神奈川電鉄をたずねて
秦野線 平塚中央〜秦野町 14.7Km | |||||||
駅 名 | 区間 粁程 |
累計 粁程 |
標高 | 平均 勾配 |
備考 | ●最急曲線 110m(豊田本郷〜寺田縄) ●最急勾配 35‰(秦野河原町〜秦野町) ●主な橋梁 渋田川橋梁(中原〜豊田本郷) 鈴川橋梁(豊田本郷〜寺田縄) 金目川橋梁(斎ヶ分〜秦野河原町) |
|
平塚中央 | ひらつかちゅうおう | 愛甲線と共用 | |||||
平塚市役所 | ひらつかしやくしょ | 1.0 | 1.0 | 愛甲線と共用 | |||
追分 | おいわけ | 1.6 | 2.6 | 追分車庫 所在 | |||
中原 | なかはら | 1.2 | 3.8 | 7 | 中原変電所 所在 | ||
豊田本郷 | とよだほんごう | 1.3 | 5.1 | 7 | |||
寺田縄 | てらだなお | 0.7 | 5.8 | ||||
飯島 | いいじま | 1.1 | 6.9 | 15 | |||
金目 | かなめ | 1.2 | 8.1 | 22 | |||
青柳(東海大前) | あおやぎ | 1.5 | 9.6 | 35 | 上8.6 | ||
下大槻 | しもおおづき | 1.0 | 10.6 | 45 | 上12.5 | ||
秦野高校下 | はだのこうこうした | 0.8 | 11.4 | 55 | 上10.0 | 大槻変電所 所在 | |
斎ヶ分 | さいかぶん | 1.2 | 12.6 | 70 | 上10.9 | ||
秦野河原町 | はだのかわらまち | 1.1 | 13.7 | 80 | 上11.8 | ||
秦野町 | はだのまち | 1.0 | 14.7 | 105 | 上25 | ||
大山線 豊田本郷〜大山 12.4Km | |||||||
豊田本郷 | とよだほんごう | 0.0 | 秦野線と共用 | ●最急曲線 80m(下子易〜子易) ●最急勾配 40‰(上粕屋〜大山間の各所) ●隧道 上粕屋隧道(上粕屋〜下子易) 子易隧道 (下子易〜子易) |
|||
矢崎 | やさき | 1.6 | 1.6 | 10 | |||
岡崎城址 | おかざきじょうし | 1.0 | 2.6 | 10 | |||
下大竹 | しもおおだけ | 1.0 | 3.6 | 15 | |||
伊勢原 | いせはら | 1.1 | 4.7 | 35 | 上18.2 | ||
大神宮前 | だいじんぐうまえ | 1.0 | 5.7 | 40 | 上 5.0 | ||
川上 | かわかみ | 1.3 | 7.0 | 45 | 上 3.8 | ||
道灌塚 | どうかんづか | 0.8 | 7.8 | 60 | 上18.7 | 道灌塚変電所 所在 | |
上粕屋 | かみかすや | 0.8 | 8.6 | 85 | 上31.3 | ||
下子易 | しもこやす | 1.2 | 9.8 | 130 | 上37.5 | ||
子易 | こやす | 1.3 | 11.1 | 180 | 上38.4 | ||
大山 | おおやま | 1.3 | 12.4 | 230 | 上38.4 |
神奈川電鉄が走る町と駅(秦野線・大山線篇) ・秦野線 平塚中央(詳細は愛甲線を参照)の1.2番線に発着する大山・秦野線の列車は、次の平塚市役所までは愛甲線との並列で走行する。現在でこそ平塚中央にも秦野・大山線と愛甲線の渡り線があるが、昇圧前は平塚市役所にしかのなかった。そのため、貨物列車は市役所駅で転線し、平塚中央までの僅かな区間だけ、1500Vの愛甲線を走っていた。 愛甲線と別れたあとも、しばらく路線用地は複線分存在している。これは、横浜ゴム(戦時中までは海軍火薬廠)への引込み線の跡である。その工場の南側に沿って走ると追分で、木造のクラが現役の追分車庫がある。 北にカーブすると中原、そして意外に川幅のある渋田川を渡ると、大山線を分岐する豊田本郷である。同線を分岐したデルタの内部にホームがあるため、ホームは三角形で広々としている。 寺田縄は以前は田園の中にポツンと駅があるだけの淋しいところだったが、今は駅の周囲は家で囲まれてしまった。飯島で小田原厚木道路をアンダーパスすると、ここから秦野まで、金目川と県道に沿って進んで行く。 