第3日:一路平安? 2005年9月5日(月)
〜苗栗 鉄路博物館、阿里山林鉄往路〜

◆西部幹線の旅
朝6:30、2日間お世話になったホテルを出た。
いよいよ台湾1周の旅である。
苗栗、台中、嘉義と南下し、今回のメインイベントである阿里山森林鉄道に乗車の予定である。

乗車予定の台北7:00発、自強号1003レは「準點」。
先ずは問題なさそうである。
地下のホームに行くと、EMU1000が入線してきた。
両端に南アフリカ ユニオン車輌製の電気機関車、中間に韓国ロテム車製の客車を配した
プッシュプルトレインである。
ちなみに、台北折返しの列車は存在せず、この列車は隣の松山が始発である。
EMU1000
●EMU1000 (05年9月7日 高雄にて)

昨日買った指定券に合わせて乗り込む。
日本とおなじモケット座席のリクライニングシートで申し分ない。
面白いのは、小さなホルダーがついている。
指定券は大きなモノ(JRの長距離乗車券と同等の大きさ)と小さなもの(日本の普通切符と同じ大きさ)の
2つを渡されたが、どうやら小さい方をホルダーに入れるようだ。

さて、台湾の列車は、以下の種別で運転されている。
いちばん格上の「自強号」、続いて「呂光号 (呂は本来 草冠付)」、
そして「復興号」と「電車」があり、いちばん下が「普通」「平快」である。
路線毎の愛称はないが、観光用特別列車には「○○之島」といった名前がつけらている。
(でも、誰もそう呼んでいないらしい)。

それぞれの種別毎に運賃が定められており、またモノクラスのため等級別運賃にはなっていない。
また、自強と呂光は全車指定席だが、無座(立席制度)があり空いている席なら座っていいことになっている。
ちなみに、指定と無座の間に料金差はない。
ちょっと前、「セマウル」「無窮花」「統一」「ピドゥルキ」だった韓国に似ているといえよう。

したがって、「無座(=立席)」で乗る人が多い。
この列車も、デッキや通路を既に沢山の人が埋めている。
そして、指定券を持った人が、座った人をどんどん立たせて行く。

板橋を過ぎて地上に出て、車輌区のある樹林を過ぎると、景色は近郊地帯に変わる。
いや・・・旅っていいものだ。

と、思った途端にみるみる減速。そのうちには止まってしまった。
何があったというのだろうか?
走っては3分止まり、5分止まりの繰り帰し。
車掌さんが何か放送しているらしいが、全くわからない。
新竹に着く頃には20分以上の遅れとなっていた。
仕舞には竹南で台北を30分後に発車した自強1005レに抜かれる始末。
ちなみに1005レは、台中までノンストップの速達便で、本来なら遥か南の斗六附近で抜かれるものである。
初っ端からこれはついてない・・・。

さて、車内検札がやってきた。この点は、日本と同じである。
一点ことなるのは、先ほどのホルダーに収めた切符である。
これは、ようするに「寝ていて起こさないでくれ!」という時に使われるものであるらしい。
レールスターのサイレントカーと同じようなものだ。
しかし、こういうことができる限り、台湾はまだ治安が良いのだろう。
苗栗駅
●苗栗駅舎

◆誰もいない鉄道公園
結局、晩30分で苗栗に着いた。
本当は苗栗と台中で1時間づつとっていたが、到底無理なので、苗栗のみ1時間30分の滞在に変更した。
見たかったなあ・・・台中駅舎。

苗栗は台湾中部、苗栗県の中心地であるが、あまりメジャーな街ではない。
しかし、鉄道ファンならば、絶対に訪れるべき場所である。
そう、「鉄路博物館」が存在するのである。
しかしまあ、台北から随分離れたところに作ったものである。

閑散とした駅前から南に下り、鉄道のガードをくぐるなどして、5分ほどで鉄路博物館についた。
どうも旧機関区か何かの敷地であるらしく、保線車輌も留置されている。
そして、こんなものの出迎えを受けた。
苗栗の兵隊
・・・・・・。しかもこんなものにまでご丁寧に解説つき。

