プロローグ:ロング・バケーション

「・・・・・・・・・・・・」
怒りと悲しみに呉れて、深夜の東横特急に乗っていたのは梅雨時のこと。

経緯は省くが、7月末で私は、8年と3ヶ月の間勤めた某S社を退職することにした。
何時かは辞めようと思ってはいたが、まさかそれが今年になるとは思いもしなかった。
まあ、いろんな意味で「潮時」だったのは確かである。

思わぬ形で転がりこんで来た、人生最大のロング・バケーション。
そして、頭に浮かんだのは「海・外・逃・亡」の4文字だった。
目的地は・・・・・

「そうだ。台湾、行こう」

◆台湾への思い
この8年くらいの間、私の周りの人間が複数、台湾へと旅立って行った。
その度にみな、渡辺満里奈の如く「台湾びいき」になって帰ってくるのである。
二言目には「台湾、絶対行きなよ〜」。何か洗脳効果でもあるのかしら。

一方で私には、2002年末の韓国旅行以降、「旧・外地」ブームが起きていた。
昔、日本だった地域への興味が、高まってきたのである。
農地改良や、立派な建築物・都市計画の話しを聞く度に思うのは、
「なぜ、あれほどまでに情熱を傾けたんだろうか・・・。」
という、疑問である。

その日本時代のものを、旧外地で、最も大切にしているのが台湾。
なぜなんだろうか・・・現地に行けば、解るかもしれない。

加えて、台湾高速鉄道(新幹線)の開業も目前に迫り、
一方で古き佳き青い列車が消滅寸前という情報も伝わって来た。
台湾に行くなら、今しかない。
いや、今、台湾に行かなければ、一生後悔する・・・・。

S社を辞めた翌日、
早速、旅行会社へ行き、格安航空券の確保を行った。
今回は、事情が事情だけに一緒に行く人はいない。
極めて身軽な一人旅である。

長栄

◆美麗之島へ
2005年9月3日午後。
成田空港を10分早く飛び立った長栄航空(エバー航空)のエアバスは、更に予定より早く飛び、
台湾上空へ差し掛かるころには約30分、早くなっていた。

窓側の席にも関わらず進行方向右側につき、外は東シナ海しか見えない。
まもなく着陸・・という時、左に旋回。漸く、台湾本土をみることができた。
稲穂の緑で埋め尽された中を、建設中の高速鉄道の白い高架線が横切っている。
建物も見えるが、その高さは比較的低い。
風景の第一印象は、韓国のそれよりも、遥かに日本に似ている、ということだった。

中正機場(蒋介石国際空港/桃園空港)には西側から滑走路へ進入し、結局30分ほどの早着となった。
(ちなみに、東経135度線を標準時とする日本に対し、台湾は中国本土と同じ東経120度線を基準としているため、1時間の時差がある)。
ボーディングブリッジに降り立つと、日本よりも遥かに高い湿度と、独特の匂いの洗礼を受け、 早速、異国へ来たことを感じる。

日本からの飛行機は、殆どが第2ターミナル着。
無駄に長い通路を辿り、出国手続きを済ませる。
毎度のことながら、国際空港の無機質な作りは、方向感覚を失わせ易い。

7万円ほどを両替した。
台湾の通貨は「ニュー台湾ドル」であるが、普通は元(台湾元)と呼ぶ。
1円=0.29元(1元=約3.42円)なので、2万300元が手許に帰ってきた。

そこで紙幣を見ると、「元」ではなく「圓」と書いてある。
そう、「円」の旧自体である。日本と中華圏の繋がりを妙に感じる。
ちなみに、「元」も「円」も韓国語では「ウォン」。つまり極東の通貨呼称は根が一緒なのである。
ただ、中華圏では、お金の単位はみな元(圓)らしく、米ドルは「美國元」(美國=米国)と呼ばれるらしい。

自動ドアを出れば空港ロビーである。
相変わらず、無国籍な雰囲気である。
しかし、ここからは文字通り台湾。見知らぬ土地での1週間がスタートする。

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