第4輯.独逸の匠 100年の時を越えて  〜クラウス製蒸気機関車〜

 
 鉄道の黎明期、まだ国内で車輛の製造をする技術を持たなかったため、動力車を中心に輸入により車輛が調達されていました。その中で、ドイツはミュンヘンにあったクラウス社で製造された蒸気機関車はその煙室形状に特徴があり、またB型機が多いことから、とても愛嬌があり人気がありました。その車輛は、100年を超えた今でも見ることが出来ます。


(1)石狩沼田の明治鉱山15(九州鉄道15)と遠野の明治鉱山17(九州鉄道17)
 1999年4月〜9月にかけて放映された、NHK連続テレビ小説「すずらん」の舞台になった明日萌駅のロケ地が、留萌本線の恵比島駅ですが、かつてここから昭和炭鉱に向けて留萌鉄道という炭鉱鉄道がありました。ここの車輌では、廃線後茨城交通湊鉄道線に移籍したおへそライトのディーゼルカーや、もと日本鉄道の客車(台車のみ愛知県の明治村に保存)も有名ですが、それ以上に人気があったのが、明治鉱山所有(車籍は留萌鉄道)の2両のクラウスでした。
 もともと九州鉄道(第一次、1909年国有化された九州の主要各線を建設・運行した会社で、現在の西鉄大牟田線を建設・運行した同名会社とは別)が1889年に製造したクラウス製蒸機の一つで、買収後除籍になったあとは東京横浜電鉄(現・東急東横線)の建設工事に従事した後、この北海道の炭鉱にやってきました。
 留萌鉄道は1969年に廃止になりましたが、15は地元の石狩沼田町が引き取り、同町の農業資料館に保存されました。現在は屋根付きの立派な車庫に収められ、状態も大変良好です。また、天気の良い日は戸外に出されますが、自走は出来ないのでアントのお世話になっています。

 一方17の方は、西武百貨店(池袋店)で行われたオークションの目玉商品として出品されたものの、あまりの高額に買主も資金を出せず保留になってしまいました。その後、1970年に大阪で開催された万国博覧会では、カゴメがスポンサーになり現役最古の蒸機として出品、さらに万博終了後は大井川鉄道に入り、千頭〜川根両国の側線を使用して行われた蒸気機関車の動態保存運転用に使用されました。
 そして、最終的には岩手県遠野市に保存されました。当初、地元では釜石線の新花巻〜遠野間で動態運転をしたかったようですが、実現する事はなく、遠野駅の西側に車掌車を従えて保存されています。

状態良好の15号機、右は機関車を押し出すアント
1997-8-24 撮影


引退後、流転の末遠野に保存された17号機
1995-8-28 撮影


(2)宇佐八幡宮の大分交通26(九州鉄道26)
 日豊本線の宇佐駅は現在の宇佐市と豊後高田市の中間にあり、どちらとも市街地から離れています。また宇佐には豊後国一宮である宇佐八幡宮があります。それらと宇佐駅を連絡するために, 1916年に敷設されたのが宇佐参宮鉄道で、戦中の交通統合で大分交通の宇佐線になりましたが、1965年に廃止されています。
ここにも、もと九州鉄道の26が入線し、番号を変えずにそのまま使用されていました。廃線後は宇佐八幡宮の境内に保存されています。状態はここに挙げる車輌の中では最悪でしたが、2001年にJR九州小倉工場で修復、保存場所も屋根等が変更され美しく蘇りました。

煙突が曲がってしまった26号機
この後、美しく再整備された
1999-8-25 撮影


(3)防府の防石鉄道2(川越鉄道2)
  現在、西武鉄道を形成する路線網の中でもっとも古くに開業したのが、国分寺〜東村山〜本川越で、1894年川越鉄道の手により開通しました。開業に際し、クラウス製のB型機2両を用意し、1、2としました。このうち2号機は1918年に山口県の防石鉄道(三田尻=現在の防府〜堀)に譲渡され開業時より活躍しました。同線は1964年に廃止になりましたが、この車輌は客車数輌と編成状態で、廃線後もずっと周防宮市駅跡に放置されていました。同駅跡が追戸(せばと)交通公園になってからも、多少整備された程度で展示されていましたが、1996年に大掛かりな整備が行なわれ、保存場所も防府駅の西側になりました。
 こうして、状態は大変良くなったのですが、雨曝しの為今後が心配です。特に客車は車体は新造並の整備が行われたのですが、ニス塗りのため、現在はツヤも褪せてきて、徐々に悪化しています。


現在は防府駅近くに保存されている防石鉄道2。1998-9-17 撮影
右は改修前、追戸交通公園に保存されていたときの姿。 1995-8-15 撮影

それに従う客車(ハ6、ハニフ1)、
左上:交通公園時代はボロボロだったが、
右上:改修直後はここまでに美しくなった。
右下:だが雨曝しという事もあり、その後は悪くなる一方。


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