さて、ここは「博物館」というより「鉄道公園」といったほうが適切かもしれない。
巨大な屋根の下に約15両の車輌が保存・展示されている。

車輌は、往年の本線ロコに加え、ナロー時代の台東線、阿里山森林鉄道、台湾製糖の車輌も置かれている。
ちなみ、これらは762mm軌間であるが、大きさがバラバラなのが面白い。
肝心の状態は木造客車も含め状態は最良。
ただ、出入りが完全にフリーなのが少々心配でもある。
台湾は、未だモコモコ系の落書きは少ないのだが・・・・。
また、一部は外に留置されているのも気候を考えると、少々厳しい気もする。

それにしても誰もいない。
月曜日の午前中に、こんなところにくるのは、やはり物好きだけである。

所蔵車両から何両か。
GM製DL
台湾鉄路管理局 405
現在でも多数が活躍する米国GM製電気式DL。
この車両は1969年製で、反対側は低運転台・ボンネットなし。


木造客車
台湾鉄路管理局 30SPK2502
1953年台鉄 台北工廠製。
17m級の木造車で、日本国鉄の戦前製旧型客車に似ている。
木造客車は、このほかオープンデッキの25TPK2053が保存されている。

台湾製糖
台湾製糖 254
かつて台湾の西海岸中部〜南部にかけて多数の路線があった
製糖鉄道で活躍したモーターカー。
1962年 台糖公司 虎尾製

保線車両
ちなみに博物館の隣には保線車両が
留置されています。

◆自願無座
苗栗駅に戻り、次の自強1007レの切符を買う。
「自強1007 往 嘉義」と書いた紙を見せるが、何かいろいろ言っている。
理解できず、「無座」と再び書くと、相手は微笑み、無事発券された。
しかし、嘉義までは約2時間。座席がないのはキツイ。

やってきたのは、EMU1200。こちらも南アフリカ ユニオン車両製の電車である。
もともと貫通型のEMU200(3両固定編成)だったが、近年、非貫通の2枚窓・9両固定編成に改造され、現在の車番になった。
なんとなく、台湾の「りょうもう号」といった感じである。
EMU1200
●苗栗駅に進入するEMU1201以下 9連

ところで、台湾の電車は、韓国製の通勤電車(EMU500、600)を除き、
釣掛駆動を採用している。これは、英国(南アフリカ)およびイタリア製であることと
関連しているだろう。
私達、日本の鉄チャンにしてみれば、時速120Km/hでかっ飛ばす釣掛特急電車に乗れるという、
なんとも嬉しい状況なのである。

ということで、電動車、それもデッキ部に立つことにした。
禍転じて福と成す・・・ということである。

ところが、走りだしたものの釣り掛け音はあまり聞こえてこない。
耳を済ませば、確かに聞こえてくるのだが・・・。
間違ってT車に乗ったか?と思ったものの、そういう訳でもない。
欧州の血が流れるこの車輌は、非常に静粛性に優れている様である。
ちょっと残念。
なお、聞いた話しでは、イタリアのソシミ社製 EMU300が最も「いい音」を奏でるらしい。

苗栗は、随分南側に行ったところが市街地のようである。
それを見下ろす様に走ると、山の中へと突入して行く。
西部幹線の竹南〜彰化は海線と山線に別れている。かつては単線だったが、そのことにより輸送力は逼迫。
また日本人が犠牲になった自強号の正面衝突など、重大事故も多発していた。
そこで大規模な改良工事が実施され、現在は複線になった。
特に、三義〜豊原は完全な新線になっている。こういったところは日本の昭和40年代に近い感じがする。

さて、デッキ部は、あまり空調がよろしくないらしく熱くてたまらない。
結局、直に客室に飛び込むことになる。
車椅子スペースとして一人がけになっている部分があるので、ちょうどそこに立っていた。

すると、そこに座っていた欧米人のお兄ちゃんに、いきなり声をかけられた。
「ホワッタイム ウィル アライバル タイチュワン」
?!?となったが、そうか台中の到着時刻のことかと、理解し、手許のネットからダウンロードした時刻表で調べて教えた。
おとといの台北といい、白人にとって黄色人種は全部一緒なのだ。

ということで、そのお兄ちゃんは台中で降りて行った。
ラッキーなことに座席が私のもとに転がり込んできたわけである。
その上、車内のワゴンサービスでは台中の駅弁も販売開始となり、思わず買う。
価格は80元(約270円)、やっぱり温かいのは嬉しい。
しかし、駅に止まるたび、指定席券を持った人が乗ってくるのでは?と考えねばならないのは落ちつかない。
台中駅弁
●台中の駅弁

