らせるなら、無理が利きますが、中古車天国の神奈電ではそうも言ってられません。
距離を稼いで、勾配を緩和するしかありませんが、それでも20‰以上の勾配が続きます。
石神平〜水郷田名は北へ迂回します。
石神平から県道の北へはずれ、上田名は堀之内交差点の北側付近。
そこからは掘割と曲線で段丘崖に取り付き、連続25〜40‰で水郷田名に達します。
相模川橋梁(高田橋)は、長野電鉄村山橋と同じタイプの道路併用橋で、渡りきると小沢、
ここには砂利取りの側線があったことにしましょう。鉄道の敷設理由にもなります。
小沢〜箕輪は、逆に南側へ迂回します。
今度は段丘崖を30〜40‰の勾配で登り春日台団地へ、
そこからは進行方向を北西に変えて、束の間の平坦区間を走り、愛川町役場のある箕輪。
小沢〜箕輪の直線距離は1.2Km、一方、相武線は3.6Kmなので、実に2.4Kmも迂回するわけです。
そして再び20〜30‰の勾配でカーブしながら崖を下り角田。そして田代で愛甲線と合流します。
結局、相模川を挟んで、逆Z字状に迂回を繰り返す、不効率な線形になっています。
相武線 淵野辺〜田代 15.9km | ||||||||
駅 名 | 区間 粁程 |
累計 粁程 |
標高 | 平均 勾配 |
備考 |
| ||
淵野辺 | ふちのべ | 0.0 | 0.0 | 116 | ||||
矢部新田 | やべしんでん | 1.5 | 1.5 | 119 | ||||
星ヶ丘 | ほしがおか | 1.0 | 2.5 | 122 | ||||
上溝 | かみみぞ | 1.3 | 3.8 | 98 | 下18.4 | |||
浅間森 | せんげんもり | 0.8 | 4.6 | 98 | ||||
石神平 | いしがみだいら | 1.3 | 5.9 | 100 | ||||
上田名 | うえだな | 0.7 | 6.6 | 100 | ||||
水郷田名 | すいごうたな | 1.7 | 9.3 | 60 | 下23.5 | |||
小沢 | こさわ | 0.7 | 9.0 | 60 | ||||
春日台 | かすがだい | 2.0 | 11.0 | 114 | 上27.0 | |||
箕輪 | みのわ | 1.6 | 12.6 | 128 | 上8.7 | |||
角田 | すみだ | 1.4 | 14.0 | 100 | 下20.0 | |||
戸倉 | とぐら | 0.8 | 14.8 | 95 | 下6.2 | |||
田代 | たしろ | 1.1 | 15.9 | 85 | 下9.0 |