第四日:新羅の古都へ初詣 2003年1月1日(水)

  ソウル(鉄道庁京釜線〜大邱線 セマウル号)→慶州(バス)→仏国寺(バス)→仏国寺駅(東海南部線 トンイル)→
  孝子→浦項工科大学(タクシー)→浦項(東海南部線 トンイル)→慶州(中央線 ムグンファ)→

★セマウルの旅
 午前6:45 まだ暗い空の下、ソウル駅へ向かって歩き出した。
今日はソウルを離れて、慶尚北道(キョンサンブクド)の慶州(キョンジュ)へ向かう。
歴史上、日本に大きな影響をもたらした、新羅の都である。

ソウル駅はすでに多くの人でごった返していた。
列車毎、ホームごとに改札を行っているようである。

さて、私たちの乗る列車は韓国鉄道庁のセマウル号である。JRの(A)特急に相当する。
韓国では列車種別=愛称名であって、日本のように路線系統毎に愛称があるわけではない。
したがって、セマウルであっても釜山(プサン)行きもあれば木浦(モッポ)ゆきも光州(クヮンジュ)ゆきもある。

乗車する7:30ソウル発の列車は浦項(ポハン)・蔚山(ウルサン)ゆきである。
東大邱(トンテグ)まで京釜線を走り、そこから大邱線〜中央線に入って、慶州で前後に分割し、東海南部線の浦項と蔚山まで行く。
私たちが乗ったのは浦項行きの編成である。

改札がはじまりホームに入る。
韓国の鉄道は日本統治下に建設されたため、日本のそれに雰囲気の似通った部分が多いが、
ホームが路面電車のように低いのは、大陸の風を感じる。
なお、ソウル駅は改装によりホーム全体に上屋根がついてしまったため、
昔のような青空のしたに列車が止まる写真は撮れなくなった。
セマウル

今回乗る車両は特室(トクシル)。日本で言えばグリーン車相当である。
私自身、日本では恥ずかしながら?ムーンライト高知でしか乗ったことがない。
正月だからこそ豪勢に・・といっても、料金は少し高いだけ。
実際乗っている人も特別な人というわけではない。

車内に入れば、車幅が日本のそれより30cmほど広いため、座席の幅もゆったりしている。
おそらく3列シートのグリーン車の座席で4列分といった感じだろうか?
なかなか快適である。

7:30、75レ+91レ セマウルは音もなく静かに走り出した。
韓国国鉄の優等列車は動力車集中方式。セマウルは前後に機関車並のディーゼル動車を配置し、真中はただの客車である。
日本では数少なくなってしまった客車の、静粛性の優位を改めて思う。

しかし、携帯電話がウルサイ。
通勤電車の中でも平気でしゃべっているが、特急のファーストクラスでもそうなのだから閉口する。
もっとも、神経質に他人の携帯を気にするのは日本人くらいという話もあるが。

車販があるのは日本と同じ。
また、座席はオーディオつきであるが、このヘッドホーンは係員の女性が配っていた。
こういったソフト関係は日本のそれを参考にしているのかもしれない。
通路の上にはTVがついている。

ソウル南側の主要駅である永登浦(ヨンドゥンポ)にも停車して、車内の座席は大半が埋まるようになった。
列車は九老の複雑な立体交差を抜けると、複々線の真中を快調に飛ばして行く。
やがて、電鉄線の終点である水原(スウォン)へ差し掛かった。

停車案内の車内放送は韓英日中の4カ国後で行われていた(自動放送)。
日本語の放送は若い女性の声であったが、非常にきれいな発音、そして日本では考えられないほど丁寧な言葉遣いだった。
その、水原につくと客が結構降りてしまった。近距離利用者が多いのは意外だった。
電鉄線の運賃に比べると、結構な値段なのだが。

なお、水原で外側線を走る電鉄がどうやって折り返すのか興味があったが、
なんと駅の手前で平面交差させて水原駅構内だけ電鉄が内側線になっていた。
せっかくの複々線の線路容量を逼迫させているのではないかと、心配になる。※1)


★食堂車へGO!
 さて、水原を出たところで、私たちは席を立った。
今回、セマウルでやりたかったこと。それは食堂車で食事を取ることである。
日本では、北海道ゆきの夜行特急以外からはなくなってしまった食堂車だが、韓国では未だ多くの列車に連結されている。

食堂車は特室車の隣である。
中のレイアウトは日本の食堂車とは異なり、中央に厨房とカウンターがあり、両側にテーブル席がある。
1974年生まれの私は見たことないが、日本国鉄のオシ16も、こんな感じだったのだろうか。

