機器の換装
当然のことながら鉄道車両は機器の互換性がなければ連結することができない。車両の運用にも影響する。
買収国電は前身各社によって機器が違うのは当然の話であるが、買収後にどのような変化があったのだろうか。
国鉄制式車の主制御器は、大戦後に電動カム軸式のCS10を採用するまでは、GEの系譜にある自動加速式のものを主に採用した。1系では電磁接触器式のM、10系では芝浦製作所がライセンス生産した電空カム軸式のCS1(芝浦RPC101)、30系ではCS1をベースに国鉄の標準型としたCS5を採用した。他に日立製作所製の電空カム軸式のCS2(日立PR150)、CS3(日立PR200)がある。ブレーキは元空気溜め管式の自動制動である。
一方、買収車は凡そ、以下のような組み合わせであった。
事業者 | 主制御器 | ブレーキ | 備考 |
広浜 | 直接 | 直通 | |
HL | |
信濃 | HL | 直通 | |
身延 | HL | 自動(制御管式) | |
宇部 | HL | 直通 | |
直接 | 旧・宇部電鉄車の大半 |
富岩 | 直接 | 直通 | |
鶴見 | PC | 自動(制御管式) | |
M | 国鉄1系の譲渡車 |
豊川、鳳来寺 | DK | 自動 | |
三信 | M | 自動(制御管式) | |
伊那 | HL | 自動(制御管式) | |
南武 | HL | 自動(制御管式) | モハ100形 |
M | 国鉄1系の譲渡車 |
PC | モハ150形 |
青梅 | DK | 自動(制御管式) | |
宮城 | HL | 自動(制御管式) | |
・M :GEおよび芝浦が製造した電磁接触器式・自動加速 なお、芝浦製のものはRMとなる
・PC:GEおよび芝浦が製造した電空カム軸式・自動加速 なお、芝浦製のものはRPCとなる
・DK:DK(EE)および東洋が製造した電動カム軸式・自動加速 なお東洋製のものはESとなる
・HL:WHおよび三菱が製造した単位スイッチ式・手動加速
ブレーキは意外に直通制動が少なく、大半は制御管式の自動制動(空気ツナギにつり合い空気ダメがなく、単純な三動弁を使うもの)である。
制御器は全般的にHLが多いが、DKやPCも見られる。Mは全車国鉄モハ1系の譲渡車である。
これらは各車両の転属にも影響したと思われる。
たとえば、富山港線はHL制御の伊那車とPC制御の鶴見車が転入したが、やがて伊那車に統一したのはHL制御への統一が目的だと考えられる。また、同線に宮城車が数両転入したのも、制御方式・ブレーキともに伊那車と同じだったためであろう。逆に福塩線に転入した伊那車がほどなくして富山港線に再転出したのも、福塩線にはPC制御の鶴見車が多かったのが理由だと考えられる。
一方で、機器を交換して連結可能な車両を増やすことも行われていた。上に記した富山港線では、富岩車は転入した伊那車に合わせてHL制御の制御車に改造されたのは一例である。ここで思い出されるのは「買収国電の一部は機器を国鉄制式のものに換装した」という買収国電を取り扱う書籍によくある一文である。しかし、交換されたものが制御器なのか台車・主電動機なのかといった重要な点があまり語られていない。台車と主電動機を変えたたところで制御器が異なれば併結は不可能である。
そこで、どのような車両で機器の換装が行われたのかを考察する。
1954年頃までに電動車で国鉄型の機器の交換が行われたのは以下の車両である。
| | 実施年 | 台車 | 主電動機 | 主制御器 | 備考 |
(身延)モハ93001 | モハ1200 | 1951 | DT10 | MT15 | - | |
(身延)モハ93002 | モハ1201 | 1951 | DT10 | MT7 | - | |
(身延)モハ93003 | モハ1202 | ? | DT10 | MT7 | - | |
(身延)モハ93004 | モハ1203 | 1951 | DT10 | MT15 | - | |
(身延)モハ93005 | モハ1204 | 1951 | DT10 | MT15 | - | |
(身延)モハ93006 | モハ1205 | 1950 | DT10 | MT7 | - | |
(身延)モハ93007 | モハ1206 | 1949 | DT10 | MT7 | - | |