金目は金目観音の最寄駅、そして青柳は、副駅名の(東海大学前)を名乗る通り、同大学の正門前にある。秦野線内での乗降客数も多いほうだ。 その次の下大槻と秦野高校下の間には下大槻団地がある。1972年に造成された集合型団地で、秦野線乗客のかなりの割合を占める。もっとも秦野線は川沿いの低地、団地そのものは台地上にあるので坂を登り降りしなくてはならず、当初は電車の利用客に結びつかなかったようだが・・・。 東名道と交差すると山肌に沿ってカーブしながら駆け上がり小田急線をオーバークロスし斎ヶ分である。本来後に開業した鉄道の方がオーバークロスするものだが、ここでは小田急がトンネルを抜けた直後であることから、このような形態になっている。 そのまま斎ヶ分の集落の裏手の一段高い山肌を進む。じわりじわと高度を上げて行き、金目川と水無川の合流地点あたりを大築堤で渡る。この築堤上に秦野河原町がある。秦野線でもっとも新しい駅だ。 そして、30‰の急勾配を上ると、地形はもっと急激に上昇し、金目から併行してきた県道と合流し併用軌道になる。 ここからが秦野の中心地で、道路の中央を車をかき分けて電車は走る。しかしその区間は短く、300mほど進んだところで道路の右側に入り込み1面1線の終点秦野町に到着する。駅舎はもと秦野電気軌道本社で、当時としてはモダンだった鉄筋コンクリ建築である。 秦野盆地は煙草の産地として知られ、その輸送を目的に秦野線は敷設された。 町の北には日本たばこ産業(旧:専売公社)の工場があり、当駅から引込線が続いていたが、1984年の貨物輸送廃止と同じに撤去されてしまった。 ・大山線 大山線は豊田本郷で秦野線から分岐すると、東海道新幹線をアンダーパスし鈴川に沿って田園地帯を行く。鈴川も大山を水源とする川であるが、矢崎でいったん別れて当線は北に進路を取る。 岡崎城址はその名の通り、岡崎城の跡(への入口)にあるが、この城は鎌倉幕府設立に関わったといわれる岡崎義実が築いたいわれる山城である。よって、いわゆる天守閣などがある安土桃山以降の「城」ではないので念の為・・・。 このあたりでは、新興住宅地が拡がりつつある。また、駅からは見えないものの、周囲に団地が造成されたこともあり、乗客数は多く、朝ラッシュ時は、伊勢原〜平塚間で4両編成運転されている。 下大竹を出ると台地へ登る為、20‰前後の片勾配が連続している。それが終わると、直に市街地の様相となり、小田急線との連絡駅である伊勢原になる。掘割の中を小田急線が走り、大山線がオーバークロスする格好になっている。 伊勢原は、江戸時代以降、特に盛んになった大山詣の基地として栄えたが、市政施行は神奈川電鉄沿線各市の中では最も遅く1971年のことである。→伊勢原駅周辺図へ 伊勢原を出ると市街地の西側を進む。このあたりは戦後しばらくまで併用軌道だったが、現在は道路と電車は完全に区分されている。大神宮前の先で、国道246号線を越えるが、踏みきりのため渋滞の要因になっているとも聞く。 ここから、大山への参詣路は北西に入ってゆくが、電車は勾配緩和のためその北側へと迂回している。このため、七沢方面への県道に沿って暫く走る。東名道をアンダーパスして川上、そして20〜30‰の勾配を上ると道灌塚である。道灌とは、江戸城を築城した大田道灌のことで、生まれたこの地で眠っている。、その次の上粕屋は、駅に隣接した地に大学が移転して来たため乗降客が一気に増えたが、まだ周りは養鶏農家などが残るのんびりとしたたたずまいである。 ここから大山線のハイライト区間である。上粕屋トンネルを抜けると山にへばりつくように急カーブを繰り返し、連続40‰勾配で山を登って行く。下子易を過ぎると交換駅の子易、ここは土地がないため、相対式のホームは互い違いになっており細長い駅構内になっている。 そして、いよいよ山が深くなり、電車が進めなくなったところで終点の大山駅。2面2線の構内を持ち、参詣鉄道の終着駅の多くがそうであるように、寺社を模した立派な駅舎が建っている。 先にも触れたように、大山には阿夫利神社があり、現在でも多くの参拝客が訪れる。また、丹沢登山の玄関口の一つでもある。しかし、社への道は未だ半ば、更に険しい山を登らなくてはならない。参拝客の多くは、若干歩いたところにあるケーブル大山駅から出ている鋼索線で、下社へ向かうことになる。 |