係員氏がやってきてメニューを見せもらったが、「韓国の鉄道」に掲載されたものより、だいぶ減っている。
私はオックステールスープのセットを頼んだ。値段は10000Wで、韓国の一般的な食堂よりかなり割高である。
食堂車

車窓は水原までとは打って変わって、閑散とした農村風景である。
現在、首都圏電鉄区間が天安(チョナン)まで延長工事中 ※1)で建設中の駅も数多く見かけるが、
10両編成4扉ロングシートは正直似合わない景色である。
そして、食堂車の中も閑散としている。私たち以外誰もいない。
程なくして食事がやってきたが、味は・・・・
利用率とあわせ、この国でも早晩食堂車が消えてゆくであろうと感じた。

最高速度140Km/hで流れる車窓に、建設中のKTXの高架橋が横切って行く。
しかし、時々現れるマンションは、例によって高層建築である。
農村の真中や山の上にニョキっと立っているのはユーモラスというより異様である。

大田(テジョン)付近で食堂車から一般室に戻ってきたが、いつのまにか寝てしまった。
チポチポ
●食堂車には、鉄道庁のマスコットキャラ「CHIPOCHIPO」のイラストが貼られてている。
セマウル
●慶州を出る浦項行きセマウル。併結運転の関係で連結カバーが開いている。


★慶州のバスで恐怖体験
11:55、セマウルは慶州駅についた。3面6線の構内と操車場を持つ。
発車する姿を撮影しようとホームに留まっていたため、いつのまにか私たち2人しかいなくなっていた。
改札は出口と入り口が離れていたが、出口には係員は既にいなくなっており、自動的にきっぷは手許に残った。ラッキー。
慶州駅舎
●慶州駅舎。

典型的な地方都市である慶州は、駅前を見る限りでは、あまり高い建物はない。
人口も30万程度という話だから、日本でいうと奈良に匹敵する町である。

さて、慶州市内には沢山の遺跡があるが、時間の関係もあり
世界遺産に指定された仏国寺(プルグクサ)のみ行く。
しかし、仏国寺は中心地から離れているため、バスに乗っていかねばならない。

駅前のバス乗り場にいくと、早速仏国寺方面への循環系統、10系統がやってきた。
バスは市街地にあるバスターミナルを起点にしているので、乗り込むとすぐに発車する。
車窓には町の中心地でありながら、円形古墳が現れたりするのは楽しい。
しかし、田畑の向こうにそびえるマンションはやっぱり高層建築。正直、かなり萎える。

道はだんだん渋滞してきたが、それに比例してバスの運転が荒くなっているのがわかった。
信号無視寸前でクラクション鳴らしながら交差点を曲がった。
「ん?ホテルに入る?」と思ったら、その進入路と出場路を無理矢理使って赤信号を回避した。
・・・ちょっと・・・

しかし、次の瞬間もっと恐ろしい行動に出た。
反対側車線を使って、渋滞する車列を抜きはじめたのである。
前から車がくるが、クラクションを鳴らしながら強行突入してゆく。そして今度は、裏道に入って赤信号を回避。
・・・おいおい・・・

抜けた先の幹線道路は空いていたが、今度は前の車両をあおり、隣の自家用車を幅寄せ。
その幅寄せされたドライバー氏はさすがに頭にきたらしく、怒鳴り込んできた。
バスの運転士もドアを空けて応戦,あわや殴り合いという状態になった。
後ろの車が渋滞しようとお構いなし。さらに乗客まで加勢、
・・・いやはや・・・

機嫌が悪くなった運転士は、道路がガラスキになったと同時に、猛烈にスピードを出し始めた。
おそらく100Km/hは出しているだろう。風景があっというまに流れ去って行く。
・・・もう笑うしかない・・・

ようやく仏国寺の門前町に入って運転はおとなしくなったが、
板門店より命の危険を感じたのは洒落になっていない。
しかし、この「俺がルールブック」的運転が、韓国のバスのデフォルトだという話もあるのだから恐れ入る。
殺人バス
●ザ・デンジャラスバス(と同型車)。


