第1輯.最北のとろりいらいん 旭川電気軌道(北海道)
「旭川電気軌道」というと、昨今は日本で初のノンステップバス導入事業者として名高いし、また、東急ストア・東武ストアと共に「八社会」を形成する「旭友ストア」を運営する会社として知られているようである。
現在でこそバスと流通の事業者であるが、「旭川電気軌道」という社名に違わず、もともとは旭川〜東川の電車運行を目的に発足した事業者であり、1972年12月31日まで旭川四条〜東川・旭山公園間に電車が走っていた。
形態的には路面電車であったが、車両は高床式を使用し駅には立派なプラットホームがあった。そのため、走る電車も一般的な郊外電車型であったが、高さの低いクラに入るためにパンタグラフとポールの二刀流だった点が特筆される。
(1)東川駅跡 国道から直角に入ったところが東川駅だった場所で、バスの折り返し場になっている。 記念碑が建っており、ここが駅であったことを証明している。 1995-8-31 撮影 左:東川駅跡、バスは旭川電気軌道P-U33Nで、電車の代替系統にあたる旭川行きである。 右:駅跡の石碑 |
(2)東川町郷土館のモハ100
車庫火災で大量の車両を焼失したため、急遽1949年に日本車両で製造された3両の電車がモハ100で、当線初のボギー車であった。 うち2両が保存されたが、東川の車両は建物の中に完全に収められており、鏡越しでないと全貌を見ることはできない。北海道の風雪から守るためには致し方の無いことと言える. なお、車輛のほかにも貴重な写真などもあるので、興味がある方は是非お立ちよりを(開館日注意)。 1995-8-31 撮影 左:鏡越しのモハ101、状態は良い。 右:郷土館の全貌、むかって左側の建物内部にモハ101は置かれている。 |
(3)東旭川農村改善センターのモハ1001 1955年、日本車両製の18m級電車で当線のピカ一であった。 廃線後、旭川市に引き取られて保存されていたが、当初は市の博物館に置かれ、当地にやってきたのは1994年頃である。 状態は非常に良いが、北海道の風雪を考えると囲いが無いのは心配でもある。ポールも外されている。 1995-9-1 撮影 左:大柄なモハ1001、撮影した側と反対側にはホームが設けられており、中を見ることが出来る。 右:旭川電気軌道に関する解説板。 |
なお、洞爺湖青年の家に保存されていた3両の電車は1993年頃に解体されたとの話です。