第4日:観日 2005年9月6日(火)
〜阿里山周遊、嘉義〜

◆真夏のオリオン
 朝4:20、モーニングコールに叩き起こされる。
阿里山に来た以上、御来光を拝まねば意味がないのである。

長袖、半袖、Yシャツの3枚を着込んで、外に出る。
気温は10度くらいだろう。
ふと、空を見上げれば星が綺麗だ。六等星まで見えているだろうか?

その中に、オリオン座を見つけた。
日本では冬の星座であるが、ここは北回帰線の近く。
夏でも見えるのである。

5分ほどで駅に到着。列車は既に入線している。
客車は4両。やはり麓側に機関車を連結した推進運転である。
車内は山上区間用のロングシート車。ホームは全て同一側にあるので、
反対側のドアは締めきって座席が延長されている。
しかし、暖房なんて上等なものはないので、寒いのなんの・・・。
台湾の人たちはみな、真冬の防寒着である。
夜明け前
●夜明けの阿里山駅

5:00、阿里山を出発。次の沼平で客を載せ、ほぼ満席となった。
意外に若い人が多い。
真っ暗な中をトコトコ走り、約20分で祝山についた。
駅のホームは長く、側線も沢山ある。
休日は2編成連結の列車が数本走り、ここも満杯になるそうだ。まあ、阿里山に宿泊している人全員が来ると思えば、その必要性も感じるところだ。

駅を出て直ぐの所が開けていて、御来光を拝める。
ほんとうの観日楼(展望台)は更に少し登った所だが、あまりの寒さに体が動かないし、
最前列を確保したので、ここでよいことにする。

列車から人が集まってきたところで、後で屋台の準備をしている辺りから
突如オッチャンがみんなの前に出てきて箱の上に乗る。
そして、何やらメガホン片手に喋りだす。廻りの人たちは、皆聞き入り、そして時々笑う。
しかし、北京語がわからない私は理解できず、一人寂しい思いをする。

漸く、オッチャンが引っ込むと、いよいよ御来光である。
丁度、玉山の北側から太陽が昇ってくる。
御来光

ああ、ここに来ることが出来て本当によかった。
そして、かの「新高山」が見られたことも・・。

しかし、冷静になれば、まわりは、皆カップル。
またまた寂しい思いをする。
御来光

さて、ここからはハイキングコースを辿っても30分ほどで沼平に戻ることができる。
(林鉄は大きく北に迂回しているため)が、朝の車窓を楽しみたかったので、再び列車に乗る。
行きの3分の2くらいの乗客だろうか?
皆、機関車の前で記念撮影をしている。
祝山駅 祝山駅2

さて、祝山の少し沼平側にも展望台があるのが気になった。
後で調べたところ、ここは対高岳というところで、本来は祝山と共に御来光ポイントだったそうだ。
で、駅もあるのだが、脱線事故(2003年の転落事故とは別)が発生して以来、通過になったとのこと。

遠く、朝日に照らされた山容を眺めながら、再び、森の中に列車は沈んで行く。
休止中の眠月線のレールも見ることができた。ここが復活することは、もうないのだろうか?

帰りは、一つ手前の沼平で降りた。猛ダッシュして、駅の反対側に廻り出発する列車を撮影。
ちなみに、沼平・祝山は、この早朝の列車だけしか発着しない。
このために配置される駅員さんもご苦労なことである。
沼平 沼平

沼平は旧・阿里山駅であり、数本の側線を持つ。
その片隅に、かつて阿里山を走ったシェイ2機が客車を引くかたちで留置されている。
これが「阿里山SLホテル」である。
しかし、1990年代末期には使われなくなっていたそうで、今や放置状態。
折角の貴重な車輌が勿体無い。未だ状態はいいのだが、動態保存機が2機あるゆえ、
あまり、積極的な保存とはならないのだろう。
シェイ

沼平からは南側に本線とは別の路線が延びている。
これが、玉山方面へ延びていた多多加線の跡である。
少々辿ってみたが、資材置き場となっている先はわからなかった。
多多加

