高松琴平電気鉄道 600・700・800形について

・概要
 全長15m級の鋼製電車で、1998〜2000、2002年に2連14編成28両が入線した。入線時は全車両が片運転台の制御電動車であった。もとは名古屋市交通局東山線・名城線の車両で1969〜1974年に日本車輌で製造された。入線にあたり京王重機整備で集電方式の変更や冷房の取付をはじめとする各種改造を受けている。製造時から先頭車である前面が折妻の車両が700形、それ以外の切妻の車両が600形となった。
 当初は車両の規格に制限のあった長尾線に600形2連7編成、700形2連1編成、志度線に600形2連5編成、700形2連1編成が配置された。このうち志度線用は車番が20番台に区別された。
 その後、長尾線の路線改良に伴い2006〜2007年に志度線に8両、2011年に琴平線に4両が転属した。このうち志度線転属の4両は編成解除・電装解除が実施され単独の制御車となり800形に改められた。
 2023年1月現在は、長尾線に600形2連2編成、志度線に600形2連7編成、700形2連2編成、800形4両、琴平線に600形2連2編成が在籍する。

 車体は鋼製で、片側3か所にある客用扉はいずれも両開きである。冷房の風洞が屋上に設置されているのが特徴である。また、もと東山線車両と名城線車両では屋根の高さが異なるため外観に差がある。
 600形・700形は、奇数車にパンタグラフや主回路機器(主制御器、抵抗器)を、偶数車に補器(コンプレッサ、補助電源(SIV))を搭載し2両固定編成になっている。一方800形は制御車であるが、自車用の補器を搭載しているため、その電源取得用にパンタグラフを搭載している。

主要諸元は以下の通りである。
(これ以降、長尾・琴平・志度線瓦町方面に向かって左側を左側面、右側を右側面とする。)
最大寸法(長・幅・高 mm)15580 × 2840 (*1) × 4090 (*2)(*1)志度線所属車は2640
(*2)600・700形の偶数車は4050
車体寸法(長・幅・高 mm)15000 × 2500 × 3540
床高さ(mm)1130
空車重量(t)26800形は23t
定員(うち着席)100(34)800形は着席31
主電動機(出力 kW×個数)68 × 4800形は除く
駆動方式WNドライブ800形は除く
制御方式自動加速式、直並列制御
制動方式電磁SME(電気制動つき、三管式)800形は電気制動なし
製造者日本車輌製造
コトデン向けの改造者京王重機整備

最大寸法の幅が、志度線向けとそれ以外で異なるのは、ドアのステップの有無が理由である。詳細は「入線後の改造>ステップの取り付け」を参照。

600形602(もと東山線)

600形606(もと名城線)

700形702(もと東山線)

700形721(もと名城線)



・高松琴平電気鉄道に入線した経緯
 もと軌道線である長尾線および志度線は1988年当時、長尾線にはR109.1(水田〜西前田 吉田川橋梁附近)、志度線にはR80(塩屋〜房前)の急曲線が存在し、また橋梁も明治時代に開業した当時のものが残っていた。このため車両の規格は最大で車体長16300mm、車体幅約2600mm、自重30t(軸重7.5t)に制限されていた。
 車両の調達を大手私鉄の譲渡に頼るのは中小私鉄の常道でコトデンも例外ではない。しかし、この規格の車両は大手私鉄からは車両の大型化で1970年代までにほぼ淘汰された。その結果、1977〜1980年に京浜急行電鉄の230形を譲り受け30形とした後は、1983年頃に琴平線から車体長約16300mmの制御車が数両転属したのを最後に車両の動きは止まっていた。このため戦前製の車両が主力という状態が長く続いていた。
 全長18〜19m・車体幅2800mm・自重36tの中型車が入線可能な琴平線では、1984年には冷房車の投入を開始し、1991年には昼間の全列車冷房化をほぼ達成していた。同線との格差が大きいため、是正を図るべく首都圏の鉄道会社の冷房つき車両を車体短縮の上で長尾・志度線に導入する案もあがった。しかし、譲渡元の廃車計画が予定通りに進行せず実現しなかった(参考文献12)。
 そのような中で、鉄道車両の修繕等を行う京王重機整備(以降、京王重機)は名古屋市交通局東山・名城線の鋼製車両の導入案を提示した。大きさは問題なく、また冷房を搭載しても自重の制限をクリアできることが判明したためである。しかし、両線の車両代替は既に最終段階に差し掛かっており、また従来、車両譲渡事例がなかった同局地下鉄車両に対して、福井鉄道と丸紅(ブエノスアイレス向けの輸出案件)も車両の譲り受けを申し出たため不利な状況になった。
 結局、コトデンは28両を調達したが、本来はもっと多くの車両を導入したかったとも言われる(参考文献10)。また、必要としたのは先頭車のみであったが16両が中間車で改造工数が増加することになった。そして、朝ラッシュ時の増結用などに旧型車を残さざるを得なかった。

