第五日:鉄馬(チョルマ)は走りたい 2003年1月2日(木)

 →清涼里(京元線 電鉄)→議政府(京元線)→新炭里(京元線)→議政府(京元線 電鉄)→石渓(6号線)→
 高麗大学 高麗大学訪問 安岩(6号線)→新堂(2号線)→市庁(1号線)→ソウル駅(リムジンバス)→
 仁川空港(日本エアシステム)→成田空港(京成電鉄)→日暮里

★議政府Dash
 目がさめると、もう清涼里の近くであった。漢江沿いは未だ夜の町である。
じきに到着のアナウンスが流れる。
こんなマイナーな夜行列車までも4ヶ国語放送なのには恐れ入った。
自動放送の都合なのかも、と言ってしまえば元も子もないが、少なくとも私たちにはありがたい。

 6:37 清涼里に到着。町は恐らく氷点下の寒さだが、そんなことは気にせずに先を急ぐ。
最終日の本日は、もうひとつの鉄道分断地点、京元(キョンウォン)線新炭里(シンタルリ)を目指す。
そのためには、ここから約20Kmほど北にある、議政府(ウィジョンブ)を7:20に出る列車に乗らなければならない。
遅れたら、1時間待ちである。

 議政府へは京元線の電鉄に乗って行くが、地下鉄1号線の駅の方から出るので、急いでそちらに向かう。
しかし、こういうときに限ってなかなか電車が来ない。
清涼里止まりを1本見送って、ようやく京元電鉄線直通の議政府北部(ウィジョンブブクブ)行きに乗った。

 地上に出ても、外は暗いままである。
そんなこともあって、時計と駅の数をにらめっこしながら乗るが、落ち着かない。
 ようやく議政府につくころ、私の時計は20分を指そうとしていた。
「駄目だこりゃ」と思っていたところ、乗客が一斉に走り出すではないか。
そのあとをついて行くと、皆、7:20発の列車への乗換え客であった。

 同じ京元線でも電鉄区間と議政府〜新炭里では運賃体系が違うので、中間改札があるのだが、そこはフリーパス。
誰もが猛烈に突進して行く。
なんとか、乗り継ぐことができた。


★最果てへの旅路
 車両は昨日、東海南部線で乗ったものと同形の、9501形DCの5連だった。
この区間の旅客列車は全てこの形式である。
ただし、車両によってクロスシートが、転換とBOXの2種類があった。
乗客は意外に多く、座席の殆どが埋まっていたので、私達は別々にロングシート部分に座った。

京元線はその名のとおり、ソウル(京城)の龍山(ヨンサン)を起点に半島を東北方面に横断し、
東海岸の港町・元山(ウォンサン)を結ぶ、全長約220Kmの鉄道だった。
途中、鉄原(チョルウォン)からは、半島随一の電鉄、金剛山電鉄が分岐していたことでも知られる。
 しかし戦後、南北分断により、南の新炭里と北の平康(ピョンガン)の間が、断線してしまった。
特に京元線沿線は朝鮮戦争時の激戦区として知られ、分断区間の鉄原駅付近は町ごと消滅している。

現在、韓国側は運転系統上は3っつに別れている。
 電鉄で区間運転を行っている都心のローカル線、龍山〜清涼里(地上)〜城北(ソンブク)
 同じく電鉄だが地下鉄1号線と直通するメインの、清涼里(地下)〜城北〜議政府〜議政府北部
 そして非電化でトンイル号が走る、議政府〜新炭里
以上である。

 暗いながらも車窓をみつめる。まず気になったのは、電鉄線が折り返す議政府北部駅。
ここは議政府駅の構内扱いで、今はなき野上電鉄の日方、連絡口の拡大版みたいなものらしい。
単線1面1線の折り返し専用線があるだけの、簡素な駅だった。
したがって、新炭里への列車は通過して行く。

 同時にソウル郊外線が分岐してゆくのも確認した。
しかし、窓の外には高架橋が並行している。
どうやら電鉄区間を延長するようである。新しい駅の準備もいくつか見えた。
また、その周りでは、高層アパートが幾つも建設中だった。
この、つくりかけの姿を見ると心もとないのだが。

