第1日:台北小夜曲 2005年9月3日(日)
〜台北公館〜

◆極東共通の・・・・
さて、ここ中正機場は台北にはない。
そこから西に進んだ、桃園市の北のハズレにある。台北までは実に40Km。
全く、成田といい仁川といい・・・極東の空港はどうしてこんなに都心から遠いんだ?
しかも電車はないので、バスを使うことになる。

日本語で話しかけてくるタクシーのオッチャンを無視して、
少々解り難いところにあるバス乗り場へ行く。
しかし、ターミナルの中を若干歩いただけで汗ばんでくるのはキツい。この先が思いやられる。

台北へのバスは複数の会社が運行しているが、ここは最もオーソドックスなバス会社である、国光客運を利用することにした。
かつての国営バス、台湾客運の後身である。
カウンターで「タイペイステーション」と言ったのに、何故か松山機場行きのチケットを渡されたので、慌てて取り替えてもらう。

間もなくやってきたバスは、ステンレスボディーも眩しい。まるで昔の昭和バスである。
乗り込めば、台北までの所要時間は約1時間。
運賃は120元(=410円)で、かなり安い。
座席はリクライニングシートだが、座席の境に液晶テレビがあり、うっかりすると頭をぶつける。
バス

第一ターミナルに立ち寄ったあとは、既に西に傾いた陽の中、台北までひたすら高速道路を飛ばして行く。
風景は、九州道の久留米→福岡のような感じだ。ただし、ここ台湾は右側通行である。
その車窓で特に注意して見てしまうのが集合住宅。どうも韓国以来トラウマになっている。
新しいものはやはり高層建築。
しかし、ノッペリした韓国のそれに比べ、風水を意識したのか表情は随分豊かである。
色はどちらかといえば渋めで茶色系が多い。ただ、白っぽく汚れているのは、気候のせいだろうか?

ところが、台北に近づくに連れて増えてくる古い建物は、まるで九龍城。
どれもこれも黒ずんだコンクリートで、明日にでも崩れそうである。

台北の多摩川、淡水河を渡ると、いよいよ台北市である。
高速道路を降りると、早速、台湾名物である、スクーターの大群に出迎えを受けた。
ちょうど夕方のラッシュ時。街を歩く人通りも多い。
そして、漢字だけの派手な看板の洪水と、途切れなく続く商店に、
早速、この国に満ちるエネルギッシュな空気を感じていた。

今年からルートの変わったバスは、円山、そして中山を経て、台北車站(=駅)西側のバス乗り場へ着いた。
鉄道は地下を走り、地上には、要塞のような巨大な駅舎が建っている。
台北 台北●台北駅前にて

◆疫病神はどっち?
昨年のドイツでの一件もあるので、初日のホテルは日本で予約していった。
駅より約1Km北北東にあるので、歩いて行く。
広い道であっても、横断歩道があるのは有り難かった。
しかし、その分、スクーター群に圧倒されて、どうも歩きにくい。
こちらが、しっかりと歩んで行く・・という意志を持っていないと、本当に事故ってしまうだろう。

ホテルに荷物を置くと、台北駅に戻ってきた。待ち合わせである。
一人旅なのに何故?
それは、旅立ちの2日前、突然、昨年欧州を一緒に旅したH1氏から、電話が懸ってきたことが理由である。
「9月3〜5日、飛行機の都合で台北にいるんだけど」

・・・偶然とは恐ろしいものである。
折角なんで、一緒に台北の夜を歩こう・・という約束をした。
ちなみに彼は、○華航空で欧州へ行こうとする、命知らずの野郎である。

待ち合わせ場所はわかりやすいところがいいので、2階の本屋入口と決めた。
ところが、その2階への階段は、全てシャッターが閉まっているではないか。
なんでも、本屋を含む商店街が倒産したらしい。
またしても・・・去年のフランクフルトの悪夢がよぎる。

どうするべ、と思って駅構内をうろついていると、駅東南側の片隅になにやら木造風の売店がある。
そこは、台湾鉄路管理局(台湾の国鉄。以下「台鉄」)の公式グッズショップであった。
台湾にも小規模ながら鉄道趣味は存在しているが、客筋は一般的な人ばかりなのが面白い。
生活や歴史の一部として見られている証拠だろう。

たぶん、ヤツもここに来るだろう。そう思い、この前で待つことにした。
途中、欧州人のお姉ちゃんに道を聞かれて(・・・同じ東洋人だものねぇ)困ったりしながら15分経過。
駅の向うから見なれた顔が近づいてきた。
よかった・・・・・見事に落ち合うことができた。

しかし、2回も続けて起こるとは、完全に呪われていますな。

◆地下鉄に乗って
さて、台湾の夜といえば、何は無くとも夜市である。
台北では北に向かった士林が有名である。
しかし、ちょっと一捻りして、南にある公館へ向かうことにした。
台湾大学(台大、旧・台北帝国大学)の学生街として発展したところである。