(身延)モハ93008 | モハ1207 | 1949 | DT10 | MT7 | - | |
(身延)モハ93009 | モハ1208 | ? | DT10 | MT7 | - | |
(身延)モハ93010 | モハ1209 | 1946 | DT10 | MT7 | - | |
(身延)モハ93011 | モハ1210 | 1946/1954 | DT10 | MT7 | - | |
宇部モハ21 | モハ1300 | ? | 日車D-16 | 三菱MB-64C | CS2? | 台車・主電動機はもと宮城モハ800形と思われる。 |
宇部モハ22 | モハ1301 | ? | 日車D-16 | 三菱MB-64C | CS2 | 同上 |
宇部モハ23 | モハ1302 | ? | 日車D-16 | 三菱MB-64C | CS2 | 同上 |
宇部モハ33 | モハ1310 | ? | - | - | CS3 | (富山港線転属後にモハ1300と台車交換) |
鶴見モハ131 | モハ1510 | 1951 | DT10 | MT4? | CS3 | |
鶴見モハ331 | モハ1520 | 1951 | DT10 | MT4? | ? | 制御器はもととも芝浦RPC系。 |
鶴見モハ332 | モハ1521 | 1951 | DT10 | MT4? | ? | 同上 |
鶴見モハ333 | モハ1522 | 1951 | DT10 | MT4? | ? | 同上 |
豊川モハ21 | モハ1600 | 1953? | DT10 | MT4? | CS2 | |
豊川モハ22 | モハ1601 | 1953? | DT10 | MT4? | CS3 | |
豊川モハ31 | モハ1610 | ? | - | - | CS2 | |
豊川モハ32 | モハ1611 | 1953? | DT10 | MT4? | CS1 | |
豊川モハ33 | モハ1612 | ? | - | - | CS2 | |
豊川モハ81 | モハ1620 | 1950〜53 | - | - | CS1 | |
豊川モハ82 | モハ1621 | 1950〜53 | - | - | CS1? | |
鳳来寺モハ20 | モハ1700 | 1949 | DT10 | MT15 | CS3 | |
南武モハ505 | モハ2020 | ? | - | - | CS2 | |
南武モハ506 | モハ2021 | ? | - | - | CS2 | |
宮城モハ602 | モハ2310 | 1949? | 日車D-16 | 三菱MB-64C | ? | 台車・主電動機はもと宮城モハ800形と思われる。 文献(17)に国鉄CS/芝浦RPCの車両と併結している写真がある |
宮城モハ801 | モハ2320 | ? | DT11 | MT15 | - | |
宮城モハ802 | モハ2321 | 1952 | DT11 | MT15 | - | |
宮城モハ803 | モハ2322 | 1949 | DT10 | MT15 | - | |
宮城モハ804 | モハ2323 | 1949 | DT10 | MT15 | - | |
宮城モハ805 | モハ2324 | 1949 | DT10 | MT15 | - | |
宮城モハ806 | モハ2325 | 1949 | DT10 | MT15 | - | |
宮城モハ807 | モハ2326 | ? | - | - | CS3 | |
宮城モハ810 | モハ2327 | 1952 | DT10 | MT15 | - | |
宮城モハ811 | モハ2328 | 1952 | DT10 | MT15 | - | |
宮城モハ812 | モハ2329 | 1952 | DT11 | MT15 | - | |
宮城モハ813 | モハ2330 | 1952 | DT11 | MT15 | - | |
・-は変更なし
・データは、文献(19)を主に参照したが、文献(20)に掲載の写真を確認し主制御器等は補正してある。
主制御器の交換が行われた車両に共通している点は、いずれも山陽3線区に1951〜1954年頃に在籍していたことである。