 電鉄延長区間はどうやら東豆川(トンドゥチョン)までのようだ。清涼里からの距離は約40Km。
ソウル都市圏膨張も、とどまることをしらない。

 列車の車内も、このあたりでだいぶ空いてきた。
車窓には住宅の変わりに軍事施設が目立つようになり、休戦ラインが近いことを感じる。
同時に両側から山が迫り、雪が積もるようになっていった。
 一見のどかな風景である。
しかし、線路の脇や道路にはところどころに戦車止めのコンクリート塊が立ち、
川の中にも障害物があるのが見える。岸には鉄条網だ

 議政府から約1時間20分で、新炭里に到着した。
新炭里駅 新炭里駅
●雪の新炭里駅 駅舎には大極旗が掲げられている。

★雪に消えた鉄路
 駅の構内、そして周辺は全てが雪に覆われていた。体の底から冷える寒さである。
まず駅舎の写真を撮ってから、線路の北側を目指した。
 ちょうど機回り線のようになっているその先に、それはあった。

 チョルマヌン タルリコ シプタ 〜鉄馬は走りたい〜

鉄道分断地点をあらわすモニュメントである。
つまり鉄道を通した祖国統一の願いである。

 本来なら、ソウルと半島東北部を結ぶ主要路線だったはずである。
しかし、線路はここでぷっつりと切れ、その北側は雪に覆われた細い道が続いているだけである。
それを見ると、何か空しさを感じずにはいらない。
北に故郷を持つ人であれば、なおさらだろう。
分断地点 分断地点
●鉄道分断地点と「鉄馬は走りたい」の表示。

 モニュメントを見ると、龍山から88.8Kmとある。
地図上では近く感じたが、かなり距離があるようだ。
なにやら、ムーンライト越後で上京して、中央線立川乗換えで笹子あたりまできたようなものか?
ソウルよりかなり寒いのもうなづける。

 このモニュメント、かつては京義(キョンウィ)線のムンサンにもあったが、そちらは鉄道連結工事の進展でなくなった。
一方、こちらは連結の話すらない。
一日も早く、南北が統一され、文字通りの京元線に戻ることを心から願いたい。
分断地点
●レールの消えた鉄路、この先、元山までは131.7Km

 しかし、休戦ラインの武装限界線から約10Kmなので、さぞかし緊張した場所だと思われたが、
牛小屋があったり至ってのどかである。
駅前は数軒の商店がならぶだけである。
牛 駅前

なお、この先、休戦ライン付近の中部戦線の戦跡は「鉄の三角地」などと呼ばれる。
ここには、京元線の月井里駅と破壊された列車や、展望台、北の南侵トンネルがあり見学できるそうだ。
鉄原の町のあとと、金剛山電鉄の廃線跡も確認できるという。

 私事だが、戦前の私鉄電車が好きな私にとって、金剛山電鉄のデハニFその他は、その数奇な運命の逸話もあって、強い印象を持っている。
新京阪P6や参急2200、阪和モヨ100と並ぶ、戦前製私鉄電車の横綱なのだが、この1両が北のどこかに保存されているという噂もある。
生きているうちに、平和になって、見られる時が来てほしい。
・・・・その前に正雀車庫に置いてあるP6の見学に行きたいのだが・・・・。
看板
●駅前にあった、中部戦線の観光案内図(一日安保観光案内図)。
 鉄原駅と金剛山電鉄も描かれている。

ここへ来たのと同じ編成で折り返す。
列車の中に入ると、寒暖の差で耳がちぎれそうに痛くなった。

帰りは日も高くなり、景色を思う存分眺められる。
演習を行う兵隊の姿が見えたかと思えば、この列車にもたくさんの兵隊が乗り込んできた。
この国では軍隊は日常のことなのだ・・と感じた。すれ違う男性が皆、兵役を過ごしたと思うと、ちょっと不思議な感じである。
ふたたび、1時間20分かけて議政府に戻ってきた。


★ソウルの早大
 いよいよ最後の訪問地、高麗(コリョ)大学である。
まず、議政府から京元線の電鉄で石渓(ソッケ)に向かった。例によって沿線に立つのは高層マンションばかり。
ただ、このあたりの電鉄化(城北〜議政府)は1980年代後半なので駅は新しい感じだ。
また山が迫っていることもあって、多摩ニュータウンの中を走っているような感じがする。
特に、地下鉄7号線の接続駅の道峰山(トボンサン)は、永山の雰囲気にそっくりだった。

 ここで、京元線と7号線の線路がつながっていることに気づいた。
1号線と2号線の新設洞(シンソルドン)のように車庫のために路線がつながっている例なら頷ける。
しかし、ここの場合、両路線の規格は異なる。
非常時を考慮しているのだろうか?

