◆移籍車 もと横浜市交通局・川崎市交通局・大阪市交通局


・横浜市交通局

 1990年代後半、沖縄をはじめ地方の中規模〜大規模事業者が相次いで移籍車導入へと舵を切る。一方で、主要な移籍元である神奈中の車両は使用年数が増加し以前ほどの魅力ある存在とは言えなくなっていた。このような状況の中、1997年度に横浜市交通局が車両の放出を開始する。 前中扉で軸距4.7〜4.8m級の大型車で4メーカーが揃うという点は、人気が出ていた都営バスの車両に共通しており、瞬く間に移籍市場を席捲するようになる。
 東野もそれまでの神奈中および都営に代わり1998年度に移籍した。もとは1987年度導入の2台で、これが全国的に見ても横浜市交からの移籍車復活の第一号だったと記憶している。 しかし、同局の車両は1990年度から暫くの間、大型車全車両を機械式ATで導入したため数年で移籍事例が壊滅する。東野の場合、徐々に移籍車の導入数を減らしていたこともあるのか、2000年度に追加されただけだった。 結果、いすゞ2両、日野2両、ふそう1両の合計6両に終わった。
 なお、全国的に見た場合、横浜市交通局は移籍事例はMTのワンステップ車が出てくるまで6年程度の移籍事例がない状態が続いた。
 

 栃木22う1135

いすゞP-LV314K +IK 1988年式・1998年度移籍
1999年1月 西原
 

 栃木22う1145

いすゞP-LV314K +IK 1988年式・1998年度移籍
2001年1月 上河原町
 

 栃木22う1151

三菱ふそうP-MP218M +呉羽 1988年式・1998年度移籍
2003年3月 宇都宮駅西口
 
 

 宇都宮200か90

日野P-HT233BA +日野車体 2000年度移籍
2002年8月 黒磯駅
 

 宇都宮200か93

日野P-HT233BA +日野車体 2000年度移籍
2001年1月 黒磯駅

 
・川崎市交通局

 横浜市交通局に続いて、同じく神奈川県の公営交通である川崎市交通局も車両を放出するようになる。メーカは限られていたが、都営、横浜市交に仕様面では似ており、こちらも移籍市場で一気にメジャーな存在となった。
 東野は1999〜2000年度にふそうを合計3台導入したが、そのあとは続かなかった。
 こちらも全国的に見た場合、横浜市交と異なりMTでの導入を続けたためコンスタントに移籍が続いていたが、最近は使用年数の増加に伴い移籍例は減っている。
 

 宇都宮200か4

三菱ふそうP-MP218K +呉羽 1999年度移籍
2000年3月 西原
 

 宇都宮200か53

三菱ふそうP-MP218K +呉羽 2000年度移籍
2003年3月 宇都宮駅西口
 

 宇都宮200か78

三菱ふそうP-MP218K +呉羽 2000年度移籍
2000年11月 上河原町
 

 
・大阪市交通局

 大阪市の南港地区にある埋立地の咲洲(さきしま)。その北部は1990年代初頭からコスモスクエアとして大規模な開発が行われたが、当初は鉄道路線が存在しなかった。 このため、大阪市交通局がバスを走らせることになった。通称コスモシャトルと呼ばれ、送迎輸送に特化した26台が1992年度に導入されている※。
 車種は三菱ふそうが選ばれ、外装は銀色、軸距6.0mの特大サイズで前中折戸、車内はハイバックシートが片側2列づつ並んだ輸送力と居住性の双方を重視した仕様で、大阪市営の一般路線車とは大きく異なるものだった。
 1997年12月に鉄道のOTSテクノポート線が開業すると送迎車は全車廃車となったが、車齢わずか5年少々であったため、ほぼ全車が各地へ移籍した。 東野交通はこのうち5台を購入。黒磯に集中投入し、もと京阪の定期観光車に代わり主力車種となった。
 なお、大阪市営からは一般路線車1台(那須200か115)が移籍しているが、そちらは稿を改める。

※ほかに一般路線用として1994年度に日野の大型が15台投入されている。
 

 栃木22う1158

三菱ふそうU-MP618M +呉羽 1998年度移籍
2002年8月 黒磯駅
 

 栃木22う1161

三菱ふそうU-MP618P +呉羽 1998年度移籍
2002年3月 黒磯駅
 

 栃木22う1165

三菱ふそうU-MP618P +呉羽 1998年度移籍
1999年1月 黒磯駅

 

 

 
2001年8月 黒磯駅

長らく那須ハイランドパークの広告車になっていた。
 

 栃木22う1167

三菱ふそうU-MP618P +呉羽 1998年度移籍
2004年7月 黒磯駅
 

 栃木22う1168

三菱ふそうU-MP618P +呉羽 1998年度移籍
2004年7月 黒磯駅
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