 なお、1990〜1996年に志度線の詰田川、春日川、新川の3橋梁が河川改修事業にあわせて架け替えられた。また八栗変電所が新設され、冷房車入線の受け皿となっている。その他、1996年8月のダイヤ改正に備えて、志度線の松島二丁目駅、長尾線の井戸駅の交換設備が復活し、志度線瓦町〜大町で10分間隔、長尾線全線で12分間隔の運転を可能にする(当時)など、地上側の設備投資が行われていたことを記しておく。

 1998年7月に長尾線と志度線に1編成づつ入線し13日より営業を開始した。両線初の冷房車ということもあり好評を持って迎えられ、11月には両線に1編成づつ追加された。これ以降2000年まで毎年6〜7月と11月に投入が行われ、合計13編成26両が入線した。
 しかし、コトデンは2001年1月に事実上倒産した子会社の百貨店「コトデンそごう」への巨額の債務保証が発端で経営が悪化、そして2001年12月に民事再生法の適用を申請し事実上倒産した。2001年に投入される予定だった残り2両は改造が中止されたまま京王重機に残された。

・開業時の姿を留める長尾線西前田〜水田の旧・吉田川橋梁。
 この前後はR109.1の急カーブだった。 1997年3月


・長尾線車両の志度線・琴平線への転属の経緯
 2001年8月、高松琴平電気鉄道は再生計画が承認され略称の琴電(もしくはコトデン)を「ことでん」と平仮名に変えた新体制で再出発した。新生ことでんは、旧体制の反省から接客の向上に真っ先に取り組んだ。その中でも優先課題となったのが車両の冷房化率100%達成である。まずは、京王重機に残されていた1編成2両を完成させ、2002年12月に長尾線に投入した。しかし、この時点で名古屋市交の鋼製車は既に無く他の案を考える必要があった。
 この頃、国道11号線高松東バイパスの開通に伴い、長尾線では水田駅とその前後の区間(春日川橋梁〜吉田川橋梁)の立体化が進められていた(2007年10月使用開始)。これと同時に吉田川橋梁の位置変更・架け替えが河川改修に合わせて行われ、その前後にある急曲線が解消した(2004年3月使用開始)。中型車導入のネックが一つ解消したが、開業時の橋脚を使用する新川橋梁と鴨部川橋梁が残っていた。これらに対して2004年に耐荷重試験を実施した結果、自重30tを超過する車両の入線が可能と判断された。
 プラットホームの対応などが行われ、2006〜2007年に長尾線に中型車でもと京浜急行電鉄の1200形・1300形が合計10両投入された。余剰となった600・700形8両が志度線に転属し、2007年7月にことでんは冷房化率100%を達成する。

 長尾線は中型車投入と引き換えに3両編成の運転を取りやめたが、600形2連の場合はラッシュ時の混雑が問題となった。一方、琴平線では2004年の台風16号で高松築港駅に留置されていた2編成4両が高潮の被害にあったが、これらの機器の痛みが進行していた(参考文献13)。このため2011年に1300形4両が長尾線に追加で投入され、余剰となった600形4両が琴平線に転属、高潮被害にあった4両を代替した。琴平線では入場時・故障時を除き600形同士で4連を組み、朝ラッシュ時に一宮〜高松築港で限定的に運用されるのみである(2020年の伏石駅開業後暫くの間、夕ラッシュ時の増結用として他形式と連結して琴平まで運用されたことがある)。


(2023.2.5 作製)

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