 石渓で地下鉄6号線に乗り換える。都市鉄道公社の路線である。
梨泰院(イテウォン)やW杯競技場を通る路線で、片側の終点付近の数駅がバスの如く一方向単線ループになっているのが特徴だ。
が、客はあまり多くないようで閑散としている。ソウルの都営12号線といったところだろう。
電車の車内は、走るんです仕様で、座席からポールが伸びている。

4駅で高麗大である。ソウル周辺には大学の名を冠した駅が大変多い。
数えたところ17もあった。教育に力を入れる国民性を表しているともいえる。
さて、駅から大学の間は工事中であったが、やがてキャンパスが見えてきた。
正門から眺めると、美しい前庭と石積の洋館風の校舎がある。
ここは本当にアジアなのか? と思うような感じで、2日前に見た延世大と双璧を為すというのがわかった。
しかし、振り向くとやはりハングルと高層マンションの洪水。血は争えない。

高麗大学
高麗大学

こちらもキャンパスの面積も広く、構内(の一部)をひととおりまわると、隣の駅、安岩(アナム)の方が近かった。
ただ、こちらには新村のような賑わいの町はなく、地下鉄の開通も遅く少々不便だったので、
周辺環境は延世に若干劣るようだ。

なお、高麗大学、英語で書けば「KOREA UNIV.」である。
つまり、コリアとは高麗のことなのである。


★ラストはバーキン
 全ての訪問は終了した。あとは日本に帰るだけにである。
新堂(シンダン)で2号線、市庁で1号線に乗り換えて、リムジンバスの発着するソウル駅へ向かう。
今回何度も乗ったこの2路線とも、そして、幾度となく利用したソウル駅もこれで最後だ。

 最後の食事は、ソウル駅のバーガーキングで摂った。
日本ではJTが運営し、高田馬場や神田などに店を構えていたが、すでに撤退している。
某巨大チェーンより味がいいので固定的なファンもいたようだ。
私も2回だけ入ったことがあるが、味はどぎつさがなくて、よかったのを覚えている。

ちなみに、バーキンの隣にもある、その某巨大チェーンには一度も行かなかった。
あそこは、日本と同じで行ったところで意味がない。
ただ、吉野家があったら入ってみたかった・・これは某ちゃんねるの影響か。

おしまいに、駅の売店で時刻表を買った。
なにか順番が違うような気もするが、実は今回の旅では日本で購入した連れのものを、使ったためだ。
というわけで、これは純粋に今回の旅の記念品である。


★心からカムサハムニダ
 駅前から仁川空港行きのリムジンバスに乗った。
運賃は11000W、さすがに高い。が、車内は3列シートなので快適である。
4カ国語の案内が、窓口・放送ともにある。こういう部分は日本より徹底しているように感じた。
バス

駅前の道を南に進み漢江を渡ると、直に進路を西に変え、川沿いの高規格道路に入る。
右側には中洲である汝矣島(ヨイド)の高層ビルや国会議事堂、そして反対側には高層アパートが並ぶ。

漢江の奇跡・・車窓を見つめながら、その言葉を思い出していた。
つくづく、この国は元気だ、と思った。
夜の繁華街の明るさと、人々があふれる町、そしてその表情からは、
数年前、経済危機に陥った国を想像するのは難しかった。

その理由について、いろいろ考えていたが、それは、
  「夢を見るという行為が、まだ希望に通じているから」
なのかもしれない。
祖国の統一、日本というライバルの存在など、簡単には行かない至上命題があることも関係しているのだろう。
いずれにしても、その元気さが、私にはなにか羨ましくさえ感じた。

また、人々が皆親切だったことも心に残る。
百聞は一見にしかず、とはこのことだろう。
私が東京を訪れる海外旅行者に対して、コミュニケーションがとれているかと?自問したくなった。

漢江の向こう側に、高層アパートの摩天楼が見える。
この、もっとも韓国らしい風景も、見られなくなる。
さよなら 韓国

久しぶりに、感動を味わった旅だった。
言葉の通じない土地で、
五感をフルに使ってものを感じ、コミニュケーションを図るのは、
新鮮な感覚だった。

いつの日か、また来たい
カムサハムニダ & アンニョンヒケセヨ テーハンミングク!


▲ 第4日 へ

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