★仏国寺で「ハナ、トゥル、セッ」
心拍数上がりっぱなしで、仏国寺についた。
日本ほどではないが、新暦の新年祝いの人でにぎわっている。

バス停よりも山手にあるので、潅木の植えられた参道をあがって行く。
両側には屋台が並んでいるが、日本のテキヤと違って、オモニが目立つ。
仏国寺
●仏国寺の参堂

入場料を払い山門をくぐると、池がある。
分厚い氷が張ったその下を鯉が泳いである。
仏国寺はソウルよりは南であるが、若干標高が高いせいもあるのか、やはり寒い。
何もないところに吹き付けてくる風は身を切る。

そんな参道を歩いていると、日本語で勝手に観光案内をしてくれるおばちゃんがいた。
名前を聞かなくても、日本人だとわかるらしい。
同じ東洋人の顔でも、なんとなく雰囲気が違うのは、私たちが韓国人や中国人を見る視線と同じなのだろう。
で、最後まで聞いていると、なんでも土産物屋の宣伝らしい。
まったく、商魂たくましいというか何というか。

仏国寺の本堂は一段高い山の上に立っている。
日本の寺と同じように手洗場があり、それからお参りする。
この前ではたくさんの観光客が、記念写真を撮影している。

ここで問題。
 Q.日本で写真を撮るときの掛け声は「はいチーズ」
   では韓国で写真を撮るときの掛け声は?

 A.「キムチ」・・・・
なんて、誰も言ってねーじゃんかよ!責任者出て来い!!

では、なんていっているのかというと「ハナ、トゥル、セッ」
直訳すれば「ひとつ、ふたつ、みっつ」であるが、
意味としては「イチ、ニのサン」といったところだろう。
今回の旅で「アンニョンハセヨ」「カムサハムニダ」とともに一番聞いたような気がする。

本堂に上がった。
寺としては日本も韓国もあまり差はないが、異なるのはお参りの方式である。
韓国の方は何度も立ったり伏せたりを繰り返す。
私も真似てみたが、うまくいっているのだろうか。

その後、境内の建物を一通り見たが、新羅時代からそのままなのは石塔ぐらいで、
あとは皆、時代はバラバラであるが再建されたものである(それも全体の一部)。
その破壊理由で出てくるのが「豊臣秀吉」。 例の朝鮮出兵で破壊されたとのは、ソウル市内の古宮にもかかれている。
こんな文言ばかり見ていると、こちらの秀吉像も少々・・いや、かなり歪んでくる。
仏国寺 仏国寺
●仏国寺境内。左は本堂前の撮影スポット。右は観音堂。韓国にも観音様はいます。

★ローカル駅とローカル列車
仏国寺参堂の別々の出店でホットドックを1本づつ買った。
これで昼飯とは少々情けない気もするが、トツクニではメシより何かを見るのが先である。
次の目的地は、慶州の北側にある浦項市で、仏国寺駅からローカル列車に乗っていくことにした。

しかし、仏国寺駅といっても4Kmほど離れているので、またバスの厄介になる。
が、やってきたのは、さっきの殺人バスではないか!。
うんざりしながら乗り込んだが、あにはからんや、運転は至って普通だった。
一周して機嫌が直ったのか?

仏国寺駅は主要道路から一歩奥まったところにあった。
駅舎は木造、駅前には崩れ落ちそうな雑貨屋があって、
周辺の景色ともども、日本の非電化ローカル線にありそうな佇まいである。

停車する列車本数はムグンファ(急行)1往復、トンイル(快速・普通)6往復程度と少ない。
世界的には貨主客従で、日本のように地方都市圏でも1時間程度の間隔で、
ローカル列車が運行されているというのは稀な例である。

そんなわけで、日本だったらすでに無人駅化されていそうな感じだが、
駅員は3〜4名と貨物の分を差し引いても贅沢な配置である。
待合室には赤々とストーブが灯り、文庫本、テレビまで備え付けられている。
日本のローカル鉄道の待合室からは消えていった温もりが、そこにはあった。

そして外の便所には、なんと温風タオル設置。どういう金の使い方をしているんだろう?
ちなみに紙はなかった。
仏国寺駅 雑貨屋
●仏国寺駅舎と駅前の雑貨屋

で、肝心の浦項(の一つ手前)までの運賃だが・・・・1200W?!?
40Km近く乗って120円って、日本の初乗りより安いじゃないか。
・・・正直、これで経営が成り立つのかどうか、余計な心配をしてしまう(実際、鉄道庁は赤字なのであるが)
切符は硬券だったので、もう一枚 記念に購入した。
切符 ●仏国寺→慶州のトンイル用切符