◆朝の阿里山
そんなわけで沼平周辺をうろついてると、昨日の京都姉妹にばったり出会った。
昨日半袖を着ていたお姉さんは、ホテルで貸し出していた防寒着を着ている。

すると、この後、コーヒーを飲みに行くという。
ありがたいことに、一緒にどうですか?と誘われたので、言葉に甘えてついて行く。
すると、その目的地は阿里山の最高級ホテルである「阿里山賓館」ではないか。
戦前からの趣のある建物の中に入れば、流石に従業員もシッカリしている。
阿里山賓館

そのフロントの奥に昔ながらのコーヒーホールがある。
木の産地の建物というだけあって、木目が美しい。正に「古き佳き」風格が漂っている。
ことは継いでとばかり、客室の方まで侵入してみたが、やはり「高級」という雰囲気である。
が、新館の裏側は雑然・・とした感じ。まあ、やっぱり台湾である。

結局、コーヒーは8時からということだった。
私は森林鉄道の復路の乗車券を買わねばならないので、泣く泣く別れて阿里山駅へと向かった。

問題は、朝食を食べていないことである。
京都姉妹によれば、御来光の出店で食べるのがデフォルトのようである。
そんな私の目の前に現れたのは、なんとコンビニ。
出店メリットが全く感じられないのだが、たしかに建っている。
上高知にコンビニがあると思えば、その異常さ(?)がわかろうか。
ここで、朝食を買うことにした。
肉まんとクリームまんを買ったが、流石に「中華饅頭」の国である。美味しい。
コンビニ

私の他に切符を買う客はおらず、すんなりと買う事ができた。
ホテルに戻ると、ベットに横になり、TVを付ける。
すると花蓮沖6.3KmでM6.1の地震が発生したって?!?
どうなる、俺!(つづく)

◆阿里山森林区一周
ホテルをチェックアウトする。 予定にはなかった、阿里山の森林地区を一周することにした。
周遊コースは沼平起点の環状コースなので、ここからだと、往復計2Kmほど、余計に歩かねばならない。

周遊コースにはあちこちに立派な地図があり、迷う事はない。
ありがたいことに日本語の説明も随所に取りつけられている。
森林周遊区

三代木、千年檜など一通りのものを見ていく。
日本時代の碑もそのまま残されているのは、何かホッとする。

ただし、阿里山神社は跡形なく回りから一段高くなっていることで解る程度である。
そこに行くと、なんと法輪功の一味が数人いて、声を掛けられた。
こういう時は「我是日本人」と行って逃げるに限る。
寺

日本時代から残る慈雲禅寺は、色はちょっと中華風で派手になっているものの
雰囲気は日本の田舎の寺である。賽銭箱は日本のように仰々しくない。
変わりに、賽銭を入れたらこの箱の菓子を一包み持っていけ!とある。
「阿里山有機脆餅」とあるが、クラッカーのようなもので意外に美味しかった。
寺

そしてその先へ行くと、墓地。
しかし、形を見てビックリ。

墓
沖縄の亀墓にそっくりなのである。
無論、沖縄は石そのままの色なのに対し、こちらは中華カラーであるが。
ただし、墓の多くは荒れるに任せている。森林伐採が中止になった今、
ここを離れた人が多いことを物語る。

振りかえると、阿里山駅付近のホテル街が見える。
こんなに長い距離を歩いてきたんだなあ・・と思う間もなく霧に消えた。
やはり、山の天気である。

阿里山のシンボル、神木があった場所に、阿里山林鉄の神木駅がある。
ここが周遊ルートの南端で、ここからは登りとなる。
その途中、香林国民学校(小学校)があるが、その前には中華している、ド派手な廟「重鎮宮」がデーンとそびえている。
その脇には土産物屋。その3っつの間に明確な境界はなく、全てが溶け合った、
なんとも不思議な景観を作り上げていた。
重鎮宮 重鎮宮

姉妹沼を経て、沼平駅に。そして阿里山駅に戻ってくると
時刻は12:00を過ぎていた。
土産物屋街で排骨飯を食べたが、80元でボリュームのある量。
観光地値段ではなく、良心的に思えた。

13:30、山下りの列車は定刻通り阿里山を発車した。
集集線に行けなかったのは残念だが、その分、阿里山を存分に楽しむことができた。
集集より確実に行き難いところなので、これはこれで良かったのかもしれない。