建設中の高鉄が横切って行く。
高鉄は、ワザと市街地を外れるルートを取っているが、随分辺鄙な場所に連絡駅ができるものだなあ・・と思った。
それよりも問題なのは、駅が未だ建設中で完成の気配がないこと。
ここに限らず工事の進捗は大分遅れているようで、架線が張られていないところも多々ある。
10月の開業は無理だろうなあ・・・と思っていたら、数日後、現地のTVで高鉄開業延期のニュースを見ることになる。

海線と山線が合流する彰化を過ぎると、車窓は打って変わって一面の田園地帯になる。
嘉南平野と呼ばれるこのあたりは、日本時代に灌漑設備が整備されたことで、台湾随一の穀倉地帯に変貌した。
したがって、風景は大変日本的である。その向こうに、ビンロウ椰子が時々スッと立っているのを除けば。
嘉南平野

◆気持ちは伝わる
12:28 嘉義には定刻通りに到着した。阿里山森林鉄道に乗換えである。
ここからが、実は今回の旅で、最大のカケである。

阿里山森林鉄道(本線)は、平日1往復、休日2往復。
1列車あたりの座席数は100席程度で、観光バス2.5台程度である。
このため、土休日になると切符が取れなくなる。
これを考えて、今回、阿里山が平日になるようにコースを仕組んだ。

ところが、来台直前に台風13号(国際名・TARIM=フィリピン語で「鋭い刃先」:台湾では泰利颱風)が襲い、
阿里山に通じる交通路を全て遮断してしまったという。
したがって、今回、阿里山に行けるかどうかはわからない状況にある。

改札を出ると、早速客引きのおばチャンが待っている。
「阿里山?」と声をかけてくるが無視。
そして、林鉄の切符を売る4番窓口へ行ったが、無情にも「没有(=なし)」である。
弱った・・・と思っていると、さっきのおばチャンが声をかけてくるではないか。
経験者の話によれば、確か、山の上のホテルとセットで売るんだよなあ・・・
この際である。いっそ交渉してみよう。

「アリサン、キップ、デンシャ」と言う彼女に、「阿里山?」と言うと、
やおらホテルのパンフレットを渡された。

「桜山大飯店」・・・ガイドブックには載っていないが、写真を見る限り悪くはない。
肝心の料金であるが、筆談で、林鉄が片道400元(約 1400円:これは変動しない)、そしてホテルは1200元(4200円)で、
合計2000元(7000円)を提示された。
「想定の範囲内」である。

ところが、翌日はバスで嘉義へ降りてきて、集集線に行くツモリである。
そのことを伝えようと思うのだが、なかななか通じない。
メモ帳に図と字を書きながら、北京語、英語、日本語が入り乱れてのバトルトークとなる。
そのうち「バスない」と彼女は言ったが、気にも留めず「往:火車 復:把士」と書き続けた。
結局、彼女は了解したらしく、山の上のホテル?に携帯で電話を入れ予約完了となった。
そして、片道分のキップとホテルのレシートを受け取った。で、料金は2000元・・・あれ?

まあ、こんなものさ・・・と思いながら、一旦嘉義の駅前に出た。
嘉義駅は日本時代の建築であるから、写真に収めたかったわけである。
しかし、駅前にたむろしているタクシーのオッチャンが「アリサン」「アリサン」と五月蝿い。 2カットだけ撮って駅舎内に戻った。
嘉義駅
●嘉義駅舎

そして待合室のベンチに越しかけるや否や、隣の青年が声をかけてきた。
「※◎▲◇*!」
発音に自信がないので、メモ帳に「我是日本人」(=私は日本人です)と書いて見せた。
すると
「Sorry.I'm(略)」
と、流暢な英語を語るのである。げっ、おいら英語苦手なのに・・・・。
しかし、こんなことでもないと、現地の青年と話すこともないだろう。
こちらも勇気を出して、喋ってみる事とした。

そして、解ったのは、彼は25歳、写真に興味があるとのこと。
つまり、一眼カメラを持っていたので、声をかけてきたようだ。
彼は、手持ちの写真を何枚か見せてくれたが、その中には兵役時代のものと思われるものも何枚か・・。
いやはや、こういう時に日本に生まれたことに感謝するわけだ。

