第6輯.吉備の国の軽便王国  井笠鉄道(岡山県)

 1998年、国鉄ローカル線および建設線引継で誕生した最後の会社、井原鉄道が開通しました。しかし、この地には1971年まで非電化の軽便鉄道が存在し、各地を結んでいました。
 運行していたのは、現在はバス事業者になった井笠鉄道で、最盛期には笠岡〜井原、井原〜神辺、北川〜矢掛の3路線を保有していました。
 当社は1949年の無煙化時にディーゼル機関車を導入しなかったため、ディーゼルカーが木造客車を牽引していました。そのディーゼルカーは戦前の単端式を改造したキャブオーバー車、無骨なボギー車、そして戦後製のスマートな車輛など多種多彩でした。
 廃線後、路盤はその殆どが道路または井原鉄道の路線敷になり面影は消滅しました。しかし、車輛の方は、沿線の鉄道記念館をはじめ各地に保存、また一部は西武鉄道山口線の蒸気機関車列車用として譲渡されています。肝心のディーゼルカーの保存車が少ないことが残念ですが、ここではその保存車輛たちを紹介したいと思います


(1)新山鉄道記念館
 鉄道廃止後、職員の有志により1977年に開設されたのがこの新山鉄道記念館で、もとの新山駅の敷地と駅舎を利用しています。駅舎には鉄道時代の資料が数多く保存されています。そして、蒸気機関車の1、客車のホハ1、貨車のホワフ1の3両が保存され1980年から公開されています。
 とくに1913年の開業時にドイツ、コッペルで製造された蒸気の1は廃線時まで稼動状態で保存され、廃線後は一時親会社の近鉄系列である京都伏見城に静態保存されたものの、西武山口線での蒸気運転開始に際し頚城鉄道(新潟県)の1とともに貸し出されました。その後、西武山口線は台湾の製糖工場からコッペル製蒸機を購入したのに伴い返却され、以来この場所に保存されています。

左上 1 1913年 コッペル製
右上 ホハフ1 1913年 日本車輛製 やはり開業時に製造された。
左下 ホワフ1 1914年 日本車輛製 今では貴重な木造貨車


1995-8-13 撮影


(2)笠岡駅近くのホジ9
 軽便鉄道の内燃動車としては大型に属するこの車輛は、1931年、梅鉢車輛製でホジ7〜9の3輌が導入されています。このことからも当線は日本の代表的な軽便鉄道であると言えると思います。
 この車輛が保存されている笠岡駅西側の陸橋下には、1968年から後述の9号蒸機が保存されていましたが、同車が1号蒸機なき後の京都伏見城に移設されたため、廃線後も鬪場車庫に保管されていた当車が代替として保存されました。
 以前から、状態が悪いことで有名で、現在もそのみすぼらしい姿をさらしてます。しかし、2001年頃に漸く手直しが行われ、塗装は美しくなりました。 しかし、現役時代の塗装とは異なりドアは解放状態に固定されています。
 なお鬪場に保管されていた車輛は、残念ながらその後放火が原因と見られる火災により焼失しています。

左:1995-8 撮影。車内の荒れ方は酷かった
右:2002-3 撮影。塗装だけは綺麗になった。

(3)蒸気機関車 三題
 前述の通り井笠鉄道は1949年に無煙化を果たしましたが、蒸気機関車は解体されることなく、車庫に保管されていました。その後、各地で保存されたものも多くあります。

A.姫路市「パチンコ百万$」の 7
 1918年、コッペル製のオリジナル機です。
この車輛は当初、兵庫県姫路市の英賀保に放置されていたようですが、その後、同市今在家のパチンコ店「百万$」に、店の看板代わりとして引き取られたようです。
 撮影当時は、店の駐車場の奥に置かれており状態もあまりよくありませんでしたが、その後整備されたようです。(2003年秋、長野県の野辺山に移動する:2003年11月追記)

1996-10-27 撮影 解りにくいが「ホリデー号」のロゴと、ビーバーの絵が書かれている。

B.池田動物園の3
 1号機の同様、開業時に用意された3輌の蒸気機関車の1つで、岡山市の京山にある当動物園の入り口近くに、西大寺鉄道の客車・貨車(ハボ13、ワ3)と連結されて保存されています。
 ところで、西大寺の車輛は914mm軌間、井笠は762mmと異なりますが、車輛は同じレールの上に乗っています。井笠と西大寺の車輛の間でレールの幅を無理矢理広げているためですが、実際にはありえない風景を演出しています。

1995-8-14 撮影 後ろの西大寺ハボ13は当時かなり荒れていた。

C.井原の9
日本では非常に珍しいベルギー、コッケリル社製のB型機で、もとは釜石鉱山で使用されていた車両です。井笠には終戦直後に入線したものの、軸重が重く殆ど使用されずに廃車になりました。
 1968年に笠岡に保存、その後1973年に伏見城に移動、さらに井原鉄道井原駅予定地に移動したものの、井原鉄道開業前に井原市内の公園に移動するという、保存車としては珍しく何度も移動重ねた車両です。

1995-8-13 撮影


(4)新市クラシックゴルフの2号+ホハ11と神辺・太陽幼稚園のホハ12
 福山の赤坂児童遊園には2号蒸気、ホハ11・12、ホワフ5、ホト2の5両が保存されていました。ホト2はその後撤去、さらに残る車両も1992年頃に撤去されました。しかし、新たな保存先を見つけ、2号蒸気とホハ11は新市町の新市クラッシックゴルフのエントランス付近に、またホハ12は神辺駅近くの太陽幼稚園に保存されました。
 
左:新市クラッシックゴルフ 1997-3-10 撮影
右:太陽幼稚園        1995-8-13 撮影

(5)下津井電鉄 児島のホジ3
 井笠の廃線後、このホジ3はおなじ岡山県の下津井電鉄に引き取られました。同社では、廃止にした茶屋町〜児島の施設撤去用として使用するつもりだったようですが、実際にはトラックが活躍して、こちらはあまり活躍する機会がなかったようです。
 その後もずっと下津井駅構内に置かれていましたが、1988年の瀬戸大橋開通に合わせたリニューアル時に改装の上、保存されました。
 (1990年暮れに同線が廃止になった以降の処遇について私は情報を持ち合わせていません)

1990-8-1 撮影

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