●広島電気→広浜鉄道→国鉄可部線(横川〜可部)
1936年9月1日買収

<路線概要>
 可部線の起源は、雨宮啓次郎が1908年に設立した大日本軌道の広島支社に遡る。
762mm軌間の蒸機鉄道で、1909年〜11年に横川を起点に可部へと順次開業した。
その後、大日本軌道は支社毎に会社を独立させることになり、当線は1919年に可部軌道となった。

1926年5月1日、可部軌道は電力会社の広島電気に吸収合併される。
この合併は可部軌道を電気鉄道にすることで、安定した電力消費先を確保することが狙いだったといわれる。
そして、全線が1067mm軌間・600V電化されることになり、1928年11月9日に横川〜古市橋が、1930年1月1日には古市橋〜可部が竣工した。
1931年7月1日には広浜鉄道として再び独立し、1935年12月1日付けで軌道法から鉄道法適用に変更している。

 「広浜」と言う名称には広島と浜田を結ぶと言う壮大な構想が感じられる。
が、その構想を実現しようとした国に買収され、1936年9月1日から国有鉄道の可部線となった。
可部から先へは、買収直後の36年10月13日に安芸飯室まで、戦後に加計、三段峡といずれ非電化で延伸した。
その先も工事線名「今福線」として工事を続けたが、国鉄再建により中止、未成に終わっている。

 買収後、横川〜可部の沿線に、軍需の増加に伴って工場が建設されたために旅客が増加。
これに対し、木造省電を投入して輸送体制を整えた。
しかし、1945年8月6日の原子力爆弾の投下で、横川駅が構内の可部線車庫・車輛と共に壊滅し、大きな影響が出ている。

なお架線電圧は、1948年10月1日に750Vに、1962年4月23日には1500Vに昇圧された。
また、1962年10月には大田川放水路の完成に伴い、横川〜安芸長束間の線路が大幅に変更されている。

 広島の郊外線でありながら他の国鉄ローカル線同様、可部線も手抜き経営であまり浮かばれなかったが、国鉄末期から、ヘッドカット等の改善が行なわれ、現在は一部で10分ヘッド化され、郊外電車として発展している。但し、これは可部までの買収区間のみで、その先は閑散としたローカル線のままだった。
結局、可部〜三段峡は、国鉄分割民営化後の2004年3月に廃止され、路線は私鉄時代に戻ってしまった。

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