・日土友好の話

ことの発端は、出発前夜の深夜1時のこと。
万が一に備えて、日本総領事館の場所を調べておかないと・・・と、思ってググッたら、こんなニュースがひっかかった。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110620/mds11062009560005-n1.htm
なに〜! 旧総領事館を公開?? しかも第1・3水曜日・・・ということは、明後日ではないか!!
これは行くしかない・・・。
見学には予約が必要とはあるものの、自宅から国際電話をかけるわけにも行かず、当日現地で考えることとした。

さて、ブルーモスクを見終わったとき、予定時間を既に大幅に超過していた。
続けて、聖ソフィアを見るつもりだったが、こちらも行列ができていたので、予定を変更。
そして、総領事館に電話してみることとした。

公衆電話が近くにあったものの、コインではなくカードオンリー。
クレカも使えるということで試してみたが、よくわからない・・・どうしようかと思って、再度周囲を見回すと、電話の傍らで、爺様がテレホンカードを売っている。
ということで、そちらを購入して試してみることとした。1枚10リラ(約600円)。
しかし、相変わらずよく解らない。説明も英文はなくトルコ語だけ。
爺様に助けを求めたものの無視され、悪戦苦闘を続けること10分。ようやく、日本総領事館に電話がつながった。
・領「※○△∵」
当然トルコ語。
しかし
「もしもし」
と、思い切っていうと、相手も日本語に切り替わり、担当部署へ取り次いでもらえた。
若い日本人女性の声になった。

・私「すみません。今日、昔の総領事館の見学をしたいんですが」
・領「え! 今日ですか!!!」
・私「すみません。出発直前にネットで知ったので・・・」
・領「はい。なんとかなるでしょう。なんとかします。」
と、こんな感じのやりとりの末、11:30に行くと約束をした。

そのあと、地下宮殿(ローマ帝国時代の地下貯水池)とシルケジ駅(かつてオリエント急行の終点だった駅)を見学したあと、路面電車に乗り、終点のカバタシュへ。

地図を見ると、ここから旧総領事館までは北へ道を数本行ったところなのだけど・・・。
と、そちらに向かうと、目の前に現れたのは、こんな道。

垂 直 絶 壁 !!!

はい。日本で有名な坂のある街といえば、小樽、尾道、呉、長崎、首里あたりだけど
そのどこにも負けない・・・・はっきり言って、「陽のあたる急な坂道」byドリフ。
時間が無いので登り始めたが、まるで登山だった。

教訓:立体感のない地図は罪作り。

なんとか、上の道にたどり着くと、たしかこのあたり・・・と、目の前に飛び込んできたのが
この白い木造建築。



これが、目的とする旧総領事館。
もとは、1904年にオスマン銀行頭取の邸宅として建てられたものを、1928年に当時、臨時代理大使だった芦田均が、当時外務次官だった吉田茂に購入を進言し総領事館になったもの。
「トルコは親日」という言説が最近巷間で知られているものの、日土間に正式に国交が樹立したのは1924年のローザンヌ条約批准でトルコ共和国を承認して以降のことでしかない。
それにしても、戦後、日本の首相となった人物が二人も関わっているというのが、マニア心をくすぐる。だからこそ、見学に来たわけだけど。

中に入ると、トルコ人の男性と日本人の女性・・・さきほどの電話の主だろう。
パスポートを見せて身分を証明すると、見学となった。
「2階の応接スペースだけですが、自由にご覧になってください」
ということで、階段を登ると



これはまさに迎賓館。
美しい。ベルバラごっこ(もしくは普遍的にヅカごっこ)とかできそう(笑)。
銀行頭取宅時代は、晩餐会などが頻繁に開催されたといいますから、むべなるかな。


そして、
♪南に向いてる窓を開け〜  (注:私が開けたわけではありません)

♪うぃんどぅぃず ぶろういん ふろむずぃ えーじゃーーーん

と、ジュディ・オングのヒラヒラ衣装の真似をしたくなる雰囲気(苦笑)。
まあ、実際に見えているのは、ボスポラス海峡であって、エーゲ海ではないけれど・・・ダーダネルス海峡がなければなあ・・・。

一方で、階段室はこんな感じで、木工が非常に美しい。



西洋から逆輸入されたオリエンタル様式との話。
たしかに、モスクばかり見ていると、あまりお目にかかれないものではある。

この部分は、エジプトの様式だそうで、ほかにもイスラーム諸国の建築様式を取り入れている部分もあるとかいう。
でも、いちばん思ったのは2つ上の天井を見て「昔、風呂屋の天井がこんなだったよなあ」ということ(笑)。
シルクロードの東と西で、共通する何かが残っているのかと考えてみたり。

さて、担当していただいた女性職員の方は、トルコに来て4年目ということ。
「実は、あちこちボロボロで〜」と仰るとおり、

こんなふうに、鎧戸がはずれかかっていたりする。
総領事館が郊外へ移転した直接の原因は、この近隣にあった英国総領事館を狙ったテロ事件が2003年11月に発生したことに起因し、
安全上のことを考えてのことであるが、建物の老朽化も理由にあったのかもしれない。

外務省が、不要となった建物の売却方針を出していることに、トルコの日土史研究家の間から批判の声も上がっており、また日本でも一部批判の声があるようだ。
ネットで見ると、しかるべき在トルコの日土友好団体に譲り渡すべきという声もあるが、不動産価格が高騰しているイスタンブールで、
一等地にあるこの建物を買うのは非現実との反論も。

ただ、なんらかの形で残したいと思うのであれば、関心があることを示すためにここを是非とも見学して欲しいと思った(特に日本人)。
2回目の公開日だったが、来たのは私で4人目というのだから・・・。

そのためには、もっと見やすくして欲しいと思うけれど。
ちなみに、在イスタンブールの日本人は、レセプション等で訪れることが多いとのこと。

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