山陽3線区には浅野系電鉄車が多数配置されていたが、このうち鶴見車の主制御器は国鉄CS1と同じPC系(芝浦RPC-151など)である。また、南武モハ150(モハ2000)は落成時から国鉄CS5であった(正式には芝浦RPC-105になると思うが詳細な資料がなく不明)。
つまり国鉄型機器への換装は、国鉄制式車だけでなく浅野系電鉄車との統一を考えていたと思われる。当時の写真を見る限り、山陽3線区では制御車を含めて制式車・買収車で自由に編成を組んでいるので、全車が共通の制御方式・制動方式に統一されていたと思われる。なお全ての車両が山陽3線区への転属後に換装されたわけではなく、飯田線・身延線に所属していた時に実施された例もある(鳳来寺モハ20→モハ1700など)。
一方、同じ頃の他の路線は、仙石線は宮城車、大糸線は信濃車、飯田線伊那松島は身延車、富山港線は伊那車が主に配置されていた。これらは飯田線の三信車が国鉄CS系の制御車になっていたのを除き全てHL制御である。ただしブレーキ方式は信濃車のみ直通制動である。大糸線は他の買収線と買収車のやり取りが全くなかった背景にはこのような事情もあるのかもしれない。
富山港線は買収車のみ配置、仙石線・飯田線伊那松島は買収車だけで運用が組める状況だったので、主制御器の変更を行う理由はなかった。上表でも宮城車の大半(=仙石線で使用された車両)と身延車は主電動機・台車の交換のみである。
結果的に買収車は4桁番号になる頃には、大糸線がHL+直通制動であったほかは、山陽3線区および飯田線の三信車が国鉄CS(芝浦RPC)+自動制動に、三信車以外の飯田線、富山港線、仙石線がWH(三菱)HL+自動制動の2種類に整理されたと推測される(※5)。DKとMは車両よりも先に淘汰された。
なお、これら国鉄型機器そのものは他の車両からの発生品である。
たとえば鶴見モハ331〜333の台車と主電動機は、当時山陽3線区に配置されていたモハ1系と交換したものと思われる。逆にモハ1系のモハ1030と鶴見モハ319は鶴見モハ331〜333の川車BW+芝浦SE-132を取り付けて、熊本電気鉄道に譲渡されている(※1)。
また、宮城電鉄モハ801〜807・810〜813のうち10両で台車・主電動機の交換が実施されたが、そこで捻出された日車D-16+三菱MB-64は上の
表に記載の宇部車3両と宮城車1両のほか、宮城モハ502(クハ6320)、宮城モハ601(クハ6330)に流用された。ほかにも弘南鉄道に1両分が譲渡されている。この結果、さらに宮城車からブリル27MCBが3両分捻出されたが、いずれも私鉄に譲渡(弘南鉄道:1、茨城交通:1、福島電気鉄道:1 ※2)された。
身延車から捻出された日車E-16・三菱MB-94Bについても、相模鉄道に数両分が譲渡されたことが確認されている(※3)。
買収車同士で機器の交換が実施された例もある。豊川車のモハ1620・1621は住友KS-30L+東洋TDK-36の組み合わせであったが、これを1955年に鶴見車のモハ1500・1503の日車Dまたは汽車BW+芝浦SE119と交換している。そしてこの装備のまま、モハ1620・1621は三岐鉄道に、モハ1500・1503は静岡鉄道に譲渡した(※4)。
(※1) 高井薫平・田尻弘行『RMライブラリ25 熊本電気鉄道釣掛電車の時代』2001年 ネコ・パブリッシング
(※2) 瀬古龍雄「35年前の東北私鉄 漸く戦後復興の頃の思い出」 鉄道ピクトリアル477号 1987年3月増
(※3) 澤内一晃「東洋型箱型電機の研究」 鉄道ピクトリアル899号 2015年1月
(※4) 南野哲志・加納俊彦『RMライブラリ62 三岐鉄道の車輌たち』2004年 ネコ・パブリッシング に掲載の諸元から推測
(※5) 自動制動の車両については、1954年の改番の頃には元空気溜管式に多くの車両が改造されている。ただし、写真を見る限り釣り合い空気ダメの存在が確認できない車両が、HL制御の車両に多く存在する。このあたりは更なる確認が必要である。
(2020.7.18 公開)
(2022.3.31 ※5 を追加。制動についての記述を変更)。
▼買収国電はどのように使われたのか 私鉄への譲渡
▲買収国電はどのように使われたのか 転配属と廃車(後編)
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