で、こちらは写真を持っているわけもなく、携帯電話の中の写真を見せることに。
「This is My Home Town」とかなんとか言って見せたのだが、
実際には3ッつ隣(で4月迄勤務していた)の○窪の写真だったりする

まあ、そうやって、なんとか言葉を探りながらも、コミュニケーションを取ることができた。
彼は、このあと自宅のある桃園へ帰るという。
互いの無事を願って、
「Have a nice day!」

台湾の人は、ひとあたりがよいというが、正にその通りだった。

◆いよいよ林鉄に。
嘉義駅の阿里山林鉄
阿里山森林鉄道・・・中学生の時、レイル・マガジン誌33号で知ったこの鉄道は、
長い間、一度は乗ってみたい路線だった。

日本統治時代、台湾中南部にそびえる阿里山一帯の森林資源開発を目的に10年の歳月をかけて建設され、1912年に開業した。
海抜30mの嘉義から2247mの阿里山(旧駅=現在の沼平)に至る本線は全長71.3Km、最大勾配62.5‰の山岳路線で、
3重ループ・4段スイッチバックという特殊設備を持つ。
そして、シェイ・ギアードと呼ばれる、特殊な蒸気機関車が活躍したことで有名だった。

 しかし、阿里山の森林開発は下火になり1978年には木材運搬は終了。
その後、1982年に省道18号線(新中横公路/阿里山公路)が開通し旅客が激減。
現在は前述の運転形態になり、列車はほぼ、観光用となっている。

阿里山から先にのびていた林場線(木材搬出用の線路)も、
東側の玉山方面の東埔線(多多加線:多は口へんが付く) 沼平〜塔塔加 20.0Kmは、
1978年の木材運搬終了と共に廃止。
現在は一部が省道18号線の敷地に転用されている。

一方、北側の眠月線(塔山線 14.3Km)は、石候への観光客輸送用に眠月まで残っていたが、
1999年の台湾大地震(現地では921地震または集集地震)で石候が崩壊し、現在は休止中。
結局、1985年に敷設された、日出見物客輸送用の祝山線だけ
(このほか、休日は阿里山〜神木の区間運転あり)となっている。
なお、管轄は、日本の林野庁にあたる林務局である。

改札をくぐると、駅舎側の「0番線」的な位置に阿里山林鉄のホームがある。
間もなく北側から機関車に牽引され列車がやってきた。
ディーゼル機関車が4両の客車を従えているが、それはここまでの話。
山岳鉄道らしく、麓側に動力車を配置した推進運転となる。
嘉義駅の阿里山林鉄 阿里山林鉄
●嘉義駅に入線する阿里山号

客車は固定窓に回転リクライニングシートの2+1人シート。冷房完備、便所まである。
その風貌は、小林信夫氏がつくるフリーの近代型軽便客車を思わせる。
日本の軽便鉄道とほぼ同じ大きさであるため、丁度ホームを挟んで反対側に入線してきた
復興号と比べると、非常に小さい。

切符に記された前から3両目、進行方向右側の一人掛けの座席に座った。
何故か、列車内には「北国の春」の歌のない歌謡曲が流れている。
やがて、さっきの客引きオババに導かれ、他にも数名の客が同じ車両に乗り込んできた。
そのうち、オババが、反対側の2人掛けに座った女性に私の事を指差して何かを話していた。
すると、その彼女から、流暢な京都弁が・・・。

お話を伺うと二人は姉妹で、お姉さん?のほうが台北在住とのこと。
道理で北京語がぺらぺらなわけである。
今朝、高速バスで嘉義へやって来たそうだ。
そして、同様に嘉義駅で、さっきのオババに引っ掛かったとのこと。

したがって、泊るホテルも同じなのだが、どうもオババは人によって提示した値段がマチマチのようで、
「前に座った人には1600元で案内したから、黙っておいて」と言われたとか・・。
また、台風で運休になっていた林鉄は、昨晩、電話をした時には未だ運休中で
今日の阿里山行きから復活したとのこと。なんともラッキーである。

