第8輯.炭の都の電気鉄道  〜三池鉄道(三井石炭鉱業/三池港務所)三池港駅 1994年夏〜

 
 1997年3月に閉山となった福岡県大牟田市の三池炭鉱ですが、かつてはこの三池炭鉱のある三池港を中心に大牟田・荒尾市内の三井の各炭鉱・工場を連結する、半環状の大きな専用鉄道(通称 三池鉄道1067mm・600V電化)がありました。明治時代に輸入された電機が貨車や客車を引くことで、有名だったのですが、炭鉱の縮小に伴いその路線も廃止を重ね、現在は三井化学(旧・三井東圧化学)の専用線として旭町〜宮浦で化成品タンク車による輸送が残るのみです。
 さて、私は1994年9月2日に、今は無き三池港駅構内を見学させていただきました。その時に撮影した車輛を中心に紹介したいと思います。


 
(左)が当時の鉄道事務所で、見学の時は2階にご挨拶しました。
そして、その傍らには15t機の5(1909年 GE製)と20t機の1(1911年 シーメンス製)が並んで置かれていました。
この2両は現在宮浦駅で保管さてています。

いよいよ構内に入ります。すると20t機の5(1915年 三菱造船製)が
朽ち果てた無蓋車(ハト96※)を連れてたたずんでいました。



撮影している途中には、45t機の18(1937年 東芝製で 僚機17、19と共に戦時40t機「海南島」の原型となった車両)が
空の石炭車を連れにやってききました。
この時、既に石炭輸送は、隣接の火力発電所への燃料用のものだけになっていました。


そして、45tの20(1949年 東芝製 いわゆる「海南島」)とモーターカーが居るこの木造のクラ、
もう使っていないようでしたでしたが、なかなか雰囲気がありました。
その向うには何やら怪しげな電気機関車が・・・

  
それが、この時の目的だった放置機関車達で、夢中でシャッターを切ったのを覚えています。
(左から 7:1915年 三菱造船製、31:1923年三池製作所製、6:1909年 GE製)
本線上では既に引退してしまった車輛を見ることもできました

  
行きついた先が構内の北のはずれ、かなり広い駅構内でした
そこにやってきた45tの21号機(1949年 東芝製)をパチリ

  
もう一つのお目当てが、かつて関係者輸送用の旅客列車に使われていた、このロクサン型客車(ホハ201 1950年 日本車輛製)でした。
倉庫として使用していたようですが、前年に台風が襲い、ボロボロになってしまったとの事。
近寄るのも大変だったのですが、なんとか撮影しました。

ロクサン型の由来の通り、省線電車のモハ63と同型で、国鉄や民鉄で使われた車両は桜木町事件のあと改造されましたが
この車輛は3段窓や特徴ある水きり、妻面のベンチレーターはそのままでした。

  
ほかにもこんな車輛たちが放置されていて・・・

最後の秘境に足を踏み入れたようなものでした。

三池港駅南側の通称「大踏切」から見た駅構内、中央が石炭の積み出し口
非常に立ち去りがたかったのを覚えています

閉山後の1998年9月に、島原からの高速艇に乗った際、連絡バスでここを通ったのですが
何も無い構内に唖然としました。

閉山直前の1997年3月に訪問したことは、また稿を改めて紹介したいと思います。

※  三池の車輛で非常に特徴的だったのが、貨車の表記記号でした
 石炭車=セ 無蓋車=ハ(箱型) 有蓋車=ユ 長物車=ヒ(平台車) タンク車=タ
  に
 ヤ(8t)・ク(9t)・ト(10t)・コ(15t)・ロ(16t)・ナ(17t)・オ(大型)
の各荷重記号を組み合わせハト、ヒト、セナ、タオと言った表記を使用していました。

逆に言えば、線内専用貨車には様々なタイプがあったということになります
一つの専用鉄道でありながら、その用途は様々であったことが解ります.

●この専用鉄道については、詳しく紹介されたサイトがあるので紹介します。
炭都の鉄道 (うしやん様 2002.10.23 リンク)

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