第3輯.田舎道のインタアーバン 福島交通 飯坂東線(福島県)


(6)廃線跡の情景
 廃線跡の情景です。
いかに道が狭かったかを、感じてください。(全て 1995‐4‐4 撮影)
(1)
車庫前
手前が福島方面、写真右の道が湯野町・伊達駅方面

中央の工場の敷地に車庫がありました。
(2)長岡分岐点
画面中央の道の右端に線路が敷設されていました。
奥が福島方面、手前が湯野町・伊達駅方面になります。

そしてちょうどこの場所に三角線が存在し、画面左方向に向かって保原・梁川・掛田方面への線路が分岐していました

そして、その先は…
(3)
なんと、こんな狭い道でした。
(突き当たりが、上記の撮影地点です)
ここから先に進むと、道が中央で避け、専用軌道で新国道を超えていました。
(4)
その陸橋を超えると、再び道は一緒になります。
この場所には、唯一架線柱が残っていました
(写真中央の柱がそれで、碍子も残っています)。
(5)
そして、阿武隈川を渡ります(奥が保原・梁川方面)
ここも併用軌道(むかって右側の端に軌道敷設)でした。

もっとも晩年は自動車は専用橋になり、現在は歩行者・自転車用の橋になっています。

※なお、読者の方から頂きました情報によると、この橋梁のポニートラス部分の桁は、他の場所にあった鉄道橋を転用したものらしいです。
(6)
ジャンクションだった保原駅は、現在はバスターミナルになっています。
写真中央の待合室は軌道線時代から位置は変わっていませんが、建物自体は変わっているようです。

なお、現在は別の場所に阿武隈急行の保原駅がありますが、写真右側に映っている店は、未だに「駅前食堂」のままでした。

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