車内は、半分くらいの座席が埋まったところで出発となる。
市街地の裏側をガチャガチャと進んで行くと、やがて広大な車両工場の中へ。
ここが北門(起点から1.6Km 標高31m 以下同じ)で、多数の車両が放置されている。
姉妹鉄道の大井川鉄道に例えれば、新金谷のような存在で、観光バスでやってきた客は、ここから乗る。
実際、数組の客が乗車し、車内は8割方が埋まった。

◆阿里山心中
列車は暫らく平野部を走って行く。嘉義の市街地は直ぐに終わり、田園地帯となる。
台鉄と違いゆっくりとしているため、景色もよく目に入る。
椰子の木とパイナップル畑、廃止された駅の跡もある。(かつては、次の竹崎まで6駅が存在した)。

ところが、竹崎駅(14.2Km 127m)を出発すると、景色は一変する。
小さなカーブを何度も繰り帰し、急勾配をひたすら昇って行く。
漸く「森林鉄道」になった感じだ。
そして森は全て椰子の木で出来ている。植生と共に南国を感じるが、そんな中に日本と同じような
茶畑があることに何かホッとする。そういえば、この当り台湾でも有名な茶所だそうだ。
また、台風の爪跡があちこちにある。遥か下まで土砂が流れている。
未だ本復旧ではないようで、作業員のおっちゃんが一生懸命ユンボで作業をしている。
土砂 独立山

独立山3ループ やがて、樟脳寮駅(23.3Km 543m)を過ぎると、兼ねてから気になっていた独立山3重ループ線に。
遥か山の上に、林鉄の落石覆いが見える。
湯檜曽〜土合のループ線を3回繰り返してもっと高い所まで登るようなものだが、いちばん上の段だけ
一捻りしているので、実際は3回転半しているような感じだ。トンネルには、番号と海抜高度がかかれている。
ここだけで4.1Kmで約200mを稼ぎ、標高741mまで登りつめるが、終点は未だ未だ遥か雲の上である。

それにしても物凄い揺れである。これでは片道だけで充分・・ということになるだろう。
その上、時々駅でもなんでもない所で止まるのが気になる。

●独立山ループ線(略図)

そして、本来列車交換する筈の交力坪(34.9Km 997m)を過ぎ、水社寮(40.5Km 1186m)に向かっている途中でコトは起こった。
途中、素掘りのトンネルに入った時、列車がまた止まってしまった。
しかし、今回は中々発車しない。後のディーゼル機関車から、何度もエンジンを掛けなおす音が聞こえるのだが、ウンともスンとも言わない。

やがて、車内の空気が白っぽくなって来た。そして排気ガスの臭い。
大邱の地下鉄火災、そして練炭自殺というキーワードが頭を駆け巡る。
待ってくれ、未だ俺には人生がある。というか、今死んだらマスメディアに「無職」と書かれてしまうではないか。
死亡時ニートと日本と台湾にばら撒かれたら、最後にして最大の汚点である。頼む、ナンとか動いてくれ!!!!!

と、必死の願いが通じたのか、スルスルと列車は後退し、トンネルの手前まで戻った。
思わず貫通路(幌などありません)、そして手動の折戸の客用扉を開けて換気をする。
他の車輌の客も同じように扉から身を乗り出している。山の空気は美味しい。

ふとドアから機関車を見ると、なにやら機関士同士があれこれ大声を出している。
うち一人が、ハンマー片手に線路に降り、ロッドを叩いている。
どうやら車両が不調のようだ。
私がカメラを取り出すと、京都姉妹も記念に一枚・・・日本人の行動は同じらしい。
エンスト

そして、リトライ。今度はナンとか動きだした。
道中の平安を祈るばかりである。
加油!