やってきた列車は9500型DCの6連。トンイル号としては標準的な編成のひとつである。
車体全体に描かれた花柄が特徴で、通称「花柄動車」とも呼ばれる。

ドアはホームが低いのでバスと同じように2段のステップがついている。
そんなこともあって、この扉、一見折戸かと思ったが、両開きドアだった。

車内は転換クロスとロングによるセミクロスシートで、ほとんどの席が埋まり、立客も出ている。
限られた本数でも、未だ鉄道を利用する人は結構いるようだ。
15:08発車。

次の慶州で、多くの客が入れ替わってしまった。
突然、汽笛の音がすると、反対からGEの電気式DLに引かれた客車列車(トンイル 1316レ 浦項発東大邱行)がやってきた。
日本からは消えてしまった客車普通列車が、未だこの国では健在である。※2)
私も乗ってみたかったが、今回は無理だった。

8分程度の停車ののち発車した。
途中駅も、その殆どが有人駅である。人減らし^H^H^H^H 合理化といった面では日本よりもだいぶ遅れているようである。
その分、マニアをひきつける何かがあると言ってよいかもしれない。

浦項は半島東海岸の迎日(ヨンイル)湾に面した製鉄の町である。
その製鉄所への貨物支線を分岐する孝子(ヒョジャ)で降りた。
「きょうし」by南海電鉄ではありません。念のため。
9518
●孝子駅を発車する9500形DC(9518)

★人の情けに助けられ
 こんな辺鄙な駅で降りたのは、浦項工科大学に行くためである(連れの一番のリクエスト)。
当初、浦項からタクシーでも乗るか?という予定だったが、地図で見るとどうもこの駅の西側のそう遠くないところにあるためだ。

しかし、そちら方面に歩いても大学の「テ」の字もありゃしない。
日没も近いので、道行く人に尋ねたところ・・・・・なんと自家用車を出してきてくれた。
思わぬご好意に目頭があつく・・は、ならなかったが感動した。

鉄道からは確認できなかった上下4車線の広い道に出る。
近いようで遠かったようで、駅からは1.5Kmくらいあったと思う。
「キジュクチャ?」と聞かれたが、連れはわかっていないようなので、「寄宿舎だよ」と耳打ちした。
そっちには用がないので、「Mein Office」と言うと高台の上にある校舎のまで連れていってもらった。

 「カムサハムニダ」・・・何度もお礼を言って、そのクルマを見送った

この大学は、昨日見た延世大学とは異なり、歴史が浅い新設校である。
日本の地方都市の新設大学といえば、失礼だがウダツの上がらぬ、まあ失敗大学ばかりである。
外見では、この大学も雰囲気は変わらない。

しかし、ここの大学は論文(数)などできちんとした実績を上げ、成功しているとのこと。
これが連れが来てみたかった最大の理由だそうな。
数多くのノーベル賞受賞者が来学したようで、その記念樹が植えられた一角がある。
江崎玲於奈氏の名前もそこにはあった。

1月1日にもかからわらず職員がいて、連れは無事、大学案内を手に入れられたようだ。
浦項工科大学
●浦項工科大学

★地方都市でも元気
 今晩は夜行列車に乗り、ソウルに戻る。
その列車は慶州から乗るが発車時刻が日付変わった零時0過ぎなので、まだまだたっぷりと時間がある。
もっと早い時間に慶州を出るものもあるが、ソウル駅午前4:00着という鬼のようなダイヤなので却下した次第。

したがって、慶州へ戻らず浦項の町へ行ってみることにした。
バスは走っているのだが行き先がわからないのでタクシーを捕まえる。
で、車窓から眺める町は、またしても高層アパートばかり。もう呆れるというかなんというか・・。
駅までは約4Kmくらいだったろか? 料金は5000W程度だったから日本の初乗りより全然安かった。
浦項工科大学前にて
●ここにも高層マンション 浦項工科大学前にて

浦項の駅前から斜めに延びる道が繁華街になっている。
日本の地方都市では既にインナーシティー化が進んでしまっているが、ここには未だにぎやかな夜の町があった。
店は明るく、人通りも多い。ただしソウルと違ってその大きさは小さく、やはり裏通りに入れば一気に寂れてしまうのだが。

問題は夕食である。ソウルと異なり日本人なんて滅多に来ない。
したがって町はハングルだけで、飲食店も何がメニューか皆目見当がつかないのである。
仕方がないので、写真でメニューが飾られている店に入った。
そして店員を外に連れ出して、その写真を指差して注文する、という間抜けなことをしてしまった。