◆台湾の彦根工場
帰りの列車は、16:30に北門で降りた。
別の車輌に乗っていた京都姉妹に別れの挨拶をして、私が向かったのは旧 北門駅である。
日本時代からの駅舎があったが、残念なことに火災で焼け落ち、今のものは再建されたものである。
いずれにしても、今現在、木造建築が貴重なものになりつつある台湾で、日本式建築が復旧されたことに
日本人として感慨を抱かずにはいられない。
旧北門駅

旧北門駅の脇には、かつての普通列車用の客車が2両保存されているが、状態はあまりよくない。
また、旧駅前の道には、シェイのナンバープレートを模った街灯があり、林鉄がこの町の象徴になっていることを感じた。

さて、北門は広大な工場があることは昨日述べた。大量の廃車体があるので、それを垣間見ることができるポイントはないかと、一周した。
しかし、障害物が多く工場南側からなんとか可能な程度。
中には、綺麗に修復された古典客車などがあるのだが、説明板の単語から類推するに見学はどうやら団体じゃないと無理らしい。
そもそも遅すぎて、廻りに人がいない。遠巻きに木造客車や中興号(ラジエターが前面についたDC)の廃車体を見るだけであった。
中興号 木造客車
●放置されている中興号と美しく整備された木造客車

◆日本が潜む街角
さて、日没まであと1時間である。日本時代の神社の跡である、嘉義公園を目指すことにした。
丁度、目の前の道路標識に「嘉義公園」とあるのでしたがって呉鳳北路を行く。

相変わらずの中華している看板の下を辿る。よくよく見ると全て医者なのだが、お構いなしである。
そして、何か祭りでもあるのか、花で飾られた一角がある。花輪は日本のものより、原色が多く、
ドギツイ感じである。
祭 医院
●恭祝北安宮福徳正神聖誕千秋?乙酉年祈安延寿礼斗法会 と書いてあるんですが・・

その街角の裏通りをふと見れば、洋館風の木造建築が佇んでいる。
これも日本時代のものなのだろう。一枚写真をとった。
そして振り帰ると・・・・。
洋館 路地裏の少年

それは、日本の古い街となんら変わらない風景だった。
この角度からは、中華な色使いが目に入らない。
よく見れば、あちこちに古い木造家屋がある。
そして、うすボケたコンクリ作りの家が無造作に立ち並んでいる。
それは、母方の墓がある台東区内で見る風景に、あまりにそっくりだった。
台湾に「日本」が染み込んでいる理由を、そこからも思わずにいられなかった。
木造建築

さて、問題の嘉義公園であるが、歩けど歩けど辿りつかない。
近くの警察の人に聞くと、「ゴー、ストレート!」であるから、ひたすら真っ直ぐに進むらしい。

そして歩く事約25分、ドン詰まり・・・つまり街の東側にあるのが嘉義公園である。
ところが、どこが神社の跡であるかわからない。
日没まで15分しかないので気持ちが焦りだす。
とりあえず公園の入口近くに、シェイの保存機を発見して手早く撮影。
日本の公園機関車と同じで、檻の中に入っているもののホコリまみれで状態はよくない。
21号機
●嘉義公園の21号機

さらに奥へと進んで行くが、行けども行けどもただの公園で神社の面影がない。
そして、諦めかけた時。目の前に現れたのが、この風景だった。
嘉義公園

石段、狛犬、灯篭・・・・。。
予備知識では、かつての社務所の建物が、街の文化財に指定されていることだけだったが、
手水場なども残っている。
これほどまでにくっきりした跡が見られるとは思っていなかった。
嘉義公園 嘉義公園

鳥居と本殿はなくなり、変わりに忠烈廟と「射日塔」が立てられている。
阿里山の神木を模したものらしい。
しかしこの中途半端な残し方に、どこか台湾が辿った歴史を思うようになっていった。

◆夜は大騒ぎ
嘉義公園の前にバス停があった。やってきたのはマイクロバスを使った循環バス。
本数があまりないので、ラッキーである。
そして運賃を払おうと運転士にメモ帖を差し出すと指で「7」と示してきた。
70元か・・と払おうとすると、受け取らない。なんと7元(24円)だったのである。恐るべし。