やがて、沿線で最大の集落を持つ奮起湖(45.8Km 1403m)に着いた。
弁当が有名で、おばちゃんが両手に抱えて売り込んでくる。
私はさっき食べたばかりなのでパス。
中身もあまり変わりないようである。

この当りまで来ると、充分に涼しい。
そして、森林も私達に馴染みのある植生となってくる。
しかし、同時に物凄く深い霧になってきた。山の天気は変わり易い。

途中、トンネルや橋梁を付け替えた場所が沢山ある。そのトンネルは落石だらけ。
改めて自然の脅威を肌で感じる路線だ。井川線も黒部峡谷も足元に及ばない。
しかし、いい加減3時間も乗ると、景色がどんなに面白くても、飽きが出て来るものである。
そうなった頃に、漸くスイッチバック(台湾では「分道」)の繰り返しが出て来る。
上手くできているものである。60‰の勾配票に激しい線形を感じた。

そして20分遅れで阿里山駅(71.4Km 2216m)に到着した。天気は晴れ。
阿里山駅は集々地震で倒壊し、現在も再建中。
そのため、300mほど奥の、機関庫近くに設けられた仮駅を使用している。
駅に降り立つと、涼しいというより寒いほどである。
阿里山駅
●阿里山仮駅

◆山上でドタバタ
阿里山に入るには入山料が取られる。
改札の手前の窓口で150元ほどを払う。

そこを抜けると駅前広場(?)で、猫の額ほどの場所に、所狭しと宿の送迎バスやワゴン車が並べられている。
さて、京都姉妹と共にわたしたちの目指す桜山大飯店のクルマを探すと・・・。
完全防寒スタイルのお姉さんが立っていた。ボックスカーに定員オーバーで乗車し、いざ出発!。

しかし、ものの2分で到着。歩いてもものの5分もあれば到着しそうな距離だった。
外観も悪くなく、ホッとする。
ここで、オババから買った領収書?を見せる。
ちなみに宿泊料金であるが、平日1800元、休日2400元で、名物の桜のシーズンは更にハネ上がる。
物凄い相場価格変動制である。
桜山

さて、通された部屋は・・・・。
げ、またしても窓なし。しかも無駄に広い。
ただ、高地らしく、暖房は当然のごとく付いている。

ということで、宿にいても仕方がないので、外へ出る。
丁度、日没である。雲海の彼方に沈んで行く夕陽と、それに照らされた山容がとても綺麗だ。
明日もよい天気でありますように。
夕暮れ

さて、現在の阿里山駅周辺は、1976年の阿里山大火の後に整備され1981年に開設された区域である。
(この時、阿里山駅が現在地に新設され、旧駅は旧阿里山を経て現在の沼平に改称された)。
ホテル街(旅社区)と駐車場/土産物屋街に別れていて、機能的な配置になっている。
その土産物屋街の一角に嘉義県営バス乗り場がある。中に入って時刻を調べていると・・みやげ物屋の
おばちゃんが日本語で話し掛けて来た。
「バス、ないよ。走ってない。」

ああ、おババが言っていたことはそういうことだったのか・・・。
しかし林鉄より国道の方が復旧が遅いというのは予想外だった。
これで、明日朝は切符を買わないといけなくなった。と同時に、集集には行けなくなった。
残念無念。
土産
●阿里山の土産物屋街。最上段の建設中の建物が、阿里山駅。

そんなこんなで腹が減ってくるわけだが、阿里山はグループ単位で食べるものが多いらしい。
結局、適当なところでエビ炒麺(・・・昨日の中山でH1氏が食べたのが、オイしそうだったから・・・)を 注文した。
ちなみに、今回も浦項、バーデンに続き、店員を外に連れだし、メニューを指差すという苦笑的行動を取ってしまった。
お値段は60元(210円)。観光地でありながら、良心的である。

ということで、ホテルに戻ってくると、さっきのお姉ちゃんが、明朝の御来光の切符を・・と売ってきた。
しかし、金額がどうもガイドブックで見た列車の値段と違う。
よくよく話しを聞くと、クルマで雲海とかいろんなところに連れて行くというではないか。
冗談じゃない。こっちは祝山線に乗って行かねば意味がないのだ。
なんとか取り消し、祝山線の往復切符を買ったが、彼女の顔は明らかに不満そうだった。

部屋に入りTVを付けるが、山の上なので、チャンネルは平地より少ない。
しかも電波状態が悪く、いちばん鮮明なのがNHK-BSなのは当然とは言え、少々残念である。
ベッドに横になって、台湾らしい字幕だらけのニュースを見ていると、
日本に台風14号(国際名・ナービー=韓国語で「蝶」:台湾では彩蝶颱風)が上陸し被害が出ていると、トップニュースで伝えていた。
13号と14号の合間をぬって、ここに来られたのは、大変シアワセなことだったのだ。

さて、明日は早いので寝るコトにします。

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