トンガラシいっぱいの辛いプルコギが出てきたが、終盤になって、そこの店のおばあさんが話し掛けてきた。
「イルボンヌ?(=日本人)」というのだけは聞き取れたが、ほかは何かさっぱりわからない。
そしたら「サービス」と言い残して白いご飯を一杯置いていってくれた。
ここでも「カムサハムニダ」。もちろん残さずに食べました。

夕食をとっても、未だ未だ時間がある。
そこで、駅前のスーパーに入ってみた。品揃えは日本のそれに遜色がなく、やはり全体的に物価は安めである。
プラレールのような玩具もあり、塗装を変えて「チハチョル」「ムグンファ」「セマウル」として売られていたのは面白かった。
そして印象に残ったのが、バケツよりも巨大なサイズの洗剤・・。
どう使うか?より持って帰ることができるのだろうか?


★駅のプチぴーしーばん(PC房)
浦項駅の待合室に気になるものを見つけた。パソコンが5台ほどならんでいる。
単なる情報端末かと思ったら、インターネット専用機だった。
ゲームセンターのTVゲームのように、お金の投入口があって有料である。
15分間500Wでネットやりたい放題である。

韓国は世界でもブロードバンド普及率が高く、国中いたるところにPC房(インターネットカフェ)がある
(仏国寺駅近くにもあったのにはたまげた)。
浦項にもあったのだが、ガラスがなく2階にあるところが多いので、気味が悪く遠慮した次第。

私も早速試してみた。日本のサイトも一部を除き文字化けせずに表示できる(ただし日本語の入力は不能)。
しかし、興味があったのはネットそのものでなく、ハングルフォントの入力方法。
無理矢理メモ帳を起動させて、確かめてみた。ハングルの法則に従って確定してゆくのは成る程・・関心した。
なお、このあと韓国鉄道庁のサイトを表示させようとして、PCをフリーズさせてしまったのは内緒。
浦項駅
●夕暮れの浦項駅

気がつくと、改札から長い列ができている。乗車予定のトンイルの為らしい。
急いで並んだものの、だんだん列は乱れ、改札をするときには、もう無法状態と化していた。
もっとも列車は余裕があり、難なく着席できたのだが。
ちなみに乗客の多くは10代後半〜20代前半の若者である。

今度のトンイル(1322レ 東大邱ゆき)も9501形DCである。
20:55分発車。夜の車窓は真っ暗で、遠く製鉄所の明かりだけがまぶしく光っていた。
このトンイルは快速タイプで、途中一駅しかとまらなかった。

さて、慶州についたが、まだ2時間半ある。
つれは町を一回りすると言ったが、こっちは疲れていたのもあって待合室でお留守番。
ここにもあったPCで30分程ネットを楽しんだ後は、待合室のTVをずっと見ていた。

KBSのニュース番組だったが、後ろに気動車が写っている。
よーく見てみると38度線の駅・都羅山の特設スタジオからの中継だった。
そして、何故か日本のサッカーの情報が・・。
韓国代表でもあるパク チソン選手が所属するパープルサンガが天皇杯の決勝に進出したからだが、
その結果を聞いて唖然となったのは言うまでもない。

22:55・・・ようやく列車の改札時刻になった。
私たちが乗る夜行のムグンファ510列車は。釜山から東海南部線と中央線経由で、ソウルの清涼里へ向かう。
山岳路線である中央線は、昼間に乗れば景色が大変美しいと思うが、今回は残念ながら漆黒の闇の中である。

この列車も客車列車である。
車内はリクライニングシートが並び、どこかの国もムーンライトながらを思い出すが、やはり座席はゆったりしていて快適である。
席はほぼすべてが埋まり、0:06、満員状態で慶州を発車した。
そこへ、なんと車販のカートがやってきた。商魂か採算度外視なのか。
なんともはや、不可解なことが多い。

客車なので大変静かなこともあり、
いつしか5日間の中で最も深い眠りに落ちていった。


★その後の変化・補足
※1)2003年4月末、水原〜天安の途中、餅店(ピョンジョム)まで延長された。
 その際に、水原は外側に電鉄線ホームが設置されている。餅店には電車区が新設され、それを利用して立体交差で降り返している。
 2005年には、天安まで延長、さらに長項線の温陽温泉までの延長工事が続けられている。

※2)2004年4月のKTX開業に伴う大規模改正で、客車トンイルは、ムグンファに格上され消滅した。

▲ 第3日 その1へ ▼ 第5日へ

▲ 表紙へ inserted by FC2 system