嘉義駅前に戻ってきたので、そのまま、某歩きかたに書いてあったホテルに入ってみる。
あきらかにボロいが、値段は720元(2520円)なので即OKした。
で、部屋に行ってみると、確かに暗い感じだが、例によって例の如く無駄に広い。
一通りのものが揃っている。ただ、少々、台湾名物「巨大ゴキ●リ」の恐怖を感じてしまった。
荷物を置いて、街へ繰り出すことに。
人口30万人の地方都市なのに、表通りの中山路はネオンがギラギラ。とてつもなく賑やかである。
立ち並ぶ店は、どういうわけだか眼鏡屋と服屋(それも女性の下着関連)が多い。
逆に、見かけないのが一般の食料品店である。
夜

本屋は3軒あった。そのうちの1軒に入る。立ち読みが多いのはアジア各国共通であるが、
特に台湾は立ち読みに寛容であると聞いている。
先ずは、地図売り場へ行くが、その種類は少ない。国土の大きさを考えれば妥当なところだろうか?
ほかの売り場を見ると、村上春樹の本を発見。電車男は早速TV本が出版されていた。
そして、マンガコーナーは、当然の如く日本のものばかり。
その中には我らが「ドラえもん」もある。
ここに第19巻があったので、迷わず買うことに。これで日台韓の3バージョンが揃うことになった。
帰国後、それぞれを比べてみたが、韓国版が韓国の物語として読めるように翻訳されているのに対し、
台湾版はあくまで日本の物語となっている点に、大きな違いが感じられた。

続いてレコード屋に入る。品揃えを見ると日本のコーナーも大きいが、元祖韓流ということもありドラマ・映画関連は韓国ものも強い。
しかし、現地の若者が見ているのは、やはり台湾のポップスが中心のようである。
ちなみに、日本のグループ名は基本的に漢字で起きかえられる。
TOKIOは「東京小子」、モーニング娘。は「早安少女組」で、その派生グループはまとめて「早安家族」、
サザンオールスターズは「南天之星」で、夏川りみは「夏川里美」と全て漢字になる。
で、「テレサレテン没後10年」なんてコーナーがあったので、そこで思わず、彼女のCDを買った。
ちなみに、つぐないは「償還」、「愛人」はそのままだが意味は恋人(日本語の愛人にあたるのは情人)となる。

さらに街を突き進むと、中心地のロータリーへ。この南側、文化路が嘉義の夜市である。
その賑わいたるや、日本の祭りが3っつくらいまとめてやってきたような感じである。
明るい店先と屋台に、激しく行き交う人とオートバイ。
今日が平日であることを考えると、何ゆえ、これだけの人が集まってくるのか、不思議ですらある。

で、看板類を見ていると、怪しい日本語が。
「したをのです。」と書いてある服屋の看板。
たこ焼きの屋台には「大阪名物」と共に「ユニークな味です」。
「楽にしてください。哈騒貨」なるCDやらキャラクターグッズを扱う店もある。もはや意味不明。
その中で気付くのは「の」の字が当たり前に使われていることである。
日本での"@"や"&"と同じなのだろう。ちなみに発音は是(ジー)であるらしい。
の

さて、漸く夕食である。ここで嘉義名物の「噴水鳥肉飯」を食べることにした。
ロータリー近くの中山路に本店がある。
普通の台湾の食堂で、冷気はなく大きな扇風機がブンブン廻っている。
どこまでが厨房で、どこからが客席かわからない店に入り、レジらしき場所にいたオッチャンに 「鶏肉飯」と書いたメモを見せた。
すると「チキンライス&スープ?」と聞かれたので、迷わずOKする。

ところで、確かにご飯と七面鳥の組み合わせなので「チキンライス」ではある。
しかし、チキンライスを想像してはいけない。
台湾らしく、白いご飯の上に、蒸した鳥を乗せ、スープをかけたものである。
スープはエビの白湯。
どちらも、塩系の比較的さっぱりした味わい。
数日中華な濃い味ばかりだった私には新鮮で非常に美味しい。
これでいて70元(245円)なのだから・・・・B級グルメ万歳!!

街は21時になろうとしていたが、まだまだ元気である。
流石は南国、夜更かし大好き。
ちなみに医者も18:00で診療終了ということはなく、夜の部は21:00まで開いているのがデフォルトである。

できれば、この賑わいが何時までも絶えることなく・・と願わずにいられない。


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