さて、台北市内の通勤鉄道を運行するのが台北捷運(たいほくしょううん)である。
南北方向の淡水線〜新店線/中和線と東西方向の板南線、および小規模の支線からなる鉄道(第3軌条式電化、1435mm軌間)と、
市街東側を南北に貫く新交通システムの木柵線を運行している。
「捷運」とは、高速交通のこと。なるほど、敏「捷」な「運」輸・・と考えれば解り易い。
ただ、台北より南側の鉄道線が地下を走るので外国人には地下鉄と案内されることが多い。

公館へは、このうち新店線に乗って行く。
これが、台湾初の鉄道体験となった。
シンガポールなどと似た欧州技術の路線で、右側通行である。
車体幅が広く、外吊りのドアやFRP製の座席とその配置は、異国のものである。
吊り皮を除けば、おおよそ日本の香りはない。
それなのに、ここ淡水線系統の車輌は日本(川崎重工)製なのは面白い。

ただ、韓国で地下鉄5号線に乗った時のような感動があまりない。
ヘンに、海外に馴れてしまったんだろうか。アンテナが鈍っている。

◆学生街の夜市
公館には10分ほどで着いた。丁度、20:00である。
駅は千里中央のように、B1Fの改札口との間が吹きぬけになっていて、開放的な感じである。
公館駅構内

そして、地上へ上がると・・・。

台大のある側が暗いのは当然だが、その反対側は異常なまでに明るい。
ネオンサインや電飾看板でギンギンギラギラである。
まさに、中華の世界にいる!。その思いを強くした。

街は、食堂や屋台に加え、学生街らしく本屋や被服関連の店も多い。
中には、建設中のビルに出店をしている人もいる。とても逞しい。
それらの店は、皆明るく、買い物客で溢れていた。
そして、歩道は人でごった返し、前へ歩けないほどである。
客層も若者ばかりか・・といえば、そうでもない。
いずれにしても、皆、週末の夜を楽しもうという人たちで、表情も明るい。

公館夜市
学生街ということで、韓国の新村・弘大の賑わいを思い出したが、
こちらのほうが、より開放的。南国の天真爛漫さであろう。

裏道に回れば、より狭い路地の両側に建ち並ぶ食堂から
肉と発覚の混ざった匂いが強烈に漂ってくる。これが「台湾の香」というヤツか・・と感じた。
道には相変わらず多くの人が行き交い、食堂も満員御礼である。

そして、バイクの洪水。二人乗りなど当たり前、
こんな気候だからか、体力を使う自転車は少ないのだろうか?
放置自転車ならぬ放置スクーターの大群で歩道は埋め尽くされていた。

公館の夜市は規模が比較的小さく、一回りもすれば終わってしまうような大きさである。
それでも、この混沌とした密度の濃い賑わいに、早速日本の夜と比較する自分がいた。

さて、いよいよ異国のお楽しみ、食事である。
いろいろ探しているうちに、「鍋貼」の文字から、鉄鍋棒餃子(・・・紅虎じゃありませんよ)の店と解りそこへ入ることにした。
注文は、伝票に客が記入するシステムなので有り難い。
が、漢字を使っているとはいえ、その意味は微妙に違うので大変である。
結局、あまり考えもせず、2人で違うセットを頼み、例の如く回し食い・・と相成った。

いちばん最初に出て来たのが「豆漿」・・・これは、豆乳であった。
要するに、漿=ジュースということが解ったが、豆乳が基本的にダメな私にはちょっとゲッソリである。
続いて、出て来たのが、「冰糖蓮子」。キムヨンジャの親類ではなく、
なんとキクラゲが甘い水の中につかっているデザートである。
一瞬ぎょっとしたが、これが思いのほか美味しかった。

次は、スープもの。順番が逆ではないかと思うが・・・。
片方は「肉子汁」。字の如く、肉団子が入った薄味のもので、さっぱりとしている。
が、もう一方の「酸辣湯」。ドロドロした液体に野菜やら血を固めたもの?やらが入って、
苦く辛くしょっぱい。「薬膳」といった感じである。

ここまで1勝1敗(・・あくまで私の感覚)だったが、本題の棒餃子@一人当り10本はたいへん美味しかった。
見た目以上に中が詰っており、ボリュームがある。
これだけ食べても、二人で170元。・・・食費の安さのありがたさは、このあとずっと感じることになる。

◆台湾版地方出版センター
さて、ここへ来たのには、理由がある。
台湾の歴史・地理・民俗に関する本を扱う専門店「台湾的店」(的の字は異なる)がある。
鉄道書についても、随一の品揃えであるという。
早速、そこへ向かって歩き出した。

台大の北側を走る幹線道路から路地を入ったところにその店はあった。
さして広い店内ではなかったが、台湾の「社会科」の本が沢山並んでいる。
H1氏は、台湾にいられる時間も短いので、ここで厚い鉄道本を購入と相成ったが、
私は、これから台湾を一周のするので、それに役立ちそうな本を選んだ。
で、購入したのが、「台湾日治時代的情景」という、日本時代の建築物を紹介した本。
このようなものが出版できるところに(そもそも日帝ではなく日治という点に注意)、
北京政府や朝鮮半島との違いを感じる。
・・・ちなみに、この本、日本で出版された本の訳本だと知ったのは、2日後のこと・・・。

一方で、霧社事件を扱った漫画も置いてある。霧社事件については、ググってもらえれば
概要はわかると思うので説明は省くが、そういったことを含めて、
日本時代のものに対し、全肯定でも全否定でもなく、冷静な眼差しが向けられていることを感じる。

台湾的店を扱ったページ(外部リンク)

◆コンビニでホゲー
さて、台湾は日本以上にコンビニが浸透している。日系ではセブンイレブンと、全家便利商店ことファミリーマートが大規模に進出している。
そんなコンビニに立ち寄ると、八角の臭いが激しい。台湾には日本時代の名残で「おでん」があるが、 これも八角入りなのである。
本題は、飲み物である。早速お茶を飲もうとペットボトルに手を出したが、イラストを見て????。

「レモン入り緑茶、砂糖入り」

・・・・・。
高校生の時、なぜか砂糖入り緑茶を岐阜の忠節駅前で買ったことがある。
その時の、甘い・・・いや、苦い記憶が脳裏を駆け巡って、棚に戻した。
しかし、砂糖の入っていない緑茶の方が少ないほど。
結局、台湾の飲料メーカーである黒松のサイダーを買って出てきた。

まあ、台湾など砂糖入りがフツーの国では、逆に渋いまま飲む日本人が信じられない・・となるらしい。
渋みや苦味にに美味さを感じるのは、日本人独特だそうな。

で、H1氏は何を買ったんだろうか。試しに飲ませてもらうと・・・。
「&%=#*’!」。
なんと、杏仁豆腐のジュースである。杏仁豆腐を液体にしてそのまま胃に流しているようなもの。
昔、日本でも「チョコ○ール」や「ミル○ーはママの味」を飲料にしたものを売られたことがあったが、
あれと同じような、のどごしの悪さを感じる。ゑ----。

ふたたび歩き出すと、なにやら人があまりいない一角がある。
書いてある文字を見ると○○先生葬儀・・・そう、お葬式の会場である。
しかし、そこはモノトーンではなく、中華系の派手な色で飾られている。
そういえば、日本国内でも西に行けば行くほど、葬式の花環が派手になっていく。
その極度なものが、この景色なのであろう。
ちなみに、花環の中は缶飲料でギッシリと詰められていた。

駅に戻ると、22:00。老若男女でごった返しているのは、まあ首都の夜ならこんなものか・・というところである。
いずれにしても欧州のような身の危機を感じることは、あまりない。

ホームで電車を待っていると、丁度乗車位置の上に、プラズマTVが取りつけられている。
流れているのは発車案内ではなく、普通の広告放送である。
そこに出て来たのは、あのヨン様・・・。
しかし、これは日本で流行ったので台湾に流入したわけではない。
もともと、韓国ドラマがブレイクしたのは、ここ台湾など中華圏が先である。
そこで産まれたのが「華」に対する「韓流」という言葉。
それが1歩遅れて、冬のソナタとして日本にやってきたのである。

台湾に「哈日(ハーリー)族」という、熱狂的日本ファンの若者がいるということは
意外と知られていると思うが、それが「韓流」に随分とってかわられた・・なんて話しも聞いた。
できれば、その真実を確かめたい・・と思った。

◆多ちゃんねる時代
ホテルに戻り、TVを付ける。
しかし、早速パニックに陥ることになる。

一体何チャンネルあるんだよ・・・・。

そう、台湾は言論自由化と共に爆発的に新聞が増えたことがあったが、
今や、ケーブルテレビによる多チャンネル時代を迎えているのである。
約100チャンネル。おかげで、面白そうな番組を見つけてとしても、2度と同じチャンネルに戻ってこれない。

日本のNHK総合も映るが、折角台北にいるんだから・・と別のチャンネルを見て行く。
どこのチャンネルでも字幕付きなのがありがたい。これは、台湾が多言語国家であることと関連しているんだろうか。

音楽専門チャンネル(・・・台湾版 娘。みたいなのも出ていました)、や日本アニメ専門チャンネル(・・・何年ぶりだろう。パーマン見たの)、
蛍光灯の色した時代劇を放送するドラマ専門局などいろいろある。
その中には「原住民族電視」や「客家TV」なるものまである。
前者は、タイヤルなど、日本時代に「高砂族」と言われた台湾原住民それぞれの言語で(・・実に9言語)、後者は同じ漢民族移住者ながら、広東あたりの出身者が話す客家語(はっかご)の専門チャンネルである。

すると、なんと中山エミリが出て来たと思ったら北京語を喋っているではないか。
これは日本と同じビオレのCMで、勿論現地人による吹き替えである。
ちなみに資生堂は、商品名部分だけ吹き替えで、あとは日本語のままである。

やがて、何か見なれた番組が・・・クイズミリオネア台湾版だった。
ミリオネア自体は、もともと英国の番組だから、別に驚くことではないのだが、
ルールが異なり、なんと団体戦形式になっている。
その問題。

「ドラえもんをのび太のもとに送ったのは誰」
「ちびまる子ちゃんでタマチャンとは誰のこと」

・・・・・・早くも、この国に染みついた日本文化の一